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量子力学の世界は不思議がいっぱい

私たちの日常生活は、古典物理学が教えてくれた常識の上に成り立っています。りんごが木から落ちるのを見れば、万有引力の法則を思い出すでしょう。台球の玉がレールに沿って転がる様子は、ニュートン力学そのものです。

しかし、物質の究極の姿に迫ろうとすると、そこには全く異なる世界が広がっているのです。原子や分子、素粒子からなる「ミクロの世界」。そこでは、古典物理学の常識は通用しません。

量子力学は、そんなミクロの世界を記述する物理法則です。量子力学の登場は、物理学に留まらず、私たちの世界観そのものを根底から覆すような出来事でした。

不確定性、重ね合わせ、量子もつれ......。量子力学が明らかにしたのは、私たちの「常識」からはかけ離れた、不思議な現象ばかりです。観測するまで物理量は確定せず、粒子は複数の状態の「重ね合わせ」として存在し、離れた粒子同士が瞬時に影響を及ぼしあう。まるで、「不思議の国のアリス」の世界に迷い込んだかのようです。

この本を読み進めていくうちに、みなさんはきっと、不思議の国のアリスのような戸惑いを感じることでしょう。目の前に広がるのは、いったい何なのか。そこで求められるのは、私たちの「常識」を一旦置いておく勇気かもしれません。

でも、ご安心ください。量子の国の不思議は、単なる空想ではありません。量子力学は、半導体や レーザー、MRI など、現代社会を支える数々の技術を生み出してきました。また、量子コンピュータや量子暗号など、未来を変える可能性を秘めた分野の基礎となっているのです。

量子力学は難しい?いえいえ、大丈夫です。ここでは数式をできるだけ使わず、比喩やイラストを交えながら、文系学生にもわかるように説明していきます。

さあ、古典物理学の安全地帯から一歩踏み出しましょう。目の前に広がる量子の国。そこには、自然界の美しさと不思議が満ちています。


概要

第1章 古典物理学の夢と覚醒

1  ニュートンの万有引力と決定論の世界

りんごが木から落ちるのはなぜでしょう?そう、万有引力のためですね。
万有引力の法則は、アイザック・ニュートンが発見しました。地上の物体が落下するのも、月が地球の周りを回るのも、すべては万有引力のおかげだというのです。

ニュートンの力学は、宇宙を一つの巨大な機械とみなします。歯車がかみ合って動く精巧な時計のように、宇宙では全ての出来事が厳密な物理法則に従って生じている。未来は、過去の状態から正確に計算できる。これを「決定論」と呼びます。

ニュートン力学こそが、近代科学の幕開けを告げる革命でした。パラダイムシフト。それまでは神の意志や運命に委ねられていた自然現象が、数式という人間の言葉で記述できるようになったのです。

でも、ちょっと待ってください。ニュートンの描いた世界は、本当にすべてを説明できるのでしょうか?台球の玉の動きは計算できても、原子の中まではどうかな?

2 マクスウェルの電磁気学と光の謎

19世紀半ば、物理学者のマクスウェルは、電場と磁場に関する方程式を完成させました。「マクスウェル方程式」の誕生です。
マクスウェル方程式から導かれる重要な帰結は、光が電磁波の一種だということ。電場と磁場が空間を伝わる波、それが光だったのです。

でも、光の正体はそれだけではありませんでした。19世紀末から20世紀初頭にかけて、物理学者たちは光の不思議な性質に気づき始めます。
光電効果もその一つ。ある金属に光を当てると、電子が飛び出す現象です。でも、光の強さを上げても、電子の運動エネルギーは大きくならない。古典物理学にとって、頭の痛い問題でした。

3 熱力学の登場と統計的な見方

ニュートン力学は、個々の物体の運動を決定論的に記述します。一方、19世紀に登場した熱力学は、巨視的な系の性質を統計的な見方で捉えました。
熱力学で中心的な概念となるのが、エントロピーです。エントロピーとは、ざっくり言えば「乱雑さ」の尺度。孤立系のエントロピーは、決して減少しないというのが、熱力学第二法則です。

