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温泉という苦痛

 温泉が好きになれない。

 かつて九州で入った温泉は、赤褐色で、どろどろしていて、そして臭くてたまらなかった。葉っぱも浮かんでいて気味悪かった。確かその前日は炭酸泉でぷかぷか遊び、さらにラムネまで飲んで、たいそう満喫した記憶がある。落差もあったのだろう。私の中で、そのころから温泉に対する苦手意識がゆっくりとできはじめた。

 いま思えば、それは秘湯のたぐいだったのだろうが、小学生の私はその有り難みがさっぱりわからず、それ以来、あまり温泉は得意でなくなった。現にいまでも、割とオーソドックスなものか、砂蒸し風呂でないと、温泉に進んで入ろうとは思えない。

 東北のどこかの温泉が混浴だったことも私に悪影響を及ぼした。当時の私は混浴に抵抗があった。いま思えば、そんなことより、湯のすぐ傍に獣がいたことのほうが恐ろしく感じるのだが、幼い私は大の動物好きであったし、それから照れ屋であったものだから、混浴は凄まじく嫌だった。

 海の側の温泉も、私に不幸な記憶を植え付けた。単純に寒かった。景色は実によかったが、なにもそのためだけに寒い思いをしなくてもよいのに、と心から思った。それこそ、魚でもいれば、ずっと眺めて遊んでられただろうに、、、

 湯治場に泊まったときも、襖を隔てた向こうに見知らぬ誰かが寝転んでいる、というのが生理的に受け付けなかった。これもひとえに近代的価値観に犯されたぼくが適応できないのがいけないのだけれど、そうはいうものの、他者の存在が気になってしまって、温泉どころではなかった。むしろ、マイナスのイメージがついてしまったくらい。

 風情のわからない私には、どうも温泉は向いてない。ドーミーインだとか、あるいはスーパー銭湯のようなところで充分すぎる。万葉倶楽部なんかは、温泉から湯を運んできてくれていて、それを利用してくれていると聞く。泉質が保証されるなら、それでもいいかと思ってしまう。

 果たして、こんな私でも、いつかは温泉がよいと思う日がくるのだろうか。大病をしたり、もしくは歳を重ねたりしたら、数々の温泉たちを愛するようになるのだろうか。自らの偏屈さに目眩が起こる。

 来年度は、腹を括って温泉に出向いてみようと思う。信州など、食べ物も美味しくてよいかもしれない。調査を兼ねることもできそうである。いつまでも記憶に縛られていても仕方がない。一歩を踏み出す勇気こそ、自分を乗り越える秘策に違いない。

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