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自己有用感がなくても自己肯定感をもつことができるのか?
今日は、『自己肯定感』について、つぶやきたいと思います。
『自己有用感』が低い状態でも『自己肯定感』をもつことができるのか?という問いを自分に投げかけてみます。
この本を読んで、
私は自己肯定感が低いと気づきました。
自分のことは好きです。
自己愛が強いと思います。
でも、「役にたたなくなった自分を愛せるか?」と聞かれたら、愛せないと思います。
つまり、自己有用感ありきで、自己肯定感が成り立っていると思うのです。
でもこの本には、こう書いてありました。
無条件に自分を愛するということ、肯定するということは、以前できていたことが全くできなくても、それとは関係なしに存在レベルで自分を受け止め愛するということだ。
また、こんな記載もありました。
赤ちゃんも寝たきりになった親あるいは祖父母も、機能的な面では、正直、誰かの役に立っていない。役に立っていないどころか、食事から排泄、着替えまで、ほぼ100%誰かのお世話になっている。だから自己有用感を持つことが難しい。そして赤ちゃんも寝たきりになった親や祖父母も、ほぼ何も1人ではできないから、自己効力感を持つことも困難だ。
これに対して、誰の役に立っていなくても、何もできなくても、つまり、自己有用感も自己効力感もゼロに近い状態でも、それでもそんな自分を受け入れて愛するというのが 本書で定義する自己肯定感だ。
私は、自己有用感を前提としてしか、自己肯定感を持つことができません。
条件付きの自己肯定感から、まだ抜け出すことができないでいます。
でも、この本には『鋼の自己肯定感はたった今すぐ入手できる』と書いてあります。
今ここで、
「過去に何があっても、今どんな状態でも、未来に何があっても、私は私を受け入れ愛する。自分は一生自分に寄り添い、自分の親友になる」
と決めてしまえばいいだけである。
なぜなら、自己肯定感は決意だからだ。
自分を愛するということは、理屈ではなく、決意なんですね。
自己肯定感が低い状態の人と、鋼の自己肯定感を持った人の決定的な違いは、自己肯定感が下がりそうになるのを瞬時に食い止めることができるかどうかだ。この気持ちの切り替えのスピードが鍵になる。
自己肯定感は揺れ動くものだという前提で、揺れを感じたら、その都度、自分で立て直していけばいいのだと理解しました。
このように考えると、自己肯定感を持つことは可能なのかもしれません。
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