最近感じていること。


私は常に視線を感じて生きているということ。
誰かの目を気にして、誰かに認めてもらうように、
誰かに良い印象を与えられるように。
常にそう考えて生きている。
もう無意識に息をするかのように自然と行われている。
だけどそれが苦しくて正解を求めて常に疑い、私は望まれる私になれているだろうか。ちゃんと私を出来ているのだろうかと不安になっている。
そのことにようやく気づいた。34歳の春。

誰のために何のために。
誰を生きてきたのか。得体の知れない正解のない答えを求めて、社会が求めているであろう人物像の枠の中に入らなければならないと。そんな人物像の正解が一体どこに存在していたのだろうか。

小さい頃に埋め込まれた価値観はなかなかしぶとい。
この価値観でさえ、私の中の当たり前であり普通と呼ばれる軸となっていたのだから。

ただ、今の私は気づき始めている。
私という存在を自分として生きてみたいと。
表現してみたいと。怖いけど。
どうやら人間は誰にもなれないらしい。そして、誰にもなる必要がないらしい。

わたしという存在が感じるままに、そこにあるものをただ表現してみよう。言葉に乗せて。
これから日々の感じたことを少しずつここに書き留めてみようと思う。

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