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いつ死んでも別にいいとか言いながら

ハゲるのは怖い と思っている自分がいることに気づいて 笑ってしまったのでハゲ対策として輸入代理店でフィナロイドを購入した AGAの医者には絶対にかからない。 どうせ適当な診療で投薬されるだけなので。(というか多分医者だけど医師免許とか持ってない奴のほうが多そうだと思っている)この辺一応の医者は信用しないが怪しげな輸入代理店は信用するというめちゃくちゃなバランス感覚をしているとも我ながら思う とはいえ不整脈の傾向があるしもしかしたら薬でぽっくりなんて可能性もあるが、まあそれ

    • 飢えているという感じだけがある気持ち悪さ

      腹が減っているわけではない 喉が渇いているわけではない 眠たいわけでもない ヤりたいわけでもない 体のどこかが痛いわけでも明確な診断書があるわけでもない しかし何かが足りない 食べても飲んでも寝ても解決しない セックスのない生活を20年ほどしているのでもしかしたらセックスでは解決するのかもしれないがおそらく違う 足りているはずなのに欠けているこの感覚はおそらく現代人特有の贅沢病である わかっている 穴の開いた盃が満ちることはないと それでも水を注がねば飢えるのだと やは

      • 人(男)は古来よりおっぱいが好き

        度々、人が街中で全裸になったり、全裸の写真をバラまくのは犯罪なのに、美術館で裸婦画や裸婦の彫刻を展示するのがここまで堂々と許されているのは何故なのか、ということを考えてきた。 簡単にまとめてしまえば、前者は単なる人の行為で、後者は芸術と扱われるからだ。罪は人になく意思、行為にあり、芸術はある種人の意思や行為を超越していると言える。裸の女が好きだからといって、街中で女をひん剥けば当然犯罪だが、合意を得たうえでアトリエで脱がす分には問題ない。合意性の差にも問題がありそうだ。

        • せっかく涼しくなったのに

          また暑くなる。冬から春へは三寒四温とはいうが、夏から秋へは三温四寒とは言わない。これは体感的にもあっている。冬から春はなぜか段々と温かくなるが、夏から秋は急になる。もしかしなくても、人間の体は結構バカで、実際はだんだん涼しくなっているのに、暑い(暖かい)という印象は寒いという印象より持続するから、ことわざ的には三寒四温なのだろう。 とすればだ、これは人間関係にも大いに当てはまる可能性が高い。人がもし優しくされたり、温かく見守ってもらったり、手助けしてもらったことのほうを覚え

        いつ死んでも別にいいとか言いながら

          毎日書くとは言ったが

          帰宅が24時を回っては仕方ない・・・ と、いうより。Twitterにかける程度の文字数を毎日書く意味は全くないように思うので、毎週1万文字くらいをがっつり記述してみたほうがいいかもしれない。誰か読むかはしらないけれど。それかやったことはないが小説スタイルにするとかかな。ちゃんと心を動かしたことを、表現に気を付けながら書くという作業を行うのなら、毎日は重過ぎる。できる人が小説家になったりするのかもしれないが、現状そこまでではないということで。

          毎日書くとは言ったが

          チョロい

          今日は急な仕事の割り振りがあった。 その中で、同じ係のAさんの仕事について触れる機会があったので、私がお願いしているというか担当の仕事を話したところ、「それならAさんにこの仕事はお願いするか」という話があった。 ん・・・ ということは私は仕事ぶりにまあ余裕はなさそうってことか・・・? サボっているとは思われてないってことか・・・ 正直嬉しかった。おわり。 しかし文字にしていると、冷静に考えれば私の仕事ぶりが信用できないからAさんに頼むとか、余裕ない雑魚だと思われてるからA

          毎日会社帰りが憂鬱である

          いつも大体一番最初に帰るので。 う~ん、本当はもっと勉強とかしたほうがいい立場ではある。でも正直なところ、勉強は期限や上限がないとできない。なんか昔大学の時に、勉強と学問が違うとか言っていた教授がいたのをふと思い出した。実際突然知識で殴り掛かられたときに、勉強してないとマウントをとられて不利になってしまうので、そういう意味では勉強は確実にしないといけないのだが、なんというか自分の境遇的にそこまでする必要あるかなあって気もするし、むろんそういうのをやったほうが人生後々豊かにな

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          好きを語ることは難しい

          タマゴサンドが好きなので、サンドイッチを買うときは大体タマゴサンドを買ってしまう。好きだから別に1000円のタマゴサンドを食べたいとかはなく、コンビニで売っているタイプの物で十分だ。卵の形がわかるというか、ゆで卵の様相を残しているものよりも、マヨネーズでぐちゃぐちゃになったタイプのペーストが入っているもののほうが好みだ。なんか前に、好きの解像度を上げると応用が利くというような話を読んだが、タマゴサンドは昔運動会とかの弁当代わりによく食べたから好きなのだろうか。自分は無精なので

