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まったりと過ごす。~老荘思想の実践~

なんか、最近ゆっくりできてないな。なんて感じる人も多いのではないでしょうか。それは、現代社会が抱える「忙しさ」という病が原因でしょう。

テクノロジーの進歩に伴い、私たちの生活は便利で効率的なものになりました。しかし皮肉なことに、便利になるほど私たちは「忙しい」という言葉を口にするようになりました。

いつも時間に追われ、複数のタスクを同時にこなそうと奮闘する毎日。もはや「忙しい」と言うことがステータスであるかのような錯覚に陥っている人もいるかもしれません。

しかし、この「忙しさ」という病は、私たちの心身を蝕んでいます。ストレスや疲労が蓄積し、心身の不調を訴える人が増えているのが現状です。

そこで、老荘思想の「無為自然」という考え方が、現代人の心を救う鍵となるのです。川が自然に流れ、草木が自然に成長するように、私たちも自然の流れに沿って生きていく。無理せず力を抜いてあるがままの自分を受け入れる。そんな「無為自然」な時間を取り戻すことで、私たちは心にゆとりを持てるようになります。

老子荘子は、約2500年前の中国古代の思想家です。彼らの残した言葉や思想は、現代を生きる私たちに、「まったり」という心地よいキーワードを提示してくれます。老荘思想は中国の春秋戦国時代に生まれた「道家」の思想です。老子の『老子』と荘子の『荘子』という書物が、この思想の根本をなしています。この老荘思想の核心を一言でいえば、「無為自然」という言葉に集約されます。

無為自然(むいしぜん)-無理せず自然の流れに沿って生きる

この「無為自然」という言葉が、まさに「まったり」過ごすためのキーワードとなるのです。

この記事では、老荘思想を現代に生きる私たちが「まったり」過ごすための知恵として捉え直し、その実践方法を考察していきます。



記事のポイント

第1章: まったり過ごすための心構え

「無為」とは何か?何もしないことの難しさ

老荘思想の根本である「無為自然」という言葉。その前半部分の「無為」とは、どういう意味なのでしょうか?

無為(むい)-何もしない自然のままに任せる

一見、何もしないことは簡単なことのように思えます。
しかし、これは非常に難しいことでもあるのです。特に現代社会では、「何もしない」という状態を罪悪だと感じるように仕向けられている節すらあります。例えば、休日に家でゴロゴロしていると、「もったいない」「時間を有効活用しなければ」という考えが頭をよぎったりしませんか?

このように、常に何かに追い立てられているかのような感覚こそが、現代社会が抱える「忙しさ」という病の症状なのです。

では、老荘思想における「無為」とは、本当に何もしないことなのでしょうか?

「自然」に逆らわない、流れに身を任せる心

「無為」という言葉をより深く理解するために、老荘思想のもう一つのキーワードである「自然」という言葉に注目しましょう。

老荘思想における「自然」とは、人工的なものではない、本来の自然なあり方を意味します。例えば、川の流れは自然です。川の流れは、決して無理をして逆流しようとはしません。

水は低い方へと流れ、障害物があれば、それに沿って流れを変えます。また、草木の成長も自然です。草木は、自らを飾り立てたり、背伸びしたりしません。自然の流れに沿って、ゆっくりと成長し、花を咲かせます。

このように、「自然」とは、物事が本来持っている性質に従って無理せず自然に振る舞うことなのです。

自分らしいまったりを見つける: 老荘的自己発見

老荘思想は、この「無為」と「自然」の組み合わせを通して、私たちに「自分らしくまったり過ごす」ことを提案しているのです。

しかし、自分らしいまったりとした時間の過ごし方を見つけるのは、簡単なことではないかもしれません。なぜなら、私たちは社会的な役割や責任を負い、時には無理をしてでも頑張らなければならないと教えられてきたからです。

そこで、まずは自分自身を見つめ直し、自分らしいまったりを見つけるためのヒントを、老荘思想から探っていきましょう。

第2章: まったり過ごすための環境づくり

「引きこもり」と「隠遁」の違いとは?

