見出し画像

書道で学んだ「余白の美」

―――紙の白と墨の黒、その余白のバランスなのよ、良い字ってのは―――

書道を習おうと思ったきっかけは、親からの勧めだった。
子供ながらに、書く字が上手いか下手なら、
上手い方がいいだろうと思ったこと、よく覚えている。
けれどもすぐには習い始めなかった。というより習えなかった。
自分で納得しないことに、わざわざ時間を割きたくなかったから。
そういう子供だった。

とてもめんどうくさい。笑

父方の親も書道の先生だったり、
母親も書道していて、字が綺麗だったり、
そのうえ小さなコミュニティの中でも
周りの同級生たちも皆しているんだから、
習うのは至極当然と言わんばかりに。
真顔で。
周りが当たり前にやっているんだから、
お前もやるべきという理由がまかり通る場所であった。

思い起こしてみれば、
小さな反抗心がでたのはことの時が一番初めかもしれない。
自分の主張を通した瞬間。



小2の春。

反抗期らしい反抗期を迎えたことはなかったけれど、
(グレたり、暴力に走ったり、いわゆる非行という奴!)、
プチ反抗期はコツコツ積み重ねていただろう。
そのはじめが、親がやらせようとした書道というわけ。
ただやりたくないというも、公平ではないな、
と、代わりにピアノを習うと言った。
なぜピアノだったのかは覚えてない。それもクラシック。
親にしてみても、ピアノをさせたいと思っていたのか、
それはそれで良いだろうということで、すぐに習い始めた。

うちは裕福な家庭ではなかったので、
家にはおもちゃのようなキーボードしかなかった。
鍵盤は足りないし、打鍵する重さも違う。まして音なんて機械音である。
おもちゃのようなキーボードをコタツの上に置いて、
正座しながら練習していた。
30分も楽譜とにらめっこしていれば、そのうち足が痺れる。
足の痺れって気持ちのよい一瞬があると思う。
それも舞台に立った時のような高揚感。
じわりと足の感覚が薄れゆき、血流があるのかないのか、
曖昧になってゆく。
練習すればするほど、広がっていく足の痺れ。
呻く低音、響く高音。
優しく撫でるように、そして時には荒々しいタッチで、
プレイ。
ひたすらにプレイ。

一体何のプレイなんだ。

でも楽しかったのだ。自分で始めたことだから。

学業の合間におもちゃのキーボードで練習を続けること、1週間。
日曜日のレッスン、いや僕にとっては戦の日がやってくる。
チャイムを鳴らし、教室のドアを開ける。
先生と、挨拶を交わす。
先生はとてもチャーミングで可愛らしい声をした華奢な人だった。
いよいよレッスン、戦闘開始。

突如走る、緊張。

しっかりした皮張りのピアノ椅子。
おいおい、こちとらずっと正座で練習しているぞ、と。
そもそもこんな高価な質感の椅子は自宅にはない。
うちはしがない田舎育ちの一般家庭だ。基本は畳。
座るだけで緊張する。

あの正座プレイ、一体なんだったんだ、本当に。


話が大きく逸れた。

割愛するが、ピアノ自体は本当に楽しかった。
緩やかに10年以上続き、その間、正座プレイのキーボードから、
譲り受けた古いエレクトーン、
最終的に新品のローランドの電子ピアノと移り変わった。
きちんと椅子に座って練習ができた。
(最後まで本物のピアノで練習はできなかったが)


話を戻そう。プレイではない、書道の話。

ピアノを始めてから少し経つ。
キーボードを載せたコタツに布団が被った。


小2の冬。

通い始めた書道教室は地元の小さな教室。
古びた平家。
夏は暑く、冬は寒い。
子供たちは元気。教室ではお喋り禁止だけれども。
教室に入ると、まずは先生への挨拶。
会いてる席に着き、道具を広げる。
紙に硯、文鎮、墨汁、そして筆。
先生に手本をもらい、課題と向き合い始める。
真っ黒な墨、センターラインをつけた半紙。
筆を持つ、精神統一。

一画目の緊張感。

大体この一画で全体が決まってくる。
どのあたりに一画目を起筆するのか。45度の山。穂先の形。
そう、あのとんがり帽子。
あのとんがり帽子の向きや配置で字の格好が定まる。
力を抜きすぎても、入れすぎてもダメ。むつかしい。
何度も書き直し、渾身の一筆を持っていく。
先生の前には長蛇の列。
皆、それぞれ思い思いの作品を先生に提出している。
また一人、また一人と進んでいく中、緊張で気持ちが昂る。
ようやく、僕の番である

一画目からの容赦のない朱入れ。

あんなにもあっさり直されるものなのか、と未だに思い出す。
縦、横、はらいに、トメ、ハネ、カーブ。
提出する度に幾度となく直され、繰り返し筆と紙と向き合う。
そのうち課題字で花丸が貰えれば、その日はおしまい。
週に2回、2時間ちょっとのお稽古。

書道を続けるモチベーションとして、
自分の字が整っていくことの他に、もう一つ大事なものがあった。

それは、書道の上手さ表す、級(段)位。

毎月、その月の課題字を試験の締め切りまでに1枚提出することで、
審査の結果、昇級(段)する制度がある。
これがまた大きなモチベーションになる。
早く上の級になりたいと、特に同年代で競うわけである。
級が段に、段が特待生に。
(僕が通っていた教室が所属する団体では10級から特待生までの
 21階級があった)
ひらがなが漢字へ、漢字も画数が増え、楷書から行書へ。

とある、級から段に移る大事な昇段試験のこと。

昇段するには、その月に同じ級の人たちの中で選ばれた上位数名が、
昇段する仕組みになっている。
特にトップを取れば巻頭特集に写真付きで掲載される。
ただ昇給するだけでなく、トップを取って次に進むのは、
一つ大きな目標でもあった。
10級から初めて、昇段試験までは毎月のように級が上がっていったので、「もしかして自分は才能がある?」と誇らしげだった。
当然のごとく、昇段する気満々で臨んだ試験。

しかし、級から段というのは大きな壁があったようだ。
初めて臨んだ昇段試験の結果は、3人手前で合格ラインに届かず。

悔しかった。

そこからである。
ギアを入れなおして臨んだ次月の試験。

今度こそはと、順位を確認したら、またもや届かぬあと一人。

訪れたスランプ。

なぜだ。書けども書けども、納得がいかない。初段に届かない。
歯がゆい。
もやもやとしてたある日、先生が言った。

「線は勢いもあるし、丁寧さもあるんだけど。
 一字一字より、全体のバランスをもう少し見て。
 紙の白と墨の黒、その余白のバランスなのよ、良い字ってのは」


思わず、ハッとした。
全体がどういう仕上がりになるのかをイメージすること。
手本がどういう余白の使い方をしているか、まず観察から始めた。
半紙のコントラスト。筆の運び。余白。
それは美しかった。
文字に魅せられたのはその時だった。
僕の中で、見えていた世界ががらりと変わった。

そして迎えた再々試験。
改めて自信をもって提出した書は、トップを飾り、
晴れて巻頭特集に掲載される。
これほど喜ばしいことはなかった。
「余白」という美しさに気が付いたのは、この話がきっかけ。
余白への愛の旅の始まりである。

―――ここだけの話、足のしびれはピアノよりも、書道の方が数段上。
書道もプレイだったみたい。

おわり。

<画像:山本昌男  出典 www.natsume-books.com>

あなたのサポートが僕の背中を押して、いつか届くべきところに言葉を届けられるようになると思います。少しでも周りが温まるように。よろしくお願いします。