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憧れの水たまり、プール

海派ですか?山派ですか?と聞かれた時、私は必ず「海派です」と答える。

その程度に私は「水」というものにどこか憧れのようなものがある。

最初の生命は深海から生まれたらしい、と習ったのはいつだったか。そんな知識を得る前から私は水のある場所が好きだった。

それと同時に恐怖もあった。幼い頃から「もうすぐ大きな地震が起こるかもしれない」「地震も怖いけど津波はもっと怖い」というような教育をされてきた。だから膨大な水を前にした時の気持ちは畏怖に近いのかもしれない。

「こんな海に囲まれた国で泳げないままでいたらいずれ死ぬ」
そう直感した幼稚園児の私は親の「やりたい習い事、ある?」という問いかけに「水泳」と答えた。年長にしてプールデビューである。

かくして近所のスイミングスクールに通うことになった私は生来の運動音痴さを発揮し、同時に入った幼稚園の知り合いたちにどんどんおいていかれ最初の級からまったく進級できないままでいた。

「楽しくなかったらやめてもいいんだよ」
と優しく声をかける母線に対し
「いや、もうちょっとがんばってみるよ」
と答えた、らしい。嫌でないのであれば続けれはいい、という親の言葉に今さらながら感謝している。

みんなにおいていかれなからものんびりとスイミングスクールを続けた結果、なんだかんだ小学4年生ごろにはバタフライまで泳げるようになっていた。バタフライクラスを卒業したらおしまいでもいいかな、というところで信じられないくらいの大風邪をひいてしまい、そのままスイミングスクールはやめることとなった。

中学・高校は水泳の指導が熱心な学校に進学したため、高2の夏までは毎年学校のプールでしっかりと泳いでいた。わたしはこのプールの授業が毎年楽しみだった。運動音痴代表みたいな顔をしている私がすました顔でバタフライをクリアしたのを見た気のいいおじちゃん体育教師に「お前、バタフライ泳げとったなぁ!!」
と言われ、得意げな顔で「ア、ハイ」と答えたような気がする。

しかし大学受験以降、まったくもって泳ぐ機会は失われてしまった。進学校だったので高校3年の時には水泳の授業はなく、大学ものほほんとした小さいところに進学したので学生が自
由に使えるプールはなかった。

社会人になるまで私のプール欲は抑制されていた。一応大学の付属小学校のプール監視員のバイトに応募するか悩んだが、子供が苦手なので応募することはなかった。

毎年夏になると膨れ上がる。
泳ぎたい、泳ざたい、泳ざたい!

泳ぎたすぎて一時Back roomsのpoolroomsに関するものをインターネットで漁っていたし、なんなら二次創作で「poolroomsに外れちたキャラクター」みたいな絵を描いたこともある。

なんか、ないのか、泳げる場所は!!
ついに欲は爆発した。なるべく安く(お金がない)、でもきれいで(無茶な)、そんなに家から遠くないところ!!

そうして見つけ出したのか区民プールだった。も、盲点……。

水着やら水泳帽やらゴーグルやらを揃え、先週ようやくプールにありつくことができた。久しぶりすぎて体がなまっており、ちょっと泳いだだけで息も絶え絶えだ。でも、気持ちいい!

規則正しく進んだタイル、鼻をつく塩素の臭い、水底にゆらめく太陽の光。全部好きだ。そしてなによりその中を好きなように(厳密に言えばこのコースは25メートル立たずに泳ぎ切らないといけませんよ的な制的はある)泳ぎ回れるうれしさ。

わたしは死んだら天国じゃなくてプールに行きたい。水と一体化して原初の生命になりたい。
自然を真似て人工的に作り出された大きな水たまり。そこで初めて自分という人間が完成するのだと思う。

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