老荘思想では、一人で過ごす時間を大切にします。一見すると、これは現代で問題視されている「引きこもり」を肯定しているように思えるかもしれません。

しかし、老荘思想における一人で過ごす時間は、「引きこもり」とは一線を画します。では、その違いはどこにあるのでしょうか?

「引きこもり」とは、主に社会的な問題として捉えられます。社会への不安恐怖から、自らを社会から隔絶し、家の中に閉じこもる状態を指します。

一方、「隠遁」は、老荘思想における一人で過ごす時間の表現として使われることがあります。「隠遁」とは、自らの意志で世俗を離れ一人で静かに暮らすことを意味します。

老荘思想における「隠遁」は、自己を見つめ直し自然と向き合うために行われる積極的な行動なのです。

老荘思想から学ぶ、快適な巣作り

老荘思想的に過ごすためには、一人でまったりできる空間が必要です。それは、いわば「巣」のような場所です。

では、どのような環境が「まったり」に適しているのでしょうか?まず、老荘思想のシンプルライフを意識しましょう。老荘思想では、無駄なものを排除し、自然を感じられる空間づくりを大切にします。余計なモノを減らし、シンプルで自然な空間を作ることで、心に余裕が生まれます。

例えば、部屋の中に自然を取り入れる工夫をしてみましょう。観葉植物を置いたり、自然光を取り入れたり、窓から見える景色を楽しめるようにしたり。部屋の中で、自然と繋がっていると感じられる空間作りが、心を癒してくれるのです。

デジタルデトックス: ネット社会で心を保つ方法

現代社会において、私たちはネットやSNSに囲まれて生活しています。これらは便利なツールですが、時に私たちの心を乱す原因にもなり得ます。ネットやSNSは、情報過多な環境を作り出し、私たちを常に忙しくさせます。

SNS上での人間関係や、情報の洪水に飲み込まれ、疲弊してしまうこともあるでしょう。そこで、デジタルデトックスを実践してみましょう。デジタルデトックスとは、ネットやSNSから一定期間距離を置くことです。

完全にオフラインになる時間を作り、現実の世界に没入することで、ネット社会で失われがちな心の平穏を取り戻すことができるのです。

第3章: 老荘思想とまったりした時間

老子と荘子のエピソードに学ぶ

老荘思想の代表格である老子と荘子。彼らのエピソードには、笑いと癒し、そして「まったり」のヒントが隠されています。

老子は、伝説的な人物であり、その実在性には諸説あります。彼は、周の王室の書庫官であったと言われ、後に役人を辞めて西へと旅立ったと伝えられています。

荘子は、姓が荘、名が周だったことから、荘子と呼ばれるようになりました。彼は、養蚕を仕事としていたとも言われ、生涯を通じて仕官の誘いを断り続けたと伝えられています。

彼らのエピソードには、権力者や世間に対する皮肉ユーモアが込められており、その奥には「まったり」の真髄が隠されているのです。

「釣り」と「琴」と「酒」: 老荘的趣味のススメ

老荘思想と親和性の高い趣味とはどのようなものでしょうか?ここでは、「釣り」と「」と「」という3つの趣味を取り上げたいと思います。

まず、「釣り」は、老荘思想の「無為」を体現する趣味と言えるでしょう。釣りは、自然の中で一人でじっと魚がかかるのを待つ時間です。その間、釣り人はただ自然を眺め、風の音を聞き、川の流れを感じます。釣果を気にせず、自然の中で静かな時間を過ごすことは、「無為」の精神に通じるところがあるのです。

次に、「琴」は、古来中国で愛された楽器です。荘子は、琴を奏でることを好んだと伝えられています。荘子が琴を奏でる理由は、とても老荘思想的です。彼は、琴を通して「大道」を表現しようとしたのです。それは、技術を誇示するのではなく、自然な音色を通して宇宙の調和を表現することでした。

最後に、「酒」は、老荘思想において重要な意味を持ちます。老荘思想では、酒を嗜むことが、俗世間を離れ自然な自分を取り戻すきっかけになるとされます。適度な酒は心を解放し、無為自然な境地に導いてくれるのです。

これらの趣味をヒントに、老荘思想的な「まったり」を実践してみてはいかがでしょうか?

