20211115 面倒くさい人は死後さばきにあうのか

職場にむかう電車の中で『面倒くさい人のトリセツ』なる本を読んでいる人がいて、最近報道された某元大臣の「トリセツ」を想起しつつ、相当に切実な悩みからそうした本を手に取ったのかもしれないと思い同情しつつ、そうしてまわりが彼の快さのために適切に「トリセツ」まで用意して取り扱ってくれるのなら、まったく「面倒くさい人」勝利なのではないか……などと思い、しかし、『面倒くさい人のトリセツ」には、もしかしたらそうした人を打ちのめす方法が書いてあるのかもしれない。だと良いな、しかし、いったい、どのような勝負において勝利なのか、稼ぎか、快楽の大きさだろうか、などと眠いあたまで続けて考えていて、やがて、ソクラテス的な、快ではなく善を追求する生き方は、神のような、超越的な存在――死後に審判を下す存在を想定しなければ、成立しないのかもしれないな、などと考えた。ニーチェ、のことをよく読んだことはないのだが、「神は死んだ」と唱えたらしい彼がカリクレスに共鳴していたのは、やはり、そういう文脈からなのだろうか、等と想像する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?