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人生は理不尽だらけ…… でも

●白鳥とカラスの会話


 あるときカラスが白鳥に言った。

「キミはいいよなぁ」
「どこが?」
「どこも何も、全部だよ」
「全部って!」
「文字通り全部だよ」

「おいおいちょっと待ってくれよ。それは誤解だよ」
「誤解なもんか、キミは本当に幸せな鳥だよ。恵まれてるよ」
「なんでそう思うんだい?」
「第一、キミはカッコいいじゃないか。白くて美しくて、いつも華麗に湖を遊泳しているじゃないか」

「なんだ、そんなことか」
「そんなこと…じゃないよ。それが素晴らしいって言ってるんだよ。人間たちは皆キミたちのことを称賛してるからね」

「でも美しいだけじゃ食っていけないよ」
「とんでもない、キミは人間たちからいつもエサをいっぱい貰ってるじゃないか。君が美しくて見栄えするだからだよ」

「エサなんてたまにだよ。いつもは自分で水草を探して食べてるよ」

「たまにだってそれは素晴らしいことだよ。オイラなんか人間から一度もエサをもらったことがないし……それどころか、オイラを見ると人間たちは攻撃的にさえなるからね。それにキミは手厚く守られてるよね。人間たちから。だから平穏に優雅に暮らせるんだ。うらやましい限りだよ」

「確かに。でもそれは一部の恵まれた白鳥であって全部が全部ってわけじゃないんだ」
「そうかな?ボクにはそう見えないけど。とにかくキミたちは恵まれてるよ。それに比べ、ボクたちカラスは人間たちから嫌われ、虐められ、まったく理不尽な話だよ。なんで神様はこんなに差別するんだろうね」

ここで白鳥は強い口調で言った。
「キミは勘違いしてるよ」
「えっ、カン違いだって。どこが?」
「キミは表面しか見ていないんだ。だから誤解するんだよ。いいかい、確かにボクら白鳥は人間から好かれてるみたいだけど、だからって苦労がないわけじゃないんだ」

誤解しちゃいけないよ!

「苦労……、どんな苦労?」
「キミの100倍も苦労してるよ」
「100倍!そんなバカな」

「バカな、じゃないよ。いいかい、キミは知らないかもしれないけど、ボクらは3000キロも離れたシベリアから飛んできているんだぜ。それだけじゃない。冬が終われば、またシベリアまで戻らなければならないんだ。2、3週間かけて3000キロも。これがどれだけ大変なことか解るかい!」
「……?……!?」

「旅の途中、どれだけの仲間が力尽きて死ぬことか。とにかく渡りは危険がいっぱいなんだ。それに比べたらキミの苦労なんて、ちょっと蚊に刺されたくらいのもんだよ。そのくらいの苦労なんて、苦労のうちに入らない。だから、逆にボクはキミが羨ましいよ」

「……?……!?」
 
 いかがでしょうか。
 カラスは世の中の理不尽に苦しんでいました(そうは見えませんけど……)。
それゆえ優雅な白鳥を羨んでいました。
<なんてアイツだけが……、なんで自分だけが……>
 
 しかし、それはカラスの勝手な思い込み、カン違いに過ぎません。
実はカラスは白鳥の表面だけを見て、つまり優雅で平和な姿だけを見て、勝手にそう判断していたのです。

内面的には、白鳥も常日頃大変な苦労を強いられているのです。実際、白鳥は優雅に見えて、水面下では必死に水かきをしています。優雅に見えるのは、まったく表面上だけのことなのです。

それに白鳥には「渡り」という大仕事が義務づけられています。宿命といってもいいでしょう。

こう考えると、カラスの言い分が全くの的外れであることが分かります。むしろカラスのほうが白鳥よりも恵まれている感さえあります。
 
これと同じことが、私たち人間にも言えます。

人間社会は理不尽です。間尺に合わないことがたくさんあります。
それは社会そのものが理不尽にできているからです。さらに言えば、人間自体が理不尽な存在だからです。

それについては長くなるのでここでは述べませんが、いずれにしても社会は理不尽、不条理に満ちており、ストレスなく生きていくためには、このつきものである理不尽、不条理をある程度受け入れるしかないのです。

でも安心してください。
理不尽に苦しむのは私やあなたを含む、いわゆる庶民だけではありませんから。
 どんなに立場のいい人でもそのレベル、レベルで形を変えて理不尽に苦しんでいるのです。
いや、むしろエリートのほうが、受ける恩恵が大きいだけに、その裏に潜在する理不尽も大きいのではないのでしょうか。

有名人がそのよい例です。
有名になれば確かに世間に名が知れ渡って(多方面において)有利になるかもしれませんが、その反面、有名税というヤツに苦しめられる可能性が高まります。
先般、テレビでのちょっとした言動がバッシングの対象となり、それによって自殺に追い込まれた女性がいましたが、典型的な事例と言っていいでしょう。
それゆえ古代中国の思想家は、有名になることを極端に恐れたといいます。
 
いずれにしても、生きている限り理不尽は避けられないのです。
とはいえ、理不尽は悪いことばかりではありません。理不尽によって鍛えられ、成長するという側面もあります。大いにあります。

柔道の金メダリスト大野将平選手が、以前テレビに出演してこんなことを言っていました。
以下は大野選手が、記者のインタビューに応えたものです。
 
──2013年の世界柔道選手権初制覇以降、ずっと柔道界のトップを走り続けていますが、これまで大事にしてきたものとはなんでしょうか。
 
大野将平(以下、大野) 柔道の私塾「講道学舎」。そこで教わってきたことが僕の財産ですね。山口に12年間住んで上京し、中学1年から親元を離れて寮生活を送りましたが、あの6年間はキツいとかしんどいのレベルじゃない。地獄のようなところでした」
(NewsPicksより=https://newspicks.com/news/4497314/body
 
大野選手はこの時「理不尽」という言葉を使っていますが、まさにこの理不尽(虐め、しごき)が大野選手を鍛え、成長させてくれたのだといいます。
 
いかがでしょうか。
そんなわけで私はいつも「理不尽、この有り難きもの」と思っています。
若者は特に「理不尽」の真の意味を知るべきだと思っています。


 
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