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大河ドラマ「光る君へ」を見て、元史学科学生が思ったこと

こんにちは、碧木です。
普段は「君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-」という小説を書いています。
今日は昨日拝見した大河ドラマ「光る君へ」について書きたいと思います。


見ようと思ったきっかけ


私は現在「君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-」という現代×平安の転生ファンタジー小説を書いています。大河ドラマの中で平安時代をどのように描き人々に届けるのか興味があり、今回見ることにしました。

見た感想とSNS上の反応


事前情報をほとんど入れずに拝見したので、紫式部(まひろ)が内裏で渦巻く愛憎の中で翻弄されていく様子を想像していました。ネタバレになってしまうのであまり多くは語れませんが、なんともバイオレンス要素が大きい初回に衝撃を受けました。
SNSでも皆様の様々な感想を拝見しましたが、フィクション要素の多さにドラマとして楽しまれている方が多いようです。

元史学科学生から見た平安という時代


そもそも平安と言う時代は今から千年以上前です。時代を遡れば遡るほど、現代まで残っている書物は少なくなってきます。京都は大火が多かったので平安時代以前の建物はほとんど残っていません。
「諸説あります」という注意書きも増えていきます。信憑性の高い文献等が見つからない限り断言ができないのです。
紫式部自身も誕生した年が死亡した年が正確には明らかになっていません。そのため、彼女の生涯を描こうとすれば必ず、史実の間の人生の余白を埋めていく必要があります。

なぜ転生ファンタジー小説を書く際に平安時代を選んだのか


私の学生時代の専攻は史学科日本史近現代専攻で、卒業論文を書いたのは文久元年〜三年(1861年〜1863年)、幕末と呼ばれた時代でした。
今回転生ファンタジー小説を書きたいと思った時、私が学んできた近現代と言う時代はあまりにも現代と近くて、創作に向かないと思いました。創作小説でリアリティを出すためには、史実と史実の間にフィクションを混ぜていくことが必要です。幕末にはカメラも伝来し、書物だけではなくどのような風貌だったのかさえ写真で残っているのです。

史実と史実の間にフィクションを混ぜながらリアリティさを出せるのか?その時に選んだのが平安時代でした。
平安時代はものと言った霊の存在が信じられていました。病も怪異によって起きていると思われていた時代です。重要な決定を亀卜きぼくという占いによって行っていたりもしました。
史実と史実の間の余白が多く、こんなこともあったかも知れないと思わせてくれる力が平安時代にはあると思っています。

言及してしまうと小説のネタバレになってしまう可能性があるので、今日はここまでとさせてください。

最後に・・・

読んでくださり、ありがとうございました。
私が書いている小説「君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-」にも興味を持って頂けたら嬉しいです。よろしくお願いします。


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