          好きを語ることは難しい

          メンタルを病んでいるときのほうが筆が走る

          定期的にメンタルがダウンする。 先週は特にそうだ。 というより、文字をたくさん書いたからダウンするのか、文字を書かなければいけない焦燥感が生じるほどダウンしているのか、因果関係は不明である。物書きには自殺者が多いから、そもそも自殺するようなほどに病む奴がたくさん文字を書く傾向はあるだろう。 だがまだ全然足りていない。当たり前だが、自殺するほどに病んではいないし、自殺も止む無しと思われるほど憐憫を掻き立てる文章も書けていない。憐れんで欲しいわけではないが、文章の意味の一つに

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          インテリへのヘイト

          最近よく、インテリというかリベラルへの罵詈雑言を見る。(自分の触れる媒体に影響されている可能性はある) まあそもそも、インテリの定義は何かという話もあるかもしれないが、世の中で考えたら東大生なんて200人に一人しかいないわけで、インテリのほうが少数派であるから、必然それを叩くのが目に入るのも当たり前であるように思う。 だがそれと同じようにバカをバカにするのもよく見る。これは性質は全然違って、多分自分より下を見て安心する類のものだと思う。よく見るのはADHD叩きとか、うつ病

          インテリへのヘイト

          忘却

          なんのことはない。一日一文、10年書くといったものを、たった8日で忘れ去っただけだ。まあ8日書いた段階で、毎日書いても大して意味はないと悟ってはいたので、1日忘れたところで問題はない。 しかし日々の思いを何らかの形にするのは悪くない。どうせほとんどが忘れ去される日常なのだから、他人にとって何の価値がなくても、文字にしておけば10年後にいい思いができるかもしれない。だから何のことはなくても、継続はしておくべきだろう。 過去の文章にスキがつくたび、何かうれしいような、恥ずかし

          女はどうでもいい話が好き

          私の配信内のコメントである。 本当だろうか。 いやまあ、本当であるようにも思える。 性格に表現すると、どうでもいい話で笑いあえるような相手なら、その関係性が好きとかいうことになるのだろうか。 私は、コミュニケーションにおける独善性が無視できない性質である。友人や彼女には恵まれなかった人生ではあるが、家族、同級生、先輩後輩、上司部下、一応一通りの人間関係について履修したつもりである。いずれの関係においても、コミュニケーションはある種の力関係に支配される。要は、笑わなければい

          女はどうでもいい話が好き

          1週間書き続けた感想と憂鬱

          一週間書き続けた感想としては、何もない。まあやはり負荷がかかるほどの文量ではないし、かといって継続的に吐き出したい思いがあるわけでもない。日々の中で適当に思ったことを書くだけでいいのなら、やはり特段得られるものもないという感じかもしれない。 「鬱になりやすい人は、脳内会話が多い人」というものを見た。私は間違いなく該当者だと思うが、小学生くらいの時からすでに人間嫌いを発揮して一人脳内会話していたくらいなので、ある意味で鬱病予備軍スペシャリストだ。私が基本的に文字を書くのは、脳

          1週間書き続けた感想と憂鬱

          好きと嫌い

          Twitter…もといXにDislikeボタンが実装されるそうだ。目にする意見は大体否定的なものであるから、まあこの先どうなるかはわからない。 Noteはイイネではなくスキの表示になっている。言葉的に、どちらのほうが好感度が高いかといわれると、99%の人がスキだと答えるだろうが、本当の意味でスキだからボタンを押してる人は1%にも満たないと思うので、大体がイイネの意味合いで使っていると思っている。実際はどうかわからないが、このような弱小の筆者にもスキボタンを押す数寄者←がいる

          好きと嫌い

          解説のない現代アートの不思議

          皆さんは現代アートにどんな印象をお持ちだろうか。「落書き」「金持ちの道楽」「インテリの勘違い」 正直どれも間違ってはいないと思う。むろん作り手や理解者やあとまあビジネスの方々は浅い理解だと罵ったりするだろう。 だけれども、正直どの分野でもある程度先鋭化のしたものというものについては、庶民が理解できるほうが不思議なのであって、それは現代アートに限らないように思う。誰にも理解はされないが、社会を支える技術があるように、ほとんど誰にも理解はされなくても、特定の層にだけ響くことに

          解説のない現代アートの不思議

          飽きることと、中毒(依存)になること。

          音楽に飽きる、漫画に飽きる、ゲームに飽きる、仕事に飽きる、生きることに飽きる。 ニコチン中毒、アルコール中毒、セックス中毒 ~~に飽きる、とか~~中毒とか、思ったよりレパートリーに乏しいことに気づいた。ほかにも飽きるとか中毒の使い方あったらご教示いただきたい。一酸化炭素中毒、みたいなのは文脈が違うので例示しなかった。 所作はどちらも似ている。繰り返し常用的に触れることで、飽きたり中毒になったりする。飽きるも中毒もあまりいい意味では使われない。飽きるも中毒もおそらく快感の

          飽きることと、中毒(依存)になること。