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あなたの、わたしの、好きなもの

こんばんわ。

もう10月。
光陰矢の如し、よりも時が流れるのを速く表現する慣用句を探してしまう。
すっかり朝夕も風が冷たくなって、一番好きな季節になりました。

今年は本当にイレギュラー。
ウイルスに振り回され、何もかもいつものペースでなくなり、
世の中もなんだかギスギスし、我慢、忍耐、自粛の毎日。
実は一度折れかけてました。心。

ちょうど検診でお医者さんと話す機会があって、仕事、家のこと、
そんなことは話そうと思って行ったものの、思ったよりも自分の口から
言葉がごぼごぼと出てきてしまって、自分でも戸惑って。
その時に、ああ自分は傷ついてたんだな、と自覚したことが。

芸術・エンターテインメントが不要不急である、と言われたこと。

知らないうちに何度も傷をなぞって、意外と深くなっていたみたいで。
ちょっとうっかり泣くところでした。危なかった。
(先生、こんな話まで聞いてもらってありがとうございました)

自分にとって、芸術やエンタメは必要至急でしかなく、
「No Art, No Life.」ずっとそう生きてきて。
学問も、仕事も、結局芸術・エンタメにしか進まず、進めず。
人に何と言われようと、私はこれで生きていく、と決めたもの。
それが世の中で不急であるだけでなく、「不要である」と言われたこと。
意識していないようで、すごく意識していたんだと。

医療、衣食住、金融、そういったものたちに比べると、
芸術・エンタメは確かになくても生きていけるもの。
音楽なんて聞かなくても、映画を見なくても、演劇に行かなくても、
別に命には何の別状もない。

でも、それを支えに、心の栄養にして生きている人たちは確かにいて、
そういう人たちに支えられて、芸術・エンタメ産業は成り立っている。
私もいちファンとして心をどれだけ救われたかわからないし、
支えてくれる方たちがいるからエンタメ業でお給料ももらえている。
毎日をどう生きて、どういう人生にできるのか、
それを考える根幹に芸術やエンタメは位置すると、私は思っています。

だからいろいろなメディアで目にする
「芸術は金持ちの道楽」「エンタメは贅沢」「こんな時にするものじゃない」
という言葉ひとつひとつに、いちいち心を刺されてしまった。

他の全てを差し置いて芸術やエンタメを優先して欲しいわけでもなければ、
それらを皆に等しく「さあさあ楽しんで!」と押し付けるつもりもない。
それでも、平和産業というものは、そう言われてしまうんだと思う。
今回は誰も経験したことのない、ましてや世界規模の混乱。
皆が必死で、不安で、怖くて、前が見えない毎日で、
生命維持、生活維持に関係のないものは二の次で当然。

だとしても。
自分が信じたものが「いらない」と言われるのは、悲しかった。
知らないうちに、その言葉にぎりぎりと心を切られていた。
それを自覚した時、正直、「あ、今わたし危ないかもしれない」と。

きっと私も普段とは違う心持ちだったんでしょう。
仕事はコロナ関連でとてつもなく忙しくなり、資格の勉強もしていて。
そこに入ってきた、自分が信じるものを否定する言葉、
「いらない」の切っ先に、あっけなく薄い膜を破られてしまった。

でもその時に、芸術・エンタメ業界の中から上がってきた言葉。
それが私に力をくれました。

「そういう他人が何を大事にしているかにもっと寛容になるべきだと思います。「そういうものはいらない」と言うのではなく、「あなたはそれを大事にしているんですね。私はこれを大事にしています」と、こういうときだからこそ他者理解や他者への寛容さが必要です。そしてその他者理解は芸術によって生まれます」
(記事引用)

この文章を読んでから、憑き物が取れたように心が軽くなって。
いちいち傷つきすぎたな、と今となっては思ったりもするけれど、
私にとって芸術・エンタメは人生そのものだから。
否定されたくない。それは紛れもなく、本心。

誰かにとって必要なものは、誰かにとっては不要かもしれない。
でもこの世の中に存在しているものを、自分の都合だけで分類して、切り捨てることはできればしたくない。
誰にとっても、私の好きなものはこれです、そう胸を張って気持ちよく、
声高らかに叫ぶことのできるような、そんな毎日であってほしい。

別に芸術・エンタメ不要論者を責めているんではないんです。
ただ、優しい世界になってほしい。
人の話を聞いて、自分も話をして、きちんと会話をして。
人のことも、もちろん自分のことも、互いに認められる世界になってほしい。
今、こういう世の中だからこそ。

その優しい世界を作れる力を、芸術やエンタメは持っていると信じているから。
映画、演劇、音楽、美術、漫画、小説、アニメ、ドラマ、ダンス、
列挙すればキリがないほどの芸術、そしてエンターテインメントたち。
それらの持つ力を誰よりも信じたいから。
芸術・エンターテインメントは、人間そのものを表現する行為だから。

やっぱり私は芸術・エンタメが好きで、これからもずっと好き。
いつまでたっても、これに人生を捧げるんだ、と諦め悪く言い続けるでしょう。

何かを好きな人が、それをずっと好きでいられるように。
誰かの好きなものを、守れるように。
誰かがこれから、新しい好き、に出会えるように。

まだまだしんどい情勢だけれども、これだけは心に刻み込んで。
また何かが心を破りそうになっても、これからはこの気持ちが盾になってくれるような気が、しています。
心を豊かにすることが人生にもたらす幸せを、少しでもたくさんの人が感じられるように。
そのために私のできることを、ただやるだけ。

また毎日、少しずつ頑張ろう。
大好きなものを、エネルギーにして。

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今日は少し、どころか、とんでもなく感傷的でごめんなさい。
でもとてもすっきり。
3月頃から、悩みに悩んで、ようやく言葉にできた感じ。
アウトプットって、大事。

今日の写真は、アメリカ・グランドキャニオン。
以前あげたNYのあと、ラスベガスにも出張で向かい、せっかくだし、と足を伸ばして行ってみました。
使い古されたフレーズですが、あまりに広大すぎて、人間ってちっぽけ、と。
ただただ呆気に取られ、大地の強さ、空の包容力を感じた時間。
広すぎると遠近感が容易に消滅するんですね。
「地球」を感じた日の、思い出。

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