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じゃがりこが教えてくれた大切なこと

とてつもなく久しぶりにじゃがりこを食べました。別にそんなにじゃがりこを好きだと思ったことはなかったのだけれど、久しぶりに食べるとそのあまりの美味具合に卒倒しそうなほどでした。じゃがりこもそうですけど、大概久しぶりに食べるととても美味しく感じますよね。

余談ですが、なにかの種類の食べ物を、久しぶりに食べて美味しくてガツガツ食べているところをうちの祖母に見られるともう終わりです。しばらくそれを私のために買ってきます。正直ずっと同じものを食べていると飽きます。昔、反抗期娘だった頃の私はそればっかり買ってこないで、と軽くキレていたものです。分かっていました、祖母の優しさなのです。孫が美味しいと食べているものをたくさん買い与えたくなる祖母の優しさです。ですが若い時は本当に愚かで、身内の少しズレた優しさは苛立ちを募らせる要因となっていました。優しくされればされるほどむしゃくしゃしてしまうのです。心の中の滑り台のてっぺんで構わないでくれと声を大にして叫んでしまいます。そうしてそのズレた優しさを、許容し、有難いと思える頃には大概その感謝すべき相手はいないのです。まぁうちの祖母はまだまだ生きていますがね。幸いなことです。

話は戻りますが、なんでもそうですよね。頻度が少ないものはとてもありがたく、素晴らしいものに感じます。押してダメなら引いてみろと言います。頻度の多すぎるアタックは効果が薄い。ギャップ萌え、なんても言います。通常とは違う、希な一面にやられてしまう。いつも優しい人よりも、たまに優しい人が持て囃されます。いつも優しい人の方が優しいし負担が大きいに決まっているのに(と、私は思います)。たまに優しくする人なんて身勝手なだけです、気が向いた時に優しくするだけなんですから(あくまで個人の感想です)。

本当に私はルーズリーフの穴以下です。身近にある、いつでも手にすることの出来るものにありがたみを感じることが出来ないのです。無いものに憧れ、希なものを尊びます。いくらお金がたくさんあっても呼吸ができなければ困ります。いくら恋人がいてもトイレのあとにケツを拭く紙がなければ困ります。呼吸ができること、トイレの後にケツを拭けることに感謝しなくてはと強く思いました。

ここまで読んでくださった方は本当にありがとうございました。

#ブログ #エッセイ #じゃがりこ #トイレ #ルーズリーフの穴

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