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泡日記4

春休みである。毎朝今日は息子に何をさせたらいいだろうと考える。コロナ過の影響もあってか、クラスメイトがいきなりピンポンして遊びに誘ってくれるような展開が起こらないので、母親同士でラインして互いの子の空き具合を確認して遊ばせるのが春休みの常である。でもこれはきっとコロナのせいだけではないのだろうな、私の社交述が長けていたら近所に知り合いも増えて何気に気楽に子供同士で遊べるのだろうけど、学校とサッカーの交友関係に頼りがちになる。私は立ち話しやいわゆる井戸端会議が本当に苦手なのだ。

先週は母の見舞いで息子と一緒に飛行機に乗った。WBC優勝の瞬間は空の上にいて、降り立ってから大谷が最後を締めて勝利を決めた事を知り、息子は見たかったぁと嘆いた。でもそのあと遅い昼食を取るために入った駅近くのうどん屋で、二人並んで店の奥のテレビで何度も繰り返される映像を見たのもなかなか良いものだった。おかげで暫くはWBCと肉うどんが妙に味わい深く頭の中で同時再生されそうである。息子はわかめうどんを食べきれなくて残してしまった。本当は冷たいのが食べたかったとのこと。母も子も写真が添えられているものの中からしか選べなかった口である。

病室に母を訪ねると、覚悟はしていたが母は私と息子の顔を覚えていなかった。そこまでショックを受けなかったのは息子が側にいてくれたことが大きい。無機質な白い部屋に10日近くも篭り切りだったのだから仕方ないことだ。それでも話を合わせていると、娘(私)と親しい人たち(私とその息子)であるという設定で母はいるようである。私達が話の矛盾点をそのままにして返事をしていれば、母は笑顔で答えるし思い出話のなかにふと鮮明な思い出がよみがえって楽しく話すこともできる。話し方の癖や合間に鼻をすする様子も普段の馴染みある母のものであったから、私はその姿を見れただけで十分で、母が作った設定での対話で垣間見える新しい母の一面を、愛おしさをもって体感した。母の敬語には私達への親しみがあったから、苦しくもなかった。
息子は最初戸惑っていた。そりゃあそうだ、少し前まで当たり前に名前を呼び合い、学校やサッカーの事を報告していたのだもの。でも今回彼を連れてきたことへの迷いはない。ただし、もし彼が動揺したときには安心できるように私が平常に構えて準備していようとは思っていた。
以前のババの姿ではない事に少し動揺を見せる息子に対して「大丈夫だよ」しか繰り出せなかった私だけれど、こうやって身内の人間が老いて、変化していく姿を彼が捉える事も、きっと意味のある事だと信じている。
いまの環境でそして年齢で体験する個々の出来事は、きっとその人が許容できるから用意されたものなのではないかな。今はこの事を伝えるのは難しいけど、いつか君に話そうと思うよ。

せっかく来たのにどこにも遊びに連れて行けずで申し訳なかったなぁ。でも持たせたカメラで写真や動画を撮っていたら、優しい琴電の運転手さんに帽子を被らせてもらって一緒に写真を撮れたり、宿泊先のホテルの大浴場(男湯)を暗証番号も荷物も管理して一人で行って帰ってこれたり、昭和歌謡が流れる焼き鳥屋で夜の9時半に母と二人で軟骨を食べた事なんかを、これからババの事を思うときにいつか思い出すのかも知れない。WBCが巡ってくる度にかな?
ビールとウーロン茶で乾杯したいい夜だった。

肉うどん(冷)
いつになればスムーズに注文できるのか
二両編成のワンマン列車


椿がだらだらと
18時の音楽が流れていた

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