この不可逆性は、ミクロな粒子の振る舞いを統計的に扱うことで説明されます。一杯のコーヒーに、ミルクを垂らす実験を想像してみましょう。コーヒーとミルクが混ざり合うのは、ミルクの分子が無秩序に運動するから。この混合は、自然に起こるけれど、その逆は起こらない。分子のランダムな運動が、マクロなエントロピー増大をもたらすのです。

エントロピーの法則は、時間の矢の向きを教えてくれます。未来と過去。コーヒーとミルクの混合は、過去から未来に向かう変化。でも、ニュートン方程式は、過去と未来を区別しません。なんだか、釈然としませんね。

こうして19世紀末には、世界の見方がぐらつき始めていたのです。説明できない現象が積み重なり、パズルのピースがどうしてもはまらない。物理学者たちは、行き詰まりを感じ始めていました。

でも彼らは、諦めませんでした。ミクロの世界を解き明かす鍵を探し求めて。

第2章 ミクロの世界への冒険

1 原子説の復活と不連続性の発見

気体分子運動論とブラウン運動
19世紀に入ると、原子論が再び脚光を浴びるようになります。その立役者の一人が、ルートヴィヒ・ボルツマンです。
ボルツマンは、気体の振る舞いを分子の運動に基づいて説明しました。気体の温度は、分子の運動エネルギーの平均値に他ならないのです。

分子の運動は目に見えませんが、間接的な証拠はありました。花粉を水に浮かべてみましょう。花粉が水の中でブルブル震える様子が見えるはずです。これがブラウン運動。水分子の熱運動に弾き飛ばされて、花粉が不規則に動くのです。

ブラウン運動は、目に見えない原子・分子の存在を示唆する現象でした。花粉を動かすほど小さな粒子が、私たちの周りには無数に存在している。そう考えれば、ミクロな世界の神秘が垣間見えてきます。

陰極線から電子が飛び出した
原子の存在を確信させたのが、陰極線の実験です。ガラス管に電極をつなぎ、中を真空にして高電圧をかけます。すると、陰極(マイナスの電極)から何かが飛び出してくるのです。

陰極線の実体を解明したのは、ジョゼフ・トムソン。磁場や電場を使って陰極線を曲げる実験から、陰極線が負電荷を帯びた粒子の流れであることを突き止めました。その粒子こそ、電子だったのです。

電子の発見は、原子という最小単位がさらに分割できることを意味していました。原子は何かより小さな粒から成り立っている。19世紀までの「分割不可能な原子」という考え方は、覆されたのです。

原子核の発見とラザフォード模型
陽電荷を帯びた重い粒子の存在を発見したのは、アーネスト・ラザフォード。彼は、金箔に高速の粒子をぶつける実験を行いました。
すると、ほとんどの粒子は金箔をまっすぐ通り抜けるのに、ごくまれに大きく跳ね返る粒子があったのです。これは、原子の中心に非常に重い粒子が存在することを示唆していました。

こうして、原子の中心には原子核があり、その周りを電子が周回している、というイメージが確立しました。原子核は正電荷を帯びた陽子から成り、電子は負電荷を帯電。それらが電気的に結びついて、原子という「ミニ太陽系」を形作っているのです。

でも、ここでまた新たな疑問が生じました。電子が原子核の周りを回れば、エネルギーを失って原子核に落下してしまうはず。古典電磁気学によれば、原子は不安定で存在できないことになるのです。

原子という大前提は揺るがなかったけれど、その安定性を説明する新しい理論が必要とされていました。

2 量子の誕生 〜 エネルギーは離散的?

黒体放射とプランクの量子仮説
19世紀末、黒体放射をめぐって、物理学者たちは頭を抱えていました。黒体とは、当たった光をすべて吸収する理想的な物体のこと。加熱すると、赤外線から可視光、紫外線へと、黒体から放射されるスペクトルが変化していきます。

問題は、黒体放射の波長分布を古典物理学で計算すると、現実とは大きくかけ離れること。理論では、短い波長ほど無限大のエネルギーを放出することになってしまうのです。

実験結果と理論のギャップに悩んでいたのが、マックス・プランク。彼はある仮説を立てることで、この難問を解決します。
その仮説とは、原子の振動エネルギーが連続的ではなく、飛び飛びの値(離散的な値)しかとらない、というもの。 エネルギーの最小単位のことを、プランクは「量子」と呼びました。

