嘘にまみれ


俺は小さなサーカスの名も無きピエロ。

サーカスと聞いて最初に思い出すのはピエロだろう。

目立つ様に無駄に明るく塗られたデカブツのボールに乗っては転んでみせる。

転ぶたびに観客は笑う。

観客は知らない。

知らなくて良いから知らないのだが、ピエロと言うのは元来、サーカス団の中でも下手な人がやるものだ。

理由は簡単、失敗しても笑われるだけで済むから。


これがピエロにとってどれほど屈辱か。

かれこれ1年以上ピエロをやっているが、この悔しい気持ちだけは忘れてはいなかった。



大玉乗りなんて、本当は簡単に出来る。

でも、成功は許されない。

失敗の後にサーカス団のメンバーが出てきて、わざとふらつきながら、観客の緊張を呼び込んだ後、成功させるのだから。





昔、僕の父はサーカス団に入っていた。

休日には毎週サーカスに行き、見る度に興奮が冷めなかった。


父は空中ブランコが得意だった。

足でブランコを掴みながら、天井裏からものすごいスピードで飛び降りる。

重力に抗わずに加速し続ける。

パッと足が離れたかと思えば、不死鳥の如く華麗に回りながら宙を舞う。

その高さが頂きに達したとき、天井からぶら下がっているブランコを流れる様に足で掴む。

そして次は、反対側から飛んできたメンバーを手で掴む。

そしてそのまま一往復して助走をつけた後、メンバーを宙に放り投げると共に自身も宙を舞う。

そのメンバーはふらつく素振りも見せず台に軽やかに着地したが、父はそのまま落ちていってしまった。


ーーーかと思いきや、そのままトランポリンを使って高く舞い上がり、しなやかに着地した。


父が着地して両手を上げた瞬間、多大なる歓声と共に拍手喝采が起きた。


その時の場の雰囲気と興奮は未だに覚えている。




僕は父のようなサーカス師になりたくて、この世界の門を叩いた。


でも、待っていたのは自分の思い描いていた世界とは違った。


空中ブランコをするとしても最初に飛び出してきて、わざと落ちる役目。

失敗をしてもダイジョウブ、怪我をしないと言うことを観客に見せるためなのだろう。


怪我をしないと言ってもだいぶ痛い。


そりゃそうだ。十数メートルもある場所からプロテクターもなしに落ちるのだ。

大玉から落ちる時も後ろ向きに落ちて行くので、頭を打つとフラッとする。


それでも、笑顔で立ち上がって「ダイジョウブ!」と面白可笑しく言ってみせる。

人が転んで惚けるのが面白いのか、観客は笑う。


わざとと言っても、好きで転んでいる訳なかろう。


転んだ時は勿論痛い。


それでも、いくら転んでも、面白可笑しく「ダイジョウブ」と言ってみせる。


そうやって今までずっと自分に嘘をついてきた。


それで良いんだ。

痛いなんて言わなくて良い。

苦しいなんて言わなくて良い。

辛いなんて言わなくて良い。

ただ大袈裟に転べば良い。

主役を目立たせれば良い。

感動なんて俺が与えなくて良い。



『「ダイジョウブ」とだけ言えば良い。』



そんな日々が続いたある日、サーカスを見にきた女の子が泣き出してしまった。


近づいて言って、「ダイジョウブ?」と声をかけてあげると更に泣いてしまった。

その子の母親によると、ホラー映画でピエロが出てきてそれが少しトラウマになってしまっているらしい。


女の子に安心して貰うために、飴玉を一つ渡し、「ダイジョウブダヨ」と笑いかけた。


「ボールから落っこちて、痛くないの?」


その少女からの唐突の質問にたじろいだ。

何か背中に走る冷たいものを感じたが、お得意の「ダイジョウブ」を返した。


「どーして転んでもニコニコしてるの?」


ギクリとした。

一瞬の静寂が北風と共にやってきた。


あれ、可笑しい。顔が思うように動かせない。

あれ、笑わないと。

あれ、笑えない。

あれ、この子から目を逸らせない。

あれ、何でだろう、一瞬の静寂のはずなのにこんなにも長く感じる。

あれ、口を動かしても声が出ない。

何だ?この感じは何だ?



