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東海道を歩いてみた(日本橋から川崎宿まで)

「行ってきます」
土曜日の朝8時過ぎ、夫から来たLINEを開くと、この一言と一緒に写真が送られてきた。橋げたの”日本橋”の文字の隣で息子がピースサインで微笑んでいる。
ふふふ、いよいよだね。
「いってらっしゃい。」と返してから、私はGoogle mapの地図上で経路を今一度確認する。今日は息子の自由研究の一環で、昔の人と同じように日本橋を起点に東海道を歩いてみようというチャレンジの日なのだ。暑さは相変わらず厳しいけれど、休憩を細目にはさんで熱中症対策をしっかり取りながらの挑戦である。

実はこの東海道ウォークは、親の提案を息子が受け入れる形で実施となった。毎年夏休み前になると今年は何をやろうと家族会議をする。過去3年はピタゴラスイッチ(ビー玉三兄弟)風しかけおもちゃ作り、家の模型作り、推しサッカー選手のマトリョーシカ製作と、かなりの作業時間と親の手を要する作品作りばかりだったのである。なので賛否はあると思うけれど、我が家にとっては自由研究は自然と家族で取り組む夏の行事の一つような感覚になっているのだ。
今年はサッカーの合宿もあるし、短期集中で完成させるのが理想だった。いくつか話し合った中で夫がぽろっと呟いたのが「東海道歩いてみようか?」という一言。息子はもちろんその意味を知らないので、「何それー?」ときょとん顔であるが、調べてみたら面白そうと乗り気になった。
1日行けるところまで歩いてみて、その体験を1日かけて模造紙に描いちゃおう。これで二日で終わらせよう!そうしよう!

サッカーの練習が無い8月の土曜日を決行日に定めたら、家族全員がもう半分出来た気になってほっとしてしまった。何にするか決めるまでが大変だったよねと苦笑いしながら結局前日になるまで下調べもせず、あっという間に当日なのである。(前日慌てて下調べノートを作成…)
今朝早く自分の足で歩いてその目で沢山見ておいで、と二人を送り出した。私は少し調子を落としている犬とお留守番で、情報の後方支援をおくりつつ、様子を見て後半から参戦するつもりである。

前日に調べた東海道ノートより
(いろいろな間違いはご容赦くださいね。)

日本橋の道路元標や麒麟の像の前では満面の笑み。京橋、銀座を過ぎながらも余裕の笑顔の写真が送られてくる。前日に調べたサイトでは日本橋のあとにはすぐ品川宿の情報が載っているけれど、品川宿にたどり着くまでにも相当の距離がある。せっかくなので前日に調べていた増上寺や泉岳寺にも立ち寄りたいとの事。(写真を撮るだけのようだったけど…笑)
まだ学校では歴史を勉強していないけれど、大河を一緒に見ているので徳川家康についてはうっすら知識があるらしく、どうする家康の人が作ったんだよと、彼なりの解釈をしている。ついでだからと親は色々と情報を詰め込みがちがけど、息子にとっては「歩く」ということが目的なのだ。私はそれでいいと思いつつ、品川宿に素敵なお蕎麦屋さんがあるよ~と呑気な情報を彼らに送りつける。

出だし好調のようだったけれど田町駅を過ぎたあたりから、眉毛が下がり気味の息子の様子が送られてくるようになった。

母はクーラーの効いた部屋で送られてきた写真を元に、ストリートビューで彼らが見ている景色を追う。本当に暑さで大変だったら、歩かずに自転車に切り替えてもいいんだよ~と最寄りのレンタサイクルの場所をお知らせしたりしてみたけれど、「歩く」と決めている息子は頑張っているらしい。一緒に歩く父もまだ元気な様子だけれど、所々日陰のない道が続く箇所があるようで、夫から「辛い…」「日影がない…」とLINEが来るようになった。がんばれ~しか言えない。

品川駅を超えて箱根駅伝でおなじみの八ツ山橋を超えたら、道は旧東海道に入る。この辺りは品川宿を前に道幅も狭くなり楽しい様子。前日に歌川広重の浮世絵を印刷してノートに貼っていたけれど、どう思っているかしら。昔は海がすぐそばまで来ていたこと、感じるかしら。
目的のお蕎麦屋さんで蕎麦にありつく二人に、お店の人にインタビューしてみたら?と送ってみるとドギマギして無理だって。
この日は暑すぎてあまり居なかったようだけれど、東海道ウォークはシニアにも人気の旅なので、よくこの道を歩いている人がいるそうだ。だから各宿にはボランティアの人がいて、話を聞かせてくれるという。
息子は品川宿交流館でボランティアの方にお話を聞くことができたそうで、
とっておきの話といった風に、電柱を埋没させている北品川とさせていない南品川では持っているお金が違うのだというような話を私に教えてくれた。
道幅も昔から変わっていないんだって!とのこと。
自分で聞けたことはずっと印象に残るよね。それはぜひ発表しようね。

品川宿の笑顔のあと、しばらくはメッセージのない写真だけが送られてくるようになった。大森海岸の階段で両膝に手を置く姿、平和島の駅で冷たいタオルを頭に巻いてガッツポーズをする姿。着実に進んでいる、歩いている。えらい!
私も京急蒲田駅で合流するために家を出発。外に出るとアスファルトからの照り返しが苦しいほどの熱さで、よくこの中を歩いていると感心。そして大体彼らが歩いてきた距離をほんの数十分で進んでしまう電車の有難さを痛感しながら向かった。車内は涼しくそのことが本当に有難い。

待ち合わせのカフェに現れた二人は、真っ赤な顔でそれでも笑顔だった。その顔つきから、しんどそうではあるけれど楽しんでいることが見て取れた。
ここからは私も一緒にゴールの川崎宿(かわさき宿交流館)まで4キロ弱の道を歩くのだ。

夫と息子が今日ここに至るまで歩いてきた距離は約15キロ。私がこれから歩くのはたった4キロ。なのに、照り付ける日差しの中で国道15号をただ歩くだけでこんなに体力を奪うんだと痛感した。
本当によくやったよねと声をかけると、めっちゃコンビニ行ったよと笑いながら言っている。勢いで始めた企画だけれど、父親と一緒にこんな経験したことはきっと強く印象にのこるだろうなぁと思った。いやどうