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黄泉の国から追い返された話




 もうじじ(父親)が認知症になってしまったので、この話は確認する術が無いのですが、うちの職場先輩の娘様も恐山に行き霊感が開花してしまったそうなので、あながち間違いでは無いのかもしれません。


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 家に父が居ない事が増えた。当時の私はまだ3歳。

 完全ファザコンの私は、父の仕事がタクシーの運転手である事も理解しているし、必ず昼夜ご飯を食べに1時間だけ帰ってくるのを知っていた。夜勤兼務の変則業務なので、朝仕事に行くと翌日の夜中に帰ってきて、その次の日は休みと言った具合だ。

 玄関が開くたびに父が帰って来たのかと思い、急いで迎えに行くが、兄貴だったり、たまに姉だったり。しかもいつも遅くに帰宅するはずの母親が毎日夕方には帰ってきていた。

「お父さんは?」

「仕事」

「昨日も仕事なのに、今日も仕事なの?」

 普通にいつもの仕事ルーティンを確認しただけなのに、母はすごく傷ついた顔をしていた。
 あの時、私が今の脳みそであれば、浮気を疑っていたかも知れない。しかし現実はもっと酷かった。

「お父さんは、ちょっと遠くの方まで仕事に行ってるから、暫く帰って来れないんだって」

「ええー、寂しいよ。そんなのやだー」

「10日くらいで帰ってくるから。10日くらいで……」

 なかなか寝ない私を珍しく母が背中をトントンして呪文のようにそう言っていたのを覚えている。
 それから2日後、私は不思議な夢を見た。

 空を飛んでいる(視界が地面を見下ろしている)そして向かった先はボロボロの整形外科病院。そこの部屋に横たわっている人の横で母が泣いていた。今ならばあの横に居た人が医者だというのが分かる。

 私は昔から幽体離脱のように外を飛ぶ夢(飛んでいるかは分からないが、下を見下ろしている)を見る事が多い。それはピュアな心を失った中学一年生までははっきり続いた。

 あの横たわっていたのは間違いなく父だった。母が泣いていたのは、多分今晩が山場とでも言われたのかも知れない。
 しかし超絶ファザコンの私はあの夢が現実になるとは絶対に受け入れたく無かったので、あれはとんでもなく嫌な夢だと記憶から封印し、お父さんは帰ってくる、お父さんは帰ってくる、と毎日父が水を交換していた神棚にひたすら祈った。

 それから1ヶ月後、少し機嫌のいい母に「お父さんの所に行こう」と外に連れ出された。
 母は看護師で仕事が忙しい。貴重な休みを使ってお父さん大好き過ぎる私の手を取り、20分くらい歩いた。
 一度も来た事が無いのに、記憶に残っている。ここはどこだろう。

「私、ここに来たよ! 誰か寝てて、お母さん泣いてた!」

 ボロボロの整形外科病院の看板が見えた時、私の夢にあった建物とつながった。あれはただの夢だったのかも知れないが、それを言った瞬間、母が寂しそうに「そうなんだ」と言った。

 老朽化の酷いその病院は患者も少なく、何人かが廊下でリハビリをしていた。それでも整形外科なので外来には人がそこそこ居たと思う。
 母は受付のおばさんと何か話をした後、これまた壊れそうなエレベーターに乗った。2階建ての小さな個人病院、ある6人部屋に怪我をしたおじさん達が密集していた。

 ふと私は白い光が廊下の左側に流れているのを見た。なんだろう、あれは? と追いかけたかったが、母が看護師と何か話をしていたので追いかけるのをやめた。あまりウロチョロすると恐怖の鉄拳が落ちるからだ。

「じゃ、お父さんのところに行くよ」

 まさか、嫌な話なんだろうか?
 夢で寝ていた人を思い出す。私は顔に白い布をかけられた父を想像し、首を振った。あれだけ父が大好きで、毎日会いたい会いたい言っていたのにここまで来て帰りたいと駄々をこねるのだ。「じゃあそこで待ってなさい」と言われたが、流石にはぐれたら困るので、私は母のシャツの裾を掴み長い廊下を歩いた。

 出迎えてくれたのは、足を怪我した若いおじさんとか4人。その中に右足を吊り上げられている父が混ざっていた。

「よぉ」

 片手を上げてニコニコしている父の顔を見て私は腹に飛び込んだ。よかった、お父さんはいる。あの夢は嘘だったんだ。
 毎日神棚のお水変えたんだよ、2回コップ落として割れてないか心配だったけど、大丈夫だったよ。
 お兄ちゃんがまたフライパン焦がしてお母さんに怒られて、お姉ちゃんは友達と遊んでばかりで全然家にいないの。
 話したい事はいっぱいあったのに、肝心の事は聞けないまま面会は終了となった。

「ねえ、お父さんの足どうしたの?」

「あー、階段から落っこちたんだって。ドジだよねえ。まあ、あと1ヶ月くらいで退院できるみたいだよ」

 退院という言葉はわからなかったが、1ヶ月我慢したらお父さんが帰ってくる!それだけで私は元気になった。

 しかし、階段から落ちただけであのように仰々しい足になるはずはない。

 後に母に聞いた所、父はタクシーの仕事で夜中3時頃に五稜郭の繁華街を走っていた。反対車線から信号無視で突っ込んできた暴走族に車を三回転半させられ、タクシーはぐちゃぐちゃになった。
 幸い、すぐに救急病院に搬送されたが、足の複雑骨折とアキレス腱断裂と内臓は軽い損傷だけという奇跡的な結果だった。
 だが、意識が戻らないまま10日が経過。足の骨折がメインとの事で手術の後、母が歩いて見舞いに行ける病院へ転院したが、それでも意識が戻らないまま鼻からの栄養剤で生きる日々が続いた。
 我が家は私を含めて子供が3人居る。こんな年頃に父が他界でもしたら子供は生きていけない。母の家庭環境はかなり劣悪なので頼る場所は無かった。仕事を休職し、家と見舞いを続けた母は時々泣いていた。あの頃の私は母がなんで泣いているのか分からなかったが、相当不安だったのだろう。1人で子供3人を抱える自信はない。

 父は1ヶ月後、無事家に帰って来た。リハビリも順調だったようで、歩いている姿はいつもと変わらない。痛みもないそうだ。ただ本職のタクシーにいつくらいに戻れるのかは分からず、会社を辞めたらしい。(我が家に40歳の父の履歴書用写真が残されているのはこれが原因だろう)

 父が好きな私は毎日父が家にいる事を喜んだ。近所のスーパーまで一緒に買い物に行き、夕飯を作る。ある日、私は病院で見かけた白い光を家でも見たので、思い切って父になんであんな所に居たのか聞いてみた。

 多分、父も私がまだ3歳でどうせ覚えていないだろうと思い話してくれたのだと思う。

「死んだジジとババに会ったんだ。あっちの国で」

「じいちゃん? ヒゲの?」

「そうそう、なんかな、あっちの国で目が覚めて、目の前に見た事もないくらい透明な川があったんだ。見たことの無い魚が空を飛んでる。あー、俺は死んだんだって思ったら、目の前みたらジジとババが立っていた。そんでババが悲しそうな顔で俺のこと見てて、ジジはいつものように顰めっ面で俺を見てるんだ。なんだよ、おめえの顔なんて見たくねえと思ってたら、足が勝手に進むんだ」

 私が見た光景は母が医者に何か言われて泣いていた。多分あの時間とリンクするのだろう。
 子供心にファンタジーな話だと思い、父に「それで?それで?」とせがんだ。

「そしたらな、『おめさまだここにくんな!!』ってジジに追い返されたんだ」

 それ以上父はこの話を語った事はない。何かしらタブー的なものがあったのかも知れないが、これをきっかけに父の霊感はとんでもない事になってしまい、死人もお盆で自宅に来る先祖の霊や墓参りに行くととにかくなんでも見えていた。
 三途の川に行った話は、実は母からの証言で、

「お父さん実は死にかけていたの。身体は元気なんだけど、事故の衝撃で多分頭かなり打ったんじゃないかな、奇跡的に出血はしてなかったらしいけど、全然意識が戻らなくて、10日間寝たきりだったの。だから、先生に今晩が山ですねって言われた時はあんた達小さいしどうしようかと思ったよ。みんな殺して私も死ぬしか無いかな〜とかね」

 笑いながらそう話す母だが、この人もなんだかんだ父の事が大好きな人間だ。あの時、死んだじいちゃんが父を返してくれなければ私は今ここに存在していないだろう。
 光はそれから見えなくなったが、私はそれから小学校二年生にあがる引越しまでの間、我が家にあったボロボロの神棚にお父さんを返してくれてありがとう。とお祈りしていた。

 神様はきちんと見ていたみたいだ。休みの日はパチンコで儲かるようにと出かける前は必ずお祈りしていた父が、さらにそれからお祈りを増やしたらしい。



 家族みんなの健康祈願。



 ただ、残念な事に願っていたパチンコで儲かるお祈りは殆ど効果は無かったような気がする。

 私も家に帰ったり、墓参りに行くときにいつも願う。
 お父さんを返してくれてありがとう。

 そして今は東京に出たので家族から離れてしまったがお参りに行くときにまた願う。家族全員の健康を。

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