1週間書き続けた感想と憂鬱

一週間書き続けた感想としては、何もない。まあやはり負荷がかかるほどの文量ではないし、かといって継続的に吐き出したい思いがあるわけでもない。日々の中で適当に思ったことを書くだけでいいのなら、やはり特段得られるものもないという感じかもしれない。

「鬱になりやすい人は、脳内会話が多い人」というものを見た。私は間違いなく該当者だと思うが、小学生くらいの時からすでに人間嫌いを発揮して一人脳内会話していたくらいなので、ある意味で鬱病予備軍スペシャリストだ。私が基本的に文字を書くのは、脳内会話をそのまま文字に起こすだけなので、特段のストレスがそこにかかっているわけではない。

もしかすると、この毎日文章を書けば文章力があがるというものは、日々脳内会話とは無縁の人たちが、文字を起こすことで強制的に脳内会話を起こしたり、文字と自分の対話を通して、何かしら脳の回路に影響を与えるから効果があるのであって、最初から脳内会話に没頭している人間にとってはあまり効果がないのではないか・・・

とはいえ、一週間目の今日は、「何を書こうかな」と思う程度にはネタがないように思う。「何か書かなければならない」というのはストレスだが、自分のモチベーションを保つには必要な転落防止柵のようなものでもある。今ふと思ったが、文章を書く上で使役するのは主にタイピングに使用する指だが、文章の内容を考える脳はどこが命令を出しているのだろうか。脳→指はなんとなくイメージできるが、脳→脳はあまりイメージできない。もしかすると、文章を毎日書くと・・・というのは、パソコンがなかったときの処方箋だったのではなかろうか。パソコンもなく手書きで文章を書くとなると、圧倒的に指や腕の使役量が多くなる。さすれば、脳→脳の割合はだいぶ下がるはずだ。脳→脳の、おそらく脳内会話に等しい脳の回路の優先度を下げたあとに捻りだされる文章に価値が生まれるという観点から、毎日文章を書く価値があったのかもしれない。

だとするとやっぱり何も縛りを設けずにカタカタと毎日文章をタイピングしてもダメなのではないだろうか。そもそも私の場合は、脳内会話をそのまま文字に起こすという原始的な作業しか行っていないわけで、脳内会話ではない、いわゆる肉体的な言語にこそ価値があるのなら、縛りを設けたところであまり変わらないということになる。だが文章を書くということに関してはもう千年以上の歴史があるのだから、何かヒントになるものはすでに蓄積しているはずだ。と思いGoogle先生に聞いてみたが、ここ数年のバズった記事しか出てこなかった。Googleの時代は終わった。

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