エネルギーの量子化。今から振り返れば、それが量子革命の第一歩だったのです。でも当時のプランクは、それを便宜的な仮説程度にしか考えていませんでした。

光電効果を説明したアインシュタイン
プランクの量子仮説に、真の物理的意味を与えたのは、アルバート・アインシュタインでした。
1905年、アインシュタインは光電効果の説明に量子仮説を適用します。金属に当てる光の振動数(波長の逆数)がある値より小さいと、いくら光を強くしても電子は飛び出さない。逆に、振動数がある値を超えると、光が弱くても電子は飛び出す。

アインシュタインは、「光は粒子(光量子)としての性質を持つ」と考えることで、この不思議な現象を説明したのです。光量子の持つエネルギーは、振動数に比例する。金属から電子を叩き出すには、ある一定のエネルギーが必要なのです。

光が粒子だなんて、当時の物理学者は耳を疑ったことでしょう。光の回折や干渉といった現象は、光が波だからこそ説明できるのに。

それでもアインシュタインは、光量子の考えを信じ抜きました。「直感」という言葉がふさわしいかもしれません。後に彼は、「私は、自然を観察することによってのみ、物理法則に到達できると信じている」と語っています。

電子の軌道は「量子化」されている
量子仮説は、原子スペクトルの謎解きにも決定的な役割を果たしました。
原子を加熱すると、赤や青、緑など、色とりどりの輝線スペクトルが現れます。しかしその光は、特定の波長に限られているのです。原子から出てくる光のエネルギーは、ある値しかとらないようなのです。

ニールス・ボーアは、電子軌道に量子の考えを持ち込みました。電子は原子核の周りを回るとき、その軌道は連続的ではありません。ボーアは、電子のエネルギー準位が「量子化」されていると考えたのです。つまり、電子は核から一定の距離の軌道上しか回れない。まるで、はしごの段を一段ずつ上るように。

電子がエネルギーの低い軌道から高い軌道に移るときは、光のエネルギーを吸収します。逆に、高い軌道から低い軌道に戻るときは、光を放出する。吸収・放出される光のエネルギーは、軌道のエネルギー差に等しいのです。
ボーアの原子模型は、スペクトル線の波長を驚くほど正確に再現しました。水素原子から放たれる光の波長は、ボーアの理論式から計算した値とぴったり一致したのです。

ボーアの功績は、古典物理学の描像を借りつつ、量子の考え方を電子軌道に持ち込んだことにあります。でも、なぜ電子軌道は量子化されるのか。その理由は、まだ誰にもわかりませんでした。

3 波と粒子の奇妙な世界

コンプトン効果と光子の運動量
光の粒子性を決定づけたのが、アーサー・コンプトンの実験でした。
コンプトンは、X線の散乱を調べることで、光子が電子に運動量を与えることを発見します。運動量は「質量×速度」で定義される物理量。つまり光子は質量を持ち、粒子のように振る舞うのです。

コンプトン効果によって、アインシュタインの光量子仮説が正しいことが証明されました。光子の概念は、物理学に確固たる地位を得たのです。でも同時に、これは新たな謎の始まりでもありました。

ド・ブロイの物質波とダビソン・ジャーマーの実験
1924年、ルイ・ド・ブロイは、光と物質の対称性に着目します。光は粒子であると同時に波でもある。ならば、物質も粒子であると同時に波ではないだろうか?
ド・ブロイの仮説は、当時の物理学者を驚かせました。電子が波だなんて、誰が信じられるでしょうか。

しかし、ド・ブロイの予言は見事的中します。1927年、クリントン・ダビソンとレスター・ジャーマーは、ニッケル結晶に電子線を当てる実験を行いました。すると、結晶の原子が規則正しく並んでいるために、電子線が回折を起こすのです。

電子線の回折。それは、電子が波としての性質を持つことを如実に示す現象でした。ダビソンとジャーマーの実験は、ド・ブロイ仮説を見事に検証したのです。
こうして、電子をはじめとする物質粒子は、光と同様に波動性と粒子性の二重性(波動・粒子の二重性)を持つことが明らかになりました。

