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書くことがないときに僕の書くこと

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読むこと、書くこと、教えること、生きることについて
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2020年8月の記事一覧

8/21 蕎麦はうまいのか

‪昼食に近所の蕎麦屋に行ったが、天丼はうまかったのだが、蕎麦はコンビニの方がうまい気がす…

朝霧
4年前

8/15 戦争も死者も思えぬ

ほぼ日記が書けないでいた。書けない間にnoteにもいろいろあったようである。学校は夏休みで、…

朝霧
4年前
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8/7 編集された生活/人生

あるとき、われわれの日常の生活も、形のない雑誌のようなものではないかと考えた。ぼんやり、…

朝霧
4年前
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8/6 カメラをさげられない

このごろ時々写真機をさげて新東京風景断片の採集に出かける。技術の未熟なために失敗ばかり多…

朝霧
4年前
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8/4 ソール・ライターの言葉

ストリートはまるでバレエのようなもので、なにが起こるか予測できない 私にはとくに哲学とい…

朝霧
4年前
1

8/3 ハラスメントの加害性はディテールにしか宿らない/目に見えぬものと戦う

ハラスメントの加害性はディテールにしか宿りません。それはくだらないといえばくだらない。け…

朝霧
4年前
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8/2 日記について

つまり日記の実用価値はきわめて乏しい。それでも人はせっせと日記をつける。何かモラルを高める力があるように錯覚することができるからかもしれない。 外山滋比古『知的生活習慣』 まったく、このとおりで、日記というものは、書くことそれ自体については、様々に効用を考えてみることができる(例えば……何も為さない一日にも、何も為さなかったと日記に書けば、何かを為したような気持ちになり、気分良く眠れる)が、ことに自身の日記を読むことには、実用価値があまりない。書くときには読まれうるものを書