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「死にたくなっても助けは来ない」

死にたくなることが不意に強く訪れる。真っ黒いモヤモヤとした泥ついた闇が心を蝕んで不安を掻き立てる。

「ああ、生きてるの疲れた。」「何で生きてるんだろう」「死にたい。何も楽しくない。」

不安は、太陽が沈み始める夕方から夜にかけて拍車をかけるように増してくる。数日続くこともある。

良いように利用されて、暴言吐かれて、馬鹿にされてもヘラヘラ笑って受け流す事しか出来なかった私は毎日風呂場で泣いた。大泣きした。

結婚とか周りは当たり前のようにしてる中、私には恋人も居ないどころか悩みを話せる友達すら皆無。

仕事は父親譲りで、ミスばかり。接客も人が怖くて声が上手く出せなくなる。息が詰まるとはこのことだ。いつも怒鳴られ泣いて最後には見放されて虐められて仕事を辞める。

私には、一つも取り柄がない。普通以下の出来損ないだ。だから努力しても理解されない。自分が辛くなって胃潰瘍起こしたり盲腸起こしたり体が限界を迎える。

「私って、生きてて意味あるのかな?」

人に愛された事も無いから人肌とか温もりとか知らない。誰も相手にしてくれないから話しかけてみると、その場はシーンと静まり返る。私が居なくなるとまた話し出す。嫌われ者。

私の事を独りが好きな人なんだね。って、言われるけど誰も遊びに誘ってくれないから独りで出掛けてるだけ。まあ、気を遣わなくて楽なのは本当だ。だからこそ、余計に独りに慣れていく。独り映画館は最高だ。独り焼き肉に独り動物園。自分の行きたい所に好きなだけいられる。幸せだ。

ただ、友達とキャッキャ笑ってる友達同士や家族連れを見ると前は気にしなかったのに、心がえぐられる。私は一緒に話す相手が居ないのだ、と実感させられる。私が死んでも当分は見つかる事も無いのだろう。大家さんが、家賃未払いで異変に気付いて見つかるとかなのかもしれない。

私が一生懸命食事に誘っても遠回しに断られるかドタキャンされるのがほとんど。私の奢りだから、と言っても変わらない。

根っからの嫌われ者なのだ。かれこれ生きてきてアラフォーも近い。人に会わないような生活をして、ストレスを溜めないようにしてるが、独りが孤独で寂しくて生きる意味なんてあるのかも分からなくなる時だってある。

生きがいとか、やりたい事とかは、もう殆どやり切った。だから、たった今この瞬間に死んでも後悔はない。むしろやっと死ねると思うだろう。

生きたくても生きられない人もいる。とか、自殺なんて駄目だよ。とか、根拠も無いのにそれがさも正義で当たり前かのように言われるのがことさら大嫌いだ。生き地獄の苦しみを、トラウマをずっと抱えて平然な素振りして生きている私の何がお前に分かってたまるか。

オモテの明るくて優しい元気な私。馬鹿にされてもヘラヘラ笑って怒らない。

ウラの殺意しかない、人間滅びろと思って人を見下して生きている私。

オモテとウラの私は真逆過ぎて疲れる。人間なんて愚痴か自慢か他人の噂話しかしない。嘘の塊。

それが、長年醜い人間を見てきた私にはある程度会話しただけで分かってしまう。

コイツ人のこと見下してるな。とか褒められたいんだなとか。嫌な部分がドロドロ溢れてきて吐き気がする。

だから、必要最低限しか人間とは関わりたくない。

一見ニコニコ優しそうな人だな、と思っても必ずボロが出て、あー、コイツもか。って呆れる始末。

私は完璧な人間なんてこの世には存在しないと思ってるけど、ゴミのような人間が溢れかえっていて、ネット社会になり更に礼儀も何も無い人間しかいないように思えた。

自分の価値観を上げるために、弱そうな何でも肯定しそうな人をターゲットにして悪口や馬鹿にしたりして、こいつより俺はマシだ。と、悦に浸る人間の多いこと。

その逆も然り。
私は可哀想な人間何です。一人じゃ生きられないんです。か弱いんで助けてくれる人がいないと死んじゃいます。みたいな自分可哀想な女を演じる奴とか。弱い女に男が弱いのは自分が助けてあげてる悦に浸りたいから。

じゃぁ、自立してます。一人でも生きていけます。友達なんていりません。恋人も結婚も必要ないです。

そんな人が居たら、悪口言われるか僻まれるか強がっていると罵られるか。

人間、結局自分が一番大事だから、他人を裏で罵倒して生きている。哀れ。

親が助けてくれる。そういう家庭に育って入ればネジ曲がった根性もまた、変わっていたのかもしれない。

表面取り繕う親は、第三者には優しい良い父親に見える。私と二人きりになると途端に愚痴る。ネチネチネチネチ。殺したくなってくる。自分の食事は用意するが私のは無いのが当たり前。病院から帰って来たら、部屋の布団に投げて放置された事も実家である。ご飯は私の分だけ無いのが当たり前。学校で虐められたら、嫌な顔されて心配された事など一度もない。成人式は、姉の時は化粧して着物着て写真館で撮影したのに私の時は何もなし。

インターン先の会社に写真見せてと言われて誤魔化すのに必死だった。もちろん成人式にも参加するのが恥ずかしくて行けなかった。

何度も死にたいと思って生きてきた。中学生の頃は、20歳になるまでには死ぬと思ってた。でも、生きてた。次は四十歳までに死ぬと考えた。

でも、生きる希望も意味も無いのに死ねないで生きている。

死ねない苦しみから解放されたい。でも、誰にも私の言葉は理解されない。理解したフリならいるかもしれないが到底理解されないだろう。むしろ優しい家族だと言われる始末だ。

願い事が叶うなら幸せになりたいと高校生の頃に願いを込めたが今は眠るように衰弱死したいと思っている。

もし長生きしたら。

なんてことは考えないようにしてる。

一日でも早く死にたい。

簡単に自殺出来るほどの弱さがない。精神力が無駄に強すぎて、理性に溢れているから冷静に対処してしまう。感情的になっても心の奥底では冷静な自分がいる。

だからこそ、死にたくなっても死ねない。人間の仲が良い人が一人も居ないから孤独死になるだろう。

未来には夢も希望も思い残した事もない。だから死なせてください。悔いはない。


これから、あと50年後には地球温暖化で人間が滅ぶと言われている。

そこまで生きていたくない。

大量の薬をヨーグルトに混ぜて食べると自殺が上手く出来るとある映画でやっていた。

首吊りで死ぬ方法も調べた。

生きることに意味などない。だけど、死ぬのが怖いから生きる意味や、夢や、希望、やりがいなどの刺激を求める。人間は高度な技術を発展させ過ぎた。そのせいで不幸になっている。

だから余計に弱者を探して、バカにして苛めて集団で群れて粋がっている。

一対一なら、どっちが勝つかなんて分からない。やってみないと分からない。

ストレス社会のせいで、人を殺すゲームが増えている。そして、現実でも人を殺す。


本当のお前は弱いくせに。


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