不確定性原理 〜 ミクロの世界のあいまいさ
波と粒子の二重性は、私たちの常識を根底から覆すものでした。そしてそれは、ミクロの世界の不思議を凝縮した原理へとつながっていきます。
1927年、ヴェルナー・ハイゼンベルクは、「不確定性原理」を提唱しました。それは、「粒子の位置と運動量を同時に正確に測定することはできない」という原理です。

例えば、電子の位置を精密に測ろうとすれば、強い光を当てなければなりません。しかし、光子のエネルギーは電子に影響を与え、電子の速度(運動量)を変えてしまう。つまり、位置を正確に測ろうとすればするほど、速度の情報が失われていくのです。

逆に、電子の速度を精密に測ろうとすれば、電子の位置はぼやけてしまいます。まるで、じっとしているアリの姿は見えるけれど、動き回るアリの姿ははっきりとらえられないようなものです。

不確定性原理は、ミクロな世界が本質的に「あいまい」であることを教えてくれます。粒子の状態は、測定されるまでは確定していない。観測行為そのものが、対象に影響を与えてしまうのです。

この原理は、私たちの認識の限界を示すものでもあります。自然を「あるがまま」に把握することは、原理的に不可能なのです。観測者と対象を切り離して考えることはできない。私たちは、世界と切っても切れない関係の中にいるのです。

ハイゼンベルクの不確定性原理。それは、ミクロな世界の根本的なあいまいさを示す原理であり、古典物理学とは決定的に異なる量子の世界観を象徴するものでした。

第3章 量子力学の確立

1 行列力学と波動力学 〜 量子力学の二つの道

1920年代半ば、量子論は大きな転換期を迎えます。それまでの「古典論+量子条件」という折衷的な方法では、原子の複雑なスペクトルを説明できなくなっていたのです。
窮地を打開したのが、ハイゼンベルクとシュレーディンガーでした。彼らは、それぞれ全く異なるアプローチから、量子力学という新しい理論体系を打ち立てたのです。

ハイゼンベルクとボルンの行列力学
1925年、ハイゼンベルクは「行列力学」と呼ばれる理論を発表します。それは、電子の位置と運動量を行列で表現し、その時間変化を調べるというアイデア。

行列力学では、電子の軌道は考えません。あるのは、観測可能な物理量(位置、運動量、エネルギーなど)の間の数学的な関係だけ。そこには、私たちの古典的なイメー ジは完全に払拭されています。

ハイゼンベルクの理論は、非常に抽象的なものでした。それを数学的に洗練させたのが、マックス・ボルンやパスクアル・ヨルダンらです。彼らとの共同作業によって、行列力学は一つの完成した体系となりました。

シュレーディンガー方程式と波動関数
一方、1926年にシュレーディンガーが発表したのが、「波動力学」です。
シュレーディンガー方程式は、粒子の波動関数がどのように時間発展するかを記述する方程式。波動関数は、粒子が各位置に存在する確率の振幅を表しています。

シュレーディンガー方程式を解くことで、電子の束縛状態(原子内の定常状態)を求めることができます。それは、ボーアの量子化条件から出てくる答えと見事に一致したのです。

ド・ブロイが予言した「物質波」。シュレーディンガー方程式は、その振る舞いを見事に記述する方程式だったのです。後に、シュレーディンガーの波動力学は、ハイゼンベルクの行列力学と数学的に等価であることが証明されます。

ボルンの確率解釈
では、波動関数の物理的な意味は何なのでしょうか?
シュレーディンガーは、波動関数を粒子の物質波だと考えていました。しかし、波動関数の絶対値の2乗が確率を表すということを最初に指摘したのは、マックス・ボルンでした。

ボルンの「確率解釈」は、量子力学に決定的な意味づけを与えました。量子の世界では、粒子の運動は確率的にしか記述できない。古典物理学のような決定論は成り立たないのです。

また、粒子の位置は測定されるまでは確定していません。測定するその瞬間、波動関数は収縮し、粒子の位置が確定する。これを「波束の収縮」と呼びます。

ボルンの確率解釈は、観測行為の重要性を浮き彫りにしました。観測者と対象を切り離せないこと。客観的な実在と私たちの認識が、密接に結びついていること。量子の世界は、そんな謎に満ちているのです。

