吠えたって世界は変わらないけれど

音楽の話。

なにやら最近の若者は好きな音楽を言わないということが話題らしい。うん、もう「最近の若者は」という語りだしがクソだ。Xのほうで書こうと思ったけど、冷静に長文で書きたかったからこっちで書いているけれど、どうあがいてもクソにしかならない。

とにかく、いろんな原因を言っている人がいた。
サブスクのせい。
音楽マウントのせい。
自己認識のせい。

別に外れているわけではないのだろう。だが冷静になって考えてみたら、私がまだ中学だの高校だったころ、そう20年以上の前から、「モー娘を聞いていないのはあり得ない」だの「ミスチル以外は音楽じゃない」だのという言葉は聞いたし、それ以外の音楽を好きだは言いづらい状況ではあった。そして私以外にもそういう人はいて、カラオケ等では部屋を分けたりしたこともあったくらいだ。

基本的には「同調圧力」がその背後にあり、理由付けはそれを正当化するためのものでしかなかったように思われる。大事なのは、本人たちは、(大多数の側に立っている人たちは)一切自分が悪だとは思っていなかったし、いつだって悪者は少数側だった。少なくとも、そう思わせるだけの圧力はあった。むろん彼らもマスコミや、あるいは親、ほかの同調圧力の被害者なのかもしれない。だがしかし其れがゆえに、何も知らない。知らないまま大人になっている可能性は高い。だとすれば、そのことに無自覚なまま大人になった彼らが、同じ状況を再生産し、そして自己の態度が原因であるとなどは一切思わないまま、何食わぬ顔をしてXで自己承認欲求を満たしているというのがある種の答えだろう。

すべての言葉には自己回帰性がある。私が彼らを蔑むその言葉は自分とは無関係ではない。だからきっと私も彼らと大して変わりないクソなのだろう。デカいか、そうでないかくらいの違いしかない。本当にこの世はクソだらけ、さっさと山に籠るしかないのだろう。

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