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プラスチック一枚隔てた向こう側  『日々は漠然とすぎていく』

※以下の記事は、自分が体験してきたことで湧き上がった感情をただひたすらに吐露しているだけのものになります。新型コロナウイルス感染症に関するすべての方々へ対する差別・批判などが目的ではありません。

※ただ、一個人として今まで感じたこと、思ったことを形にしたいと思い綴っています。今後非公開にしていく可能性も十分にあり得ます。

不快感を感じることがありましたら、速やかにブラウザバックをお勧めいたします。



プラスチック一枚隔てた向こう側のコロナ患者と毎日接して仕事をして、恐怖と不安にどれほど胃にダメージを受けようが、世界は淡々と日々を送っていく。無情。

私はいわゆる重度のオタクで、推しの舞台にライブ、イベントが無ければ生きていけない人種なのですが、コロナの影響は推し活人生へも大きな波をもたらした。

仕事を頑張るエネルギー源としていた舞台があった。

なんとか仕事をそこまで頑張れば、私はまた生きていける。そう思って歯を食いしばって生きていた。コロナが発生しはじめる前、公演が決定しチケットをもぎ取って喜びの舞を舞っていた。

先輩からの高圧的な態度、目的も意味もよく分からない学生のような課題。胃に穴が開いたのではないかと思うほどの胃痛と吐き気を抱えながらも、その舞台を支えに生きていたのだ。ちなみに胃カメラではなんの異常も無かった。解せぬ。

そんな中、唐突に発生した新型感染症は、あっという間に全国へ広がって、ついに推し舞台の公演を中止させるに至ったのである。

舞台の中止のお知らせを見て、泣いた。

帰宅途中、チケットの払い戻しの手続きをして、現金が手元に戻ってきて、泣いた。

帰宅後、今まで頑張る支えにしていた公演がなくなった事実を再度実感して大号泣した。

公演中止となったときには自分の病棟はとっくにコロナ病棟になっていて、自分もコロナ病棟の看護師だった。

もう言葉に表せないくらいショックで、今もその公演名を聞くとその時のショックがよみがえるので、再演のお知らせを喜ばしくもみることが出来ないほどだった。そんなショックを抱えながらも、「コロナに対応した自分が舞台を観劇に行くこと」はいけない事なのではないかと思っていたので、安心した自分もいた。でもやはり悲しいものは悲しくて、しばらくは出勤するだけでもしんどかった。

コロナ病棟で働いている以上はずっと、「コロナ病棟の看護師の自分が観劇することで推しに迷惑がかかるのではないか」という不安「なんでコロナ病棟で働いているだけでこんな負い目のような気持ちを抱えて推し活を充分に楽しめないまま生きていかなきゃいけないんだ」という思いを抱えている。

コロナは、仕事以外でも、唯一の心の支えさえも、奪っていく。

ひとつ、ぽきりと心が折れた瞬間がこの時だったのは間違いない。


でも、それは推し活に限った話ではない。


ある日、父から言われた。

「コロナにうつるから外に出たくない」

緊急事態宣言下の発言としては正しいことで何も間違っていなかった。

けれど、当時コロナの患者と毎日プラスチック一枚隔てた世界で仕事をしていた私の、崩れかけていたメンタルを抉るには十分だった。

身内の、ましては家族、父親から面と向かって何気ない会話の中で放たれた言葉もまた、心のよりどころとしての家族を私から遠ざけた。

幸い、母は一番の理解者ともいうべきか、崩れかけた私のメンタルを察することに長けていたから、「よりにもよってこの子の前でそういうこと言わないで」と父に言ってくれたことは救いだった。

そんな出来事もあってか、最近は、勝手に自分から父を少し嫌煙するようになってしまった。今までは父のことも大好きで一緒にゲームしたり外出することが楽しくてしょうがなかったが。

心のどこかで「この人も、コロナに直面する恐怖も不安もなにも知らないんだなぁ」と思ってしまうと、もう、なんだかダメだったのだ。

段々とコロナに関する規制なども緩和され、実家に帰る頻度が高くなった今でも、父とは、一方的にコミュニケーションの壁を感じてしまう。

私の生活は、心理面でも大きく変わった。

仕事が「コロナ病棟の看護師」に変化するだけでこんなにも楽しめなくなることが増えて。家族とも壁を感じることになるなんて、思ってもいなかった。

日々の、ちょっとした出来事さえも、憂鬱になった人間のそんな感情の殴り書き。


そんな父の、自営の仕事もコロナの影響でなくなり、実家の収入が母の収入だけで、50近い母が夜勤をしながらほぼ一人で家計を支えていることに私の胃が鞭を打たれストレスマッハになるのは、また別のお話。

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