ひとり時間を楽しむ: 孤独という贅沢

老荘思想は、一人で過ごす時間を肯定します。これは、現代社会で言う「孤独」とは異なります。老荘思想における一人で過ごす時間は、孤独というよりは「孤高」という表現がふさわしいかもしれません。

現代では、一人で過ごすことに不安や寂しさを感じる人もいるかもしれません。しかし、老荘思想では、一人だからこそ味わえる自由豊かな時間を享受することを提案します。一人で過ごすことで、私たちは自分自身と向き合い内省する時間を持つことができます。自分を見つめ直し、自己探求する時間は、自己成長にも繋がります。また、周囲の目を気にせず、自由気ままに振る舞うことができるのも、一人で過ごす時間の醍醐味でしょう。

一人ぼっちではなく一人であることを楽しむ。孤独という贅沢を味わいながら、自分らしい「まったり」を見つけていきましょう。

第4章: まったりした人間関係を築く

「無為」な付き合い: 距離感が心地いい

老荘思想の「無為」の精神は、人間関係にも応用できます。無理せず自然な距離感を保つことで、心地よい人間関係を築くことができるのです。

人間関係において、「無為」を実践するとはどういうことでしょうか?

それは、群れず媚びず自然体の自分でいることです。周囲の人々に合わせるのではなく、自分のペースで付き合い、時には一人でいることも厭わない。そんな付き合い方が、「無為」な人間関係を築くコツと言えるでしょう。

老荘思想では、群れることを好みません。それは、群れることで個人の自由が制限され、無理が生じるからです。自然な距離感を保ち、お互いに縛り付けない付き合いを心がけましょう。また、媚びることもしません。

権力や地位に阿らず自然な人間関係を築くのです。媚びへつらうのではなく、率直に意見を述べ相手を尊重しながらも、自分の意見を主張することを忘れません。このように、「無為」な付き合いをすることで、心地よい人間関係が生まれ、より「まったり」した時間を過ごすことができるのです。

交友関係も自然体: 人生を豊かにする交友関係

老荘思想では、友との出会いを大切にします。老子は「人との出会いは、得るものもあれば、失うものもある。しかし、それでいいではないか」と語ります。老荘思想において、友との付き合いも柔軟です。

荘子の考える交友関係は、自然な出会いを大切にしながら、人生を豊かにしてくれるものを指します。無理をして友を作り維持するのではなく、自然な流れの中で出会った友を大切にすることです。友との付き合いもまた、「無為」の精神で臨みましょう。友を選ぶ基準は、無理なく付き合えるかどうか。自分のペースを乱さず自然体で付き合える友こそが、真の友なのです。

また、老荘思想では、友との付き合いは、酒を酌み交わしながら共に自然を楽しむことを理想とします。気の合う友と酒を飲み交わし、自然の美しさや不思議さについて語り合う。そんな時間は、人生を豊かに彩ってくれるでしょう。

オンライン時代の「縁」: SNSとの上手な付き合い方

現代では、SNSを通じて広がる人間関係も無視できません。オンライン上での繋がりは、老荘思想的にどう捉えられるのでしょうか?

SNSは、物理的な距離を超えて多くの人と繋がることを可能にしました。老荘思想では、縁を大切にします。

オンライン上での出会いもまた、縁の一つと言えるでしょう。しかし、SNSは、時に私たちを翻弄します。フォロワー数いいねの数に一喜一憂し、他者と比べてしまうこともあるでしょう。

これは、老荘思想の「無為」の精神に反します。SNSとの上手な付き合い方とは、距離感を保つことかもしれません。オンライン上での繋がりに振り回されず、適度な距離を保ちながら、新しい「縁」を大切にすることです。

情報過多なSNS社会で、自分らしい「まったり」を保つためには、時にはSNSから距離を取り、自分を見つめ直す時間も必要なのです。

第5章: まったりしながらも成長する

「無為」は怠惰ではない: 自然な成長を信じて

「無為」という言葉を聞くと、何もせず、怠けているイメージを持つ人もいるかもしれません。

しかし、老荘思想における「無為」は、決して怠惰を奨励しているわけではありません。「無為」とは、自然な成長を信じて無理せず自然体のまま生きていくことを意味します。それは、背伸びせず無理をせずあるがままの自分を受け入れることから始まります。周囲と比べて、焦ったり、無理に自分を追い込んだりする必要はありません。