「ダイジョウブダカラダヨ」ようやく口が動いた。

観客からは静寂を疑う声も上がらなかった。ほんの一瞬の間だったのだろう。

でも、自分にとっては大分長い一瞬だった。



再びステージに上がり、大玉をステージの横へ蹴飛ばして、頭の上で大きく手拍子をすると、観客もそれに合わせて手を叩いた。

そして少し時間を空けてサーカス団が登場し、更に場が湧く。


もう、自分の出る幕は終わった。

これがピエロ。




その日の公演も何回も転んで見せた。

転ぶ

ダイジョウブ

転ぶ

ダイジョウブ

転ぶ

ダイジョウブ

転ぶ

ダイジョウブ



今日だけで何回繰り返した?

今まで何回繰り返してきた?


公演が終わり、出口の前で観客を見送りするために立っていると、あの親子が近づいてきた。


「すみません、今日は。娘が泣き出してしまって、それに飴玉なんかもらっちゃって。」


「いえいえ、ぜんぜんダイジョウブです。」

公演の時と同じ顔で笑って見せた。


「ねぇねぇ、何で嘘ついてるの〜?」

突然、女の子が言った。


俺の心を見透かしたかの様に聞いてくる。

今まで押さえつけていた何かが、プツンと切れた音がした。

はっとした。

今まで俺は自分に嘘をついてきた。

それは分かってる。

でも、自分だけじゃなかった。

周りにも嘘をついてきた。

その嘘が返って自分を苦しめた。


目の前の1人の観客。

その1人が集まって集団を作る。

その集団を楽しませる為に嘘をついた。

その1人への嘘と引き換えに集団の楽しみを選んだ。

目の前のたった1人の女の子すら俺は笑わすことができなかった。

何でこんな大事なことを忘れていたんだ。


相当長い時間考えていたのだろうか、女の子が再び声をかけてきた。


「お兄さん、ダイジョウブ?」

その言葉が異常な程鋭く尖り、心に刺さった。



気づけば俺は、泣き出していた。

何で泣いているのか分からなかった。

それでも、赤子の様に号哭した。

まだ梅雨でもないのに、雨が降り始めた。


その雨は今までの罪、虚しさを全て洗っていった。


「ありがとな、お嬢ちゃん。」

もう目の前にその親子はいなかった。

それでも、口に出した。

あの子は大事なことを思い出させてくれた。

あの子にはそうでもしないと気が済まなかった。



翌々日、またショーが始まった。

トップバッターは俺。


赤鼻で、ダボダボの衣装を着たピエロが飛び出す。

俺は頭の上で手を叩き、観客を煽る。


ステージ横から、目立つ様に無駄に明るく塗られたデカブツの大玉が転がってくる。

さっとそれに飛び乗り、わざとふらつきながら乗ってみせる。


そして、難なく乗りこなして着地し、観客が興奮し、多大なる拍手を送る。


次にやって来るパフォーマーの方を指差し、更に場を盛り上げる。

そして、そのまましれっと退場する。


舞台横からステージのパフォーマーを見る。

ボーリングのピンを10個ほど使い、ジャグリングをしている。


俺がわざと転ばなかった事に驚き、動揺したのか、いつもならしないミスをした。

あぁ、という落胆の声と共に投げ損ねたピンが頭に当たっていた。

パフォーマーが頭を少し抑えたので、会場がざわめく。

「ダイジョウブダヨ」

パフォーマーが笑って場を取り繕う。



ざまあみろ


僕の心の中のピエロが、たった今ステージのピエロに向かってそう言った。


天を仰ぐ。

父に少し近づいた気がした。





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