2 量子力学の体系 〜 量子世界を支配する法則

量子力学の4つの公理
ハイゼンベルクとシュレーディンガーの理論は、「量子力学の4つの公理」へと結晶化されていきます。
第1公理は、系の状態はヒルベルト空間のベクトル(状態ベクトル)で表されるというもの。第2公理は、物理量は線形演算子で表されるというもの。第3公理は、測定直後の系の状態は固有状態に収縮するというもの。そして第4公理は、時間発展の法則を与えるシュレーディンガー方程式。
これら4つの公理は、ミクロな世界を支配する基本法則です。そこから、量子力学のあらゆる帰結を導き出すことができるのです。

交換関係とハイゼンベルクの不確定性関係
量子力学においては、物理量を表す演算子の順序が重要な意味を持ちます。位置演算子と運動量演算子は、一般に「交換可能」ではないのです。その交換関係は、数学的にはプランク定数を含む式で表されます。

この交換関係は、ハイゼンベルクの不確定性関係と密接に関わっています。位置と運動量の同時測定の精度には、プランク定数程度の制限がつきまとうのです。これが、ミクロな世界の本質的なあいまいさの起源なのです。

3 量子力学の哲学的意味

アインシュタインとボーアの論争
量子力学の確率的な性質をめぐって、アインシュタインとボーアの間で有名な論争が繰り広げられました。
アインシュタインは、量子力学は不完全な理論だと考えていました。「神はサイコロ遊びをしない」というのが、彼の信念でした。量子の非決定性は、隠れた変数の存在によって解消されるべきだ。 アインシュタインはそう主張したのです。

一方、ボーアは量子力学の完全性を擁護しました。彼は「量子力学では、観測者と対象を切り離して考えることはできない」と説きました。測定行為そのものが、量子の世界に不可避的に影響を及ぼす。これが、ボーアの相補性解釈です。

アインシュタインとボーアの論争は、「EPRパラドックス」と呼ばれる思考実験へと発展していきます。 局所性と実在性という、古典物理学の大前提が問い直されたのです。

シュレーディンガーの猫
量子の奇妙さを象徴する思考実験に、「シュレーディンガーの猫」があります。猫と毒ガス、そして放射性物質を箱に閉じ込めます。放射性崩壊が起これば、毒ガスが発生して猫は死ぬ。崩壊が起こらなければ、猫は生きている。量子力学によれば、崩壊が起こるかどうかは確率的にしか予言できません。

箱を開ける前、猫は生きた状態と死んだ状態の重ね合わせになっている。これが、シュレーディンガー方程式から導かれる帰結です。でも、それは私たちの常識とはかけ離れています。

「シュレーディンガーの猫」は、ミクロな世界の量子重ね合わせが、マクロな世界にまで拡張されたらどうなるのかを問いかける思考実験です。それは、観測問題の本質を浮き彫りにするとともに、量子と古典の境界を問う、示唆に富んだ問題提起なのです。

多世界解釈
観測問題をめぐっては、さまざまな解釈が提案されてきました。その中の一つが、「多世界解釈」です。

多世界解釈によれば、測定のたびに世界は分岐していきます。シュレーディンガーの猫の場合、猫が生きている世界と、猫が死んでいる世界に分岐する。どちらの世界も同等に実在しているのです。

この解釈は、「波束の収縮」を認めません。世界の分岐によって、あらゆる可能性が平行して実現されていく。観測者の意識もまた、分岐した世界の一つに属している。だからこそ、一つの結果しか見えないのです。

でも、多世界解釈が正しいとすれば、無数に分岐した「私」が存在することになります。それは、私たちが信じている「自己」の概念を根底から覆すものです。

多世界解釈は、量子力学の数学的な構造をそのまま受け入れる解釈です。でもそれは同時に、私たちの存在そのものの意味を問い直す、形而上学的な問題提起でもあるのです。

第4章 量子力学の技術的応用

1 半導体デバイスと量子井戸

量子力学は、現代社会を支える数々の技術を生み出してきました。中でも、エレクトロニクス産業の発展を支えてきたのが、半導体デバイスです。
トランジスタ、太陽電池、発光ダイオード。これらのデバイスは、いずれも半導体の性質を利用しています。そして、半導体の電子状態は、量子力学によって初めて理解されたのです。