老荘思想では、個性を尊重し、それぞれの成長を認めます。人にはそれぞれの成長のペースがあり、花を咲かせる時期も異なります。自然な成長を信じて無理せず自然体のまま生きていきましょう。

「物化」から学ぶ、自分らしく咲き誇る方法

老荘思想では、「物化」という言葉が使われます。「物化」とは、万物がそれぞれの役割を果たし自然に花を咲かせることを意味します。草木は、他の草木と比べることなく、自らの役割を果たし自然に花を咲かせます。それは、見栄を張ったり背伸びしたりすることなく、自然体で咲き誇る姿です。

私たちもまた、他の誰かと比べる必要はありません。自分らしく自分のペースで成長し、花を咲かせることが大切です。「物化」の考え方は、自分らしく咲き誇るためのヒントを与えてくれます。

周囲に流されることなく自分らしい生き方を貫くことで、自然と調和した豊かな人生を歩むことができるのです。

第6章: まったり流、仕事との向き合い方

「為さずして成り、思わずして功を奏す。」

老荘思想は、仕事のあり方についても独自の視点を提供してくれます。老子は「為さずして成り、思わずして功を奏す。」と述べています。自然の流れに従い、無理に行動を起こさなくても、物事は自ずと成就する。過度な思考や計算によらず、自然の流れに身を任せることで、目的を達成できる。と言っています。

そんな簡単にいくわけない、と思った方は要注意。そんな簡単にいくわけないような仕事は、そもそもあなたに無理が発生している仕事なのかもしれません。また、初動で仕事の仕組みやフローを作ってしまえばあとは流れに身を任せることができるとも解釈できます。そんな考え方を老荘思想は示唆しているのです。

仕事と距離をとる: 老荘的ワークライフバランス

老荘思想では、仕事と一定の距離を保つことを奨励します。それは、ワークライフバランスの老荘版とも言えるでしょう。仕事に没頭しすぎず、仕事以外の時間を充実させる。仕事で得た収入を、仕事以外のことに投資し、人生を豊かにするのです。

例えば、仕事以外の時間を趣味や教養、人付き合いに費やすことで、仕事では得られない充実感や達成感を得ることができます。これは、仕事一辺倒の生き方では味わえない、老荘思想的なワークライフバランスの醍醐味と言えるでしょう。

「小人」と「大人」: 人間関係に振り回されないコツ

老荘思想では、人間の性質を「小人」と「大人」の2種類に分けて考えます。この区別は、仕事における人間関係に振り回されないコツを教えてくれます。「小人」とは、小心目先の利益を追う人のことです。自らの利益のために策略を巡らせ権力者に媚びへつらう傾向があります。

一方、「大人」とは、心が大きく万物と一体感を持つ人のことです。小さなことにこだわらず、広い心で物事を捉えます。職場には、様々なタイプの人がいます。

老荘思想では、この「小人」と「大人」の区別を通して、職場の人間関係に振り回されないコツを教えてくれます。「小人」に振り回されず、「大人」を目指しましょう。広い心で物事を捉え、小さなことに一喜一憂せず泰然自若として仕事に取り組む。それが、老荘思想的に仕事をこなすコツなのです。

第7章: まったりした老後を過ごす

老荘思想と長寿伝説

老荘思想と長寿は、深い関わりを持っています。老子と荘子、この二人の賢人には、長寿にまつわる伝説が存在します。老子は、不老長寿の仙人に弟子入りし、その秘訣を学んだと伝えられています。長寿を全うした後、生きながらにして天に昇ったという伝説もあります。

荘子もまた、不老長寿の仙人の逸話を好んで語りました。長寿を達成した仙人たちの生き方に憧れを抱いていたと言われています。老荘思想では、長寿はゴールではなく、老いてもなおまったりとした時間を楽しむための手段と捉えられていました。

老後を楽しむ心得: 第二の人生をまったり生きる

老後は、まったり過ごすための時間が増える時期でもあります。老荘思想から学ぶ、老後を楽しむ心得をご紹介しましょう。まず、老後は第二の人生の始まりと捉えましょう。仕事から解放され、自由な時間が増える老後は、まったり過ごすには絶好の機会です。

