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子どもはどんな目に遭ってもたったひとりの母親を慕うことはやめられない

やっぱり西川美和監督が好きだ。
映像が美しくて、
音楽が柔らかくて、
ふふっと笑えて、
ぐさっときて、
息が苦しくなって、
でもじわじわ、
あたたかい気持ちと、
誰かを人として好きになる、愛する気持ちが湧き上がってくる。

役者さんたちも素晴らしい。
役所広司の「三上」の生きざまが、
この世界に適応することがどういうことなのか、
改めて語りかけてくるようだ。

そして、大好きな仲野太賀と長澤まさみ。
「津乃田」と「吉澤」の関係性。
三上を取材対象としてだけではなく、
ひとりの人間として対峙し、揺れ動く津乃田と、
目的意識をはっきり持ち、容赦がない吉澤。
どちらが正しいとかではない。
それぞれの正義を持ちながら生きている。

いちばん印象に残ったのは、
なんとかカタギの社会に適応しようとするも
簡単にはいかない日々に堪えきれず
組長のもとへ戻ってしまった三上に、
電話で津乃田が言った言葉。

「どうして自分がそんなふうになったと思います?
それってやっぱり生い立ちに関係があるんでしょうか?
怒りや暴力を抑えられない人の多くは、子どもの頃に酷い虐待を受けて脳が傷付いているそうですね。
でも子どもは、どんな酷い目に遭っても、
たったひとりの母親を慕うことはやめられない」

映画「すばらしき世界」

わたしは、自分の親を愛している。
けれど、すごく嫌になることもある。

遠く離れた場所に住む両親と会うのは、
年に一度か二度。
そのたびに、心が傷つかないように、
一緒にいる旦那も両親の言葉で傷つけないようにするのに気を遣う。

前時代的な考えかた、
上から人を評価するような物言い。
生きてきた時代や良いとされてきた価値観が
違うのだから、
しょうがない部分は多いのだけれど、
さらりと流せない。

だって、いちばん
「わかって欲しい」
「認めて欲しい」
「ただ愛して欲しい」相手だから。
そして、喜ぶことをしてあげたいと思う相手だから。

その気持ちが強いから、
わたしの息子に対する子育ての仕方などであれこれ言われると
(親のほうも出来るだけ直接的に言わないように
心を砕いているのは伝わるけれど、
「こうなって欲しい」がダダ漏れである)
本当に腹が立つ。
遠くに住んでいて、
安全な場所から孫の動画や写真を楽しみ、
(みてねというアプリで毎日見られている)
何かわたしの育て方に言いたいことが
あるときだけ連絡してくる。

毎日労いの言葉があってのことなら
まだ良いのだけれど、
それが不足している状態で指摘だけされると
腹が立つしすごく傷つく。

もう良い大人なのに、
まだ親に怯えているんだろうか。

子どものころ、両親は成績にうるさく、
口答えしたら父に叩かれた。

以前父が、俺が手を上げたのは2回だけだ、
と言っていて唖然とした。
「はっきりと覚えている。
aohaが人としてよくない言葉を言ったから手を上げたんだ」と。

やられたほうはいつまでも覚えている。
2回などではない。何度叩かれたか。
自分に都合の悪いことは忘れているんだろう。

そして、小学生のとき、
習い事で思うように楽器を練習しないわたしを見て、
嫌ならやめれば良いと、
目の前で楽譜を乱暴に捨てた母。
100点以外のテストを見せると、まだ他にも何かあるんじゃないの、と怒ってランドセルを逆さに降って乱暴に中身を全部出していた母。

いまは優しく、穏やかにしている母の、
ずっと忘れない思い出。
どんなに優しくされても、
あの記憶が消えることはない。

父も母も、
わたしの気持ちよりも世間体を気にしていた
と感じることが多かった。
けれどその一方で、毎日のご飯の心配も、
住むところの心配もせず、
わがままを言いながら暮らすことができたのは、
両親のものすごい努力があってのことだ。
わたしのことを愛して、大切にしてくれていることもわかっている。
そして、わたしが家を出るまでずっと、そばにいてくれた。

「すばらしき世界」の三上は、
どんなに孤独を感じたことだろう。

今、わたしは、母親の立場になっている。
息子は自我が出てきて、
集団生活でも色々と覚えてきて、
対応に手をやいている。
日々、悩みがある。
けれど、「評価しない」
「ただ、ありのままを受け容れる」ことが、
息子の良いところをのびのびと解放するのではないかと思う。
叱らなくちゃいけない時もあるし、
すごく難しいけれど、
あきらめないで、
時々後退しても、
母親である自分に駄目出しして卑屈になることがないように、
毎日向き合いたいと思う。
反省ばかりの母親でも、
毎日慕ってくれる息子から、
無償の愛をもらっている。
ちゃんと恩返ししたい。

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