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卒論の研究対象にした人物が「ローマ人の物語」で逆作画崩壊していて(腹筋が)死んだという話

 誰かに話したい。誰かに聞いてほしい。誰か聞いてくれーーーッ!!!

 さて、いまからうんと昔、ソシャゲとドカ食いにはまった底辺美貌と才気を誇るスーパー女子大生だった私は、卒論のテーマを決めなければいけない時期に突入していた

 私は文学部史学科西洋史専攻古代地中海世界ゼミ所属(呪文)だったので、古代地中海世界、つまりローマ帝国や古代ギリシア、ヘレニズム世界その他なにやら、つまり地中海をぐるりと取り巻く古代の世界についての卒業論文を書かなければいけなかった

 ただ、家の整理をしていたら今回書いた記憶がおぼろげながらあるようなないような内容の卒論を見つけて(著者欄に私の名前が書いてあるし、担当教授も私のゼミの先生なので、私の卒論だろう)、なんとなく当時の記憶を思い出した。

 一年生の時、課題でエドワード・サイードの『オリエンタリズム』を(高校生に毛の生えた人間に読ませる文章かよと泣き叫んだ)、二年生の時に課題でプラトンの『国家』を読み(難しすぎていっそ殺せと思った)、そこからとある疑問を抱いて古代地中海ゼミに入ったわけだが、私がその現象にマッチすると思った時代を取り上げようとしたところ、教授が古代ローマ後期をすすめてきたので研究対象を変更した。教授は日常ではのほほんとしていたが実際は強者だったのである。古代ローマ後期、そして研究対象として迫ることになったその人物は、私が疑問に思うその現象にマッチしすぎていた。
悪い意味で。(教授はバトエンが好きなのかもしれない)

 卒論の参考文献に、その論文をバリバリ使う羽目になったあるありがたい先生の、近年のある著作の帯が、まさにその現象のヤバさを表している。

「やんごとなき生まれの文人が政治に出遭う時、本人さえも予想もしなかったディストピアが開かれてゆく——。」

私はアレクサンドロスとかマルクス・アウレリウスとか、「ユートピア」だったほうの例を知りたかったのだが、教授はディストピアの例ばかり出してきた

 で、この研究対象ことユリアヌス(職業:ローマ皇帝、哲学者、ライター、背教者、異教復興活動運動の会理事長、アンティオキアを苛め抜き隊隊長、コンスタンティウス大帝の政治を許さない会会長etc)が偏屈で偏屈でウザくてウザくてもう隣でSHERLOCKのベネディクト・カンバーバッチよろしくすげーベラベラいらんことずーっと喋ってなまじ頭が良いために面倒臭い男であり、

つまりとっても面倒くさかったのであった。

 実際面倒くさい人だったかはわからないけれども、残された著作や業績などを見るにそうだったのであった。あぁ〜〜〜〜〜!!!ちょっとはだまってろ!!!と頭がおかしくなりそうだった。

 アラサーで死んだというのに著作も多く、
 アンティオキアの下々の者にヒゲを揶揄されて(※ユリアヌスはローマ皇帝の中では珍しくヒゲを生やしていた)マジギレした時に書いた「ひげきらい」、
 彼の推している皇帝のマルクス・アウレリウス帝がいかに素晴らしく、彼の大嫌いな伯父・コンスタンティヌス1世がいかにクソかを高らかに主張した「皇帝たち」、
 俺はこういう経緯で皇帝に即位するんだぜ!という生まれてこのかたいかに苦労してきたかを書いている「アテナイ市民宛ての書簡」、
 今は残っていないが、キリスト教徒がいかにクソかを書いた「ガリラヤ人を駁す
などなど、執筆経緯が愉快なものが多い。

 ユリアヌスの著作の特徴として、「私」という言葉を大量に使うと……卒論で参考にした資料の中に書いてあった気がする。つまり「私!」「私!!!」「私!!!!!!!!」と言われ続けてきたわけで

あああああああああああああああああああああああああああああああああ(発狂)

 そんな彼について、世界史リブレット・人の『ユリアヌス』において、日本における古代ローマ帝国研究の第一人者のひとりである南川高志先生は、ユリアヌスはローマ皇帝としては「逸脱」した行動を繰り返していたとしており、こう記している。

「そもそもギリシア人を自称した彼がはたしてどの程度『ローマ人』、そしてその国の皇帝であると認識していたかは、あらためて問題にされなければならないだろう。(p.101)」

「世界史リブレット・人『ユリアヌス』」南川高志

 そんな辛口なぁ……。でもわかる気がする。
 さて、そんな愛すべき頭でっかち皇帝とおさらばし、数年。

 少し前、塩野七生先生の「ローマ人の物語」の続きを読んだ。
 スッラのところまでは真面目な意味でもワクワク読めてたんだけど、カエサルのところになったらなんだか筆者の熱量が明らかにおかしくなり(ぞわぞわしてきた)(クレオパトラがあんまりにかわいそうだった。)、ハドリアヌスではユルスナールの名作「ハドリアヌス帝の回想」を「あたくし、書き直してみたの……」と書き直して妄想(ちょっと読んでて恥ずかしかった)するなど、お気に入り(???)の皇帝に対する熱量が尋常ではなく、もうなんか先生の発狂を楽しみに読んでるみたいな感じになり、ローマ帝国が「衰退(※衰退じゃないんだけどね)」するにあたって元気が無くなって発狂度合いが減り、エンジンが切れてる感じになり、ついていけなくなった塩野先生は、……私の研究対象をどう書いているんだろう。わくわく