老荘思想では、老後を自然と調和しながら、自分らしい時間を楽しむことを奨励します。自然を愛で静かな時間を楽しむ。そんな老後を過ごすことで、第二の人生を豊かに彩ることができるのです。

また、老荘思想では、老後を自分を見つめ直す時間と捉えます。長寿を全うした老子と荘子のように、自分の人生を振り返り、その経験を次の世代に伝えることも、老後の意義の一つと言えるでしょう。

「死生観」を養う: 死と向き合うことで得られるもの

老荘思想では、死を恐れず、自然な流れとして受け入れます。老荘思想における死生観を養うことで、残された時間をより大切に、まったりと過ごすことができるのです。

老荘思想では、死は悲しみや恐怖の対象ではありません。死は、自然な流れの最終地点であり、自然に帰るプロセスと捉えます。死生観を養うことで、私たちは死を受け入れ、生をより深く味わうことができるようになります。死を意識することで、今を生きることの尊さや喜びを実感できるのです。

老荘思想の「無為自然」な生き方は、死を意識することでより深みを増します。死と向き合うことで、生をより鮮やかに感じ、まったりとした時間をより有意義に過ごすことができるでしょう。

終章: まったり過ごす、その先に見える世界

老荘思想が教える、本当の豊かさ

本当の豊かさとは何か。物質的な豊かさを超えた心の豊かさだと老荘思想は教えてくれます。老荘思想では、無理我慢をせず、自然体のまま生きることを奨励します。それは、ありのままの自分を受け入れ、飾り立てる必要のないシンプルな生き方です。

「無為自然」な生き方は、自分らしく肩の力を抜いて過ごすことを教えてくれます。見栄を張ったり、虚勢を張ったりする必要はありません。自分らしく自然体のまま生きることが、本当の豊かさに繋がるのです。老荘思想は、無理我慢をせずとも、自然と調和しながら、心豊かに生きるための知恵を与えてくれるのです。

「道」との一体感: 自分を超えたものとの繋がり

老荘思想の根底には、「」という概念があります。「道」とは、宇宙の根源的な法則であり、万物の運行を司るものです。

老荘思想では、個を超えた大きな流れである「道」との一体感を味わうことで、個人の小さな悩みや苦しみを超えた安らぎを得ることができると考えます。「道」との一体感を味わうとは、自分を超えた大きな流れと繋がることです。それは、個としての自分を忘れ万物と調和した状態と言えるでしょう。老荘思想は、個を大切にしながらも、同時に個を超えた世界との繋がりを説くのです。

まったりしながらも、世界と一つになる

老荘思想は、個を重視しながらも、個を超えた世界との繋がりを忘れません。このことは、現代社会において、個人の自由権利が尊重される一方で、世界との繋がりを失いつつある私たちに、重要な気づきを与えてくれます。私たちは、一人で生きているわけではありません。家族友人社会自然など、様々な繋がりの中で生かされているのです。

「まったり」過ごすことは、一見すると個人の自由快楽を追求しているように見えます。

しかし、老荘思想は、個人の自由を尊重しながらも、個を超えた世界との繋がりを忘れません。「まったり」しながらも、世界と一つになる。それは、個としての自分を忘れず同時に個を超えた大きな流れの中で生かされていることを自覚することなのです。

老荘思想の「無為自然」な生き方は、私たちを個を超えた世界へと導き心を豊かに人生をより深く味わうことを教えてくれるのです。


おわりに

この記事では、老荘思想を現代に生きる私たちが「まったり」過ごすための知恵として捉え直し、その実践方法を考察してきました。老荘思想の「無為自然」な教えは、現代社会で忙しく生きる私たちに、心にゆとりを取り戻し、自分らしい生き方を見つけるためのヒントを与えてくれます。

老荘思想的な「まったり」とは、無理我慢をせず、自然体のままあるがままの自分を受け入れる生き方です。それは、シンプルで、飾り気のない、素朴な生き方とも言えるでしょう。

「まったり」ライフを満喫していきたいですね!

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