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祖父のこと

建付けの悪くなった扉のノブを回して中に入る。ガチャリと音がして後ろのドアが閉まると視界が急に真っ暗になった。靴を脱ぐだけのスペースしかない玄関のたたき。そこから急勾配の階段を這うようにして二階に上がっていく。上に近くなると日の光も入り込み目もやっと慣れてくる。かび臭い匂いを鼻の奥に感じるけれどこれは嫌な臭いではない。
おじいちゃん家の匂い。

階段を登り切ったところは、ウナギの寝床のようになった長い部屋のちょうど真ん中あたりに位置している。
「おじいちゃん、来たよ!」
あえて大きな声で言ってみるけれど、返事はない。

ーきっと、こっち側に居る。
入って左の方へ数歩進むと、日の光の逆光で、キャンバスに向かって座っている毛糸の帽子をかぶった祖父のシルエットが見えた。

ザリっ。ザリっ。
この擦っているような音は祖父がキャンバスに絵具を重ねている音だ。
祖父は耳が悪く、私が入ってきたことにも気が付いていない。
驚いてひっくりかえらないよう、肩を叩いてから「おじいちゃん。来たよ。」ともう一度声をかけた。
それでも幾分驚いて振り返った祖父の、分厚いメガネ越しの目と私の目があってようやく「おお!来たか!」と大きな声がかえって来る。

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祖母は私が中学生の頃に亡くなった。
最後に病院に入るまで、長男だった父が祖母をひきとり、私たちは団地の部屋をニコイチで借りて数年間一緒に暮らしていた。
どういう理由があったのか知らないけれど、祖父と祖母は私が生まれる前から一緒に暮らしておらず、祖父はずっと一人ぼっちでこの古い木造の文化住宅の二階で暮らしていた。

祖父母が一緒に暮らして来なかった理由は、息子である父や叔母らから疎まれている様子を見て、なんとなく聞いてはいけない事なのだと感じていた。

幼い頃から何度もここに連れられてきているけれど、特に小さい時は玄関あがってすぐの急な階段や、日中でも電気をつけなくては暗くていられないような部屋が恐ろしくて仕方なかった。

部屋には沢山の本が山積みになり、しまう場所がなくてそのままになっている服の山や、食卓である小さなちゃぶ台の上にも、趣味の油絵や書道の道具が散乱していた。

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盆、正月になると、親族が祖母のいるうちの団地の家に集まって来る。祖父もこの時だけはと近くに住む叔母の車に乗せられてやって来た。
大人数でわいわいとなるこのイベントが私にとっては楽しみな事だったけれど、必ず一度、二度といざこざが起こる。
その原因はたいがい祖父の頑固な振る舞いだったり、これまでの(何があったのかは本当に不明なのだけれど)祖父の行いへの恨み節が発端となっているようだった。大人たちが私たち子供の前で堂々と喧嘩をはじめるのは、ハラハラしながらもどこかこのイベントの風物詩のようだった。

皆からちょっと厄介扱いされているこの祖父の事を、私は恐れながらも好きだった。父や叔母達にとってはいつまでも頑固な雷親父という存在であることに変わらなかったけれど、その歴史を知らない私にとってはいま目の前の祖父が全てだ。
その祖父からは厳しいながらもいろんな事を教えてもらった思い出がある。

例えば部屋の掃除の仕方。
うっかり祖父の前で何も考えずに畳の上に掃除機をかけていて雷がおちた。畳の目をしっかりみて、それにそって掃除機をかけることを、私は親ではなく祖父に教わった。

例えば本を読むこと。書や絵を楽しむこと。
祖父は大変な読書家だった。祖父のかび臭い家に沢山積まれていた本は箱にはいった古い立派な本ばかりだった。歴史ものも大好きだったようで「平家物語」や「史記」などのタイトルを覚えている。他にも書道の本、カメラの本、美術関連の本も多かった。
私が中学の授業で暗記した枕草子を電話で聞かせた折は、親よりもこの祖父が喜んでくれた。しばらくたったある日の午後、郵便屋さんが私宛の分厚い封筒を届けてくれた。封をあけると箱入りの枕草子だった。

祖父の家でも、団地の家に泊まりに来た時でも、怒っていないときは静かに書机に向かうか、絵を描いていた。
私が好きなものは、この祖父の影響が大きいのだと今でも思っている。

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その祖父が亡くなってからもう二十年以上経つ。
私は未だに心の中でこの祖父に語り掛ける。
こんなこと、あんなこと。
おじいちゃん見てたらどう思うかな、なんて言うかな。

しんどいことが続くと、わたしは心の中の祖父に「なんか意味があるんやろ?」と聞いてみる。応えはもちろんないのだけれど。
心の中での存在を頼りにしているのだ。

おじいちゃん、見ててね。守ってて。

手を合わせるわけではなく、おまじないのような身勝手な願掛けだけなのだけれど、祖父が見ていると思うとなぜか背筋が伸び、いい加減な事はできないという気持ちになれる。

浮かぶのは気難しい姿ではなく、私の中学卒業の時分にたまたま桜の下で撮った祖父が笑っている写真の顔だ。

思い出す人がいる限り、まだその人の存在は消えないのだと温かく、信じている。


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