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幼稚園の友達

 友達ってどんな存在のなんだろう。そんなことを皆さんは考えたことがあるでしょうか。私は小学生、もしくは中学生になるまで考えたことがありませんでした。

 私が2歳の頃。当時両親は忙しく、特別に2歳から幼稚園に預けてもらっていました。迎えに来てくれるのは夕方の18時過ぎ。他の園児たちはとうに帰った後でした。迎えにくるまで幼稚園に待機させてくれるので、先生の部屋でテレビを見ながら待つ毎日がほとんどでした。

 そんな私に初めて友達ができたのは、その頃です。私と同じく2歳から幼稚園に入っていた男の子(Aくん)は、さらに同じく両親の迎えが遅いため、一緒になって先生の部屋で待っていることが多かったです。当時人見知りだった私はAくんと話すことがなかなかできませんでした。

 そんなある日、私がいつも通り先生の部屋で待機している時のことです。先生にお願いしてテレビのチャンネルを変えてもらい、当時好きだったデジモンを見させてもらいました。そうすると、Aくんもはっとした表情でテレビの方を向き、一緒にデジモンを観ました。Aくんもデジモンが好きだったようで、そこで私たちは初めて会話をしました。

 Aくんもデジモンが好きだったらしく、瞬く間に私たちは仲良くなりました。1つの趣味で意気投合し、持っているおもちゃで一緒に遊んだり、ごっこ遊びをしたりしました。Aくんとは住んでいる家も近く、休みの日も一緒に遊んでいました。

 卒園までAくんとは一緒に遊んでいて、進む小学校も同じ予定でした。人見知りの私は、仲の良いAくんと行く小学校は絶対に楽しい、そう思っていました。

 しかし、Aくんと同じ小学校に進むことはありませんでした。別れは一瞬で、卒園間際でAくんのお父さんの転勤が決定したのです。私は卒園式までその事実を知らず、知った時には泣きじゃくって卒園式どころではありませんでした。その事実を変えることはできない。それを子供ながらに理解していた私は、ただ泣くことしかできませんでした。純粋に別れを悲しんでいました。



 卒園式の際にAくんと撮った写真は今でも実家にとっておいてあります。たまに実家に帰ってその写真を見ては当時のことを思い出します。卒園式以来、2回しか会うことはできませんでした。しかし、間違いなく私の中では生涯で1番の友達です。

 大人になって気づきました。あれほどまでに純粋に、そして楽しく過ごせた友達はいないと。

 今ではAくんとは別の友達がたくさんいます。中には喧嘩をしたことがあり、お互いを嫌い合った過去がある友達もいます。同じ部活で波長が合った友達もいます。

 その中で、決して多くはない、側から見たら少ないかもしれませんが、今の私にはかつてのAくんのように純粋な気持ちで、インスピレーションを感じて仲良くなった友人が7人います。とても大切な友達です。地元で仲良くなった友達、インターネットを通じて仲良くなった友達です。とても楽しく、前向きな気持ちになれる不思議な友達です。

 私は絶対ではありませんが、なぜか自分が今話している相手が、自分に対してどのような感情を抱いているかわかってしまう瞬間があるのです。なにを言っているかわからないかもしれませんが、そんな瞬間があります。

 必ずわからないというのが、もどかしく、そして不思議な感覚になりますが、その感覚のおかげで仲良くなれたその7人の友達は、これからも大切にしていきたいと思っています。

 もしかしたらAくんはその感覚を、人見知りだった私に、別れと共に授けてくれたのかもしれません。もしくは2階のベランダから落ちて頭を打った時に得たものなのか。未だにわたしにはわかりません。

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