1/13 成長の思い出(書くことがない その四)

今日はもう本当に書くことがない。驚くほどの日常。得るものはなく、欠けていくものは欠けていく一日。

昔は、……高校生か、二十歳くらいまでは、何もかもが少しずつ良くなっていくのだと、意識せずともそのようなことを信じていたように思う。世の中も、自分の生活も、何もかもだ。しかし現実には、大抵のものが欠け、損なわれ、失われ、悪くなっていく。世の中も、自分もだ。こんな当たり前のことにあの頃気づかなかったのは、さらには真逆の信念を無意識に抱いていたのは、やはり成長の中にあって、欠け、損なわれ、失われ、悪くなっていくものよりも、得られていくものの方に焦点があったからだろう。そんな思いを抱きながら書いた小説が「時の何かを知らない」だった。

成長といえば、学部生であった頃に文芸サークルと分類されるようなサークルに所属していたが、そこに「成長」という言葉に並々ならぬこだわりを持った男がいた。彼は、成長は喪失だ、というようなことをよく口にしていて、なるほどなぁと思っていたものだが、今思えば、当たり前ながら、それは成長の一側面で、間違いなく喪失はあり、それは成長の条件であろうけれども、同時に、成長の中に何か人に付け加えるものがあるということも、見ないようにする必要はあるまい。

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