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手元の板から聞こえるそれは10000km越しのI love you

9か月ぶりに配属先の皆さんと話ができた。

調整員さんが配属先を訪ねて行ったときに、テレビ電話を繋いでくれたからだ。

カウンターパート、上司、専門家のおじさん、おしゃべりが好きなお姉さん、秘書のお姉さん…と代わるがわる画面の前にやってきて話していく。どうやら前の人が話しているのを見て「なになに?何事?」と別の人がやってくるから、そんな感じになるらしい。

ስላም ነው?(平和ですか?)
ደህና ነህ?(元気?)

講座の例文としてしか発音していなかった挨拶を、久々に使う。
若干落ち着いた様相を見せているとはいえ、感染症下でもオフィスに出勤している彼らはみんなマスクをしていた。でも誰も「もう大変よ~」とは言わない。そんなときでもስላም(サラーム=平和)なのだ。私が好きな、彼らのおおらかさは健在だった。
おおらかなだけでなく、ウイルスの脅威が過小評価されているから、という面もある。だから、「なんで戻ってこないの?」と聞かれた。言外に『ここも安全なのに?』という想いがあるんだと推測する。「まだいろいろと難しい状況だからね…」とあまり答えになっていない答えしか返せなかったが、「そっかー(意訳)」と納得してくれた。


挨拶ができるくらいかと思っていたのだが、ビデオ電話で結構色々分かるものだ。以前、私の配属先が分裂していた、と書いた。それに伴い、お世話になった上司は新しい事務所にいきカウンターパートが新しい上司になったよ…と日頃私と配属先を繋いでくれているナショナルスタッフさんから報告を受けていた。そっか…彼女はもう別のとこにおるんやね…。
が、元の上司そのままそこの事務所にいるのだが。どゆこと。
なお、彼女は妊婦さんだったが子供は無事に生まれたとのこと。気になっていたことが分かったから、まぁいっか。
This is Ethiopia.

私をとてもかわいがってくれた秘書のお姉さんからは名前を聞かれ、忘れられちゃったかな…と思ったら、単に私が自己紹介でいつも使っていた
「ミズキです。スズキではありません。スズキは車です。」
というネタのフリであったらしい。なにをやらすんじゃ。


そんな上司も秘書のお姉さんも、I love youとI miss youを繰り返してくれた。うんうん、私もだよ、と言いながら、今更ながら10000kmを超えてビデオ電話で話せる今って凄いなとじんわり感動した。似たような経験はすでにある。10年以上前に、初めて海外対応のケータイもってフランスに行ってそこから日本の家族に連絡取れたときとか。でもその数倍は感動してると感じたのは、もう会えないかもと思っていた相手だったからだろうか。


調整員さんからおずおずと、
「あのぅ、もうタノイさんが戻れないってこと伝えた方がいいかと思うんですけど、私から言います?自分で言います?」と。
そうか。赴任時に伝えたとはいえ、配属先の人、そこを認識してない(覚えていない)可能性の方が高い。自分で言うことにした。

「私の任期は来月末までだから、もうボランティアとして戻ることはできません。でも、いつか別の機会にエチオピアに帰ってこられるように頑張りますね。」

カウンターパートはオーケィオーケィ、と笑いながら聞いてくれた。



経験上、エチオピアの人に「オーケィオーケィ」と受け止められた話は翌朝には彼らの記憶から抹消されていることが多いのだけど、覚えておいてくれるといいなぁ。笑

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