 結果。

 脳内に雷が落ち、ヴェルディの「怒りの日」が鳴り響いた。
ドゥン!ドゥンン!ドゥンン!!!!
 私さん。いいですか、落ち着いて聞いてください。卒論対象が明らかに

逆作画崩壊してた

 何を言っているかわからないと思うが何はともあれ逆作画崩壊してた
 頭でっかちの偏屈皇帝ではなく、有能だけれども大きな力の前に敗れ去った高貴なイケメン皇子に見えた なんか……キラキラしてんな。まぶしいな……

「わたしはそれでも、帝国の存在意義とは、そこに住む人々の安全と繁栄を保証することに尽きるとの確信で行動してきた。権力を手中にして以後のわたしの政策も、すべてはこの目的を達成するために成さ(あまりのかっこよさとイケメンさに引用者が恥ずかしくなってきたので以下略)」

塩野七生『ローマ人の物語14 キリストの勝利』

ぐおあああああああああああああああ(赤面)

 こいつも塩野先生の推しに!!!!!!!!
 塩野先生が最大級に発狂している!! 母性が出ている! なんか舞い踊ってる感じがある!! なんだよ早く読んどくべきだったじゃねえか!!!!!

 うわああ……白馬に乗ってそうじゃん。むちゃくちゃかっこいいやつじゃん……ぐおおおお、脳内が、脳内が皇子になる!!悲運の皇子になる!!!!!!

 そんなわけで、脳内のユリアヌスの悲運の皇子化を阻止するため、ユリアヌスについて研究していた当時の本を読み返そうと思った先週であった。


**閑話休題** 以下、ローマ人の物語を楽しんでいる人には読んでは欲しくない文章なのだが。

 真面目な話をすれば、ローマ人の物語のこのユリアヌスの章において言えば、塩野先生の「歴史書じゃない」「小説じゃない」「随筆……でもない」「好きに書き散らす」というスタイルが、悪手に出ていると思った。実はこの時代は結構ホットな時代だからだ。参考文献もパラ見してみたが、ちょっと塩野先生がこの古代ローマ後期を理解するのを拒絶しているかのようなラインナップばかりで、逆に胸が痛んだ。
 古代ローマ後期研究において有力視されている古代末期という概念を塩野先生が何故か病的なほど拒絶してしまっているので、この時期のローマ社会の豊饒さについて描ききれておらず、「キリスト教の台頭によりあたくしたちのローマ帝国やローマ文化が滅びて……!!」という単純な図式に陥ってしまっているように感じる。実はローマ帝国もローマ文化も、何百年も続けば少しずつ変容していく。変容した先がキリスト教世界であり、イスラム教世界であった。そして、ユリアヌスの生きた時代は、様々な宗教や宗派や思想が入り乱れ混じり合う、かなり思想的も文化的にも豊かな時代だった。キリスト教の聖職者は古代ギリシア・ローマの思想を学び、逆に在来宗教の、特に皇帝であるユリアヌスはキリスト教が寄付を募って宿泊施設や病院の原型のようなものを作り、病人や困った人を救済するシステムに興味を示していたらしい(冒頭で挙げた「ユリアヌスの信仰世界」より。)
 それを塩野先生が受け入れられていないんじゃないかと感じた。
 「物語」としてはそれでいいのかもしれないが、「ローマ人」を見つめ続けるにあたって、じゃあ塩野先生の「ローマ人」とはなんなのか、非常に疑問に思った。奇しくも先生も書いておられたが、カエサルの時代とユリアヌスの時代は違う。だいたいその間、四百年くらい。安土桃山時代の「日本人」を令和の我々に求めるようなものだ。
 だけれど、カエサルの時代の「ローマ人」をユリアヌスの時代の「ローマ人」に求めているのは心が痛んだ。
 だいたい、首都のコンスタンティノープル、ビテュニアなど現在のギリシア周辺にすみ、哲学を愛好するユリアヌスは自分を「ギリシア人」だと思っていた。そう、首都はローマだけではなくなっていた。皇帝は常に移動し、皇帝の座所が「首都」となっていた。本当に、ローマ帝国は、変容していたし、変容するのが当然な年月を成立からへていた。

 ずっと18世紀のエドワード・ギボンの世界観ばかりを胸に抱いて、ビザンツ帝国を見ようとしないのは、苦しかった。ギボンでさえビザンツ帝国を書いているのに。

 あと、「キリスト教の台頭によりry」説で押し通すのであれば、最後を飾るべきは、もうすでにキリスト教を受け入れることが既定路線だったローマ帝国そのもののあり方に関してはあまり影響を及ぼさなかったアンブロジウスでは役不足に感じた。
そこは、「ローマ帝国は滅んでも、神の国は滅ぶことがない」と主張し、ゲルマン民族に攻められてボロボロになりゆくローマ帝国民に喝を入れ、「ヴァチカン」の基礎理念を確立したキリスト教最大の天才・アウグスティヌスであるべきだったと思う。


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