さらに最近では、「量子井戸」と呼ばれるナノ構造の半導体が注目を集めています。量子井戸では、電子は一次元的な量子閉じ込めを受けます。そのため、バルクの半導体とは異なる特異な性質を示すのです。

量子井戸レーザーや量子井戸太陽電池など、量子井戸を利用した新しいデバイスも研究されています。私たちの生活を支える半導体技術。その未来を切り拓くのは、量子の世界を操る技術なのです。

2 レーザーの発明と量子光学

レーザーも、量子力学なくしては生まれなかった技術です。
レーザーの動作原理は、「誘導放出」と呼ばれる量子力学的な現象に基づいています。原子を光で励起し、基底状態に戻る際に光子を放出させる。そのとき、同じ状態の光子を使って誘導放出を起こさせるのです。

このようにして、位相の揃った光の増幅が起こります。これがレーザー光の発生プロセスです。レーザーは、現代社会になくてはならない光技術となりました。

またレーザーの登場は、新しい学問分野「量子光学」の幕開けでもありました。光子一つ一つを自在に操る技術は、量子力学の基礎研究においても重要な役割を果たしています。

量子暗号や量子テレポーテーションなど、量子光学の応用研究も活発に行われています。光子を使った量子情報処理。それは、量子コンピュータへとつながる、未来への道なのです。

3 量子コンピュータと量子アルゴリズム

量子力学の原理を使って計算を行う「量子コンピュータ」。それは、情報処理の新しいパラダイムとして注目を集めています。
量子ビットは、0と1の重ね合わせ状態をとることができます。また、複数の量子ビットは量子もつれの関係にあります。古典ビットでは実現できない、これらの性質を利用することで、量子コンピュータは特定の問題を高速に解くことができるのです。

ショアのアルゴリズムは、量子コンピュータを使って素因数分解を高速に行うアルゴリズムです。グローバーのアルゴリズムは、無秩序なデータベースの探索を高速化します。量子コンピュータ特有の並列性が、これらのアルゴリズムの力の源なのです。

量子コンピュータが実現すれば、現代の暗号技術が一夜にして陳腐化するかもしれません。また、創薬や材料開発など、これまで手の届かなかった問題へのアプローチが可能になるでしょう。

量子コンピュータの研究は、基礎物理学と情報科学、そして工学が交差する学際的な分野です。量子力学の原理を情報処理に活用する。そんな量子の世界と古典の世界をつなぐ「量子情報科学」が、今、新しい地平を切り拓こうとしているのです。

おわりに:量子の世界と私たち

量子力学の探求は、単に自然を理解するだけではありません。それは、テクノロジーのあり方や、私たちの世界観そのものを変えるものなのです。
量子力学が示してくれたのは、古典的な常識を超えた自然の姿でした。決定論の限界、観測者と対象の不可分性、全体性と非局所性。私たちは、量子の世界を通して、これまでの思考の枠組みを問い直すことを迫られているのです。

では、量子の視点から見た「私」とは、どのような存在なのでしょうか。
デカルト以来の近代哲学は、「我思う、ゆえに我あり」という主体の確かさを前提としてきました。しかし量子の世界では、意識と物質、観測者と対象の境界はあいまいなものとなります。

東洋哲学の言葉を借りるなら、私たちは「縁起」の網の目の中にいる存在なのかもしれません。因果律によってつながれた世界ではなく、相補的な関係性の中に立ち現れる存在。「私」の輪郭さえも、観る角度によって移ろいゆく、儚いものなのかもしれません。

量子の視点は、私たち自身のあり方を問い直すための、一つのヒントを与えてくれます。物理学の理論を超えて、生命観、世界観の次元につながる問い。それもまた、量子という革命がもたらした、大きな成果の一つなのです。

宇宙はなぜ存在するのか。生命とは何か。意識とは何か。量子力学は、私たちをそんな根源的な問いへと誘います。
確かに、量子の不思議を前にすれば、私たちは立ちすくむばかりです。でも、その驚きと眩暈こそが、新たな可能性の原動力となるのです。量子の世界は、無限の可能性に開かれている。

量子の世界と向き合うとき、私たちは新しい自分との出会いを果たすことができるのかもしれません。さあ、quantum wonderland の扉を開きましょう。そこには、いまだ見ぬ世界が私たちを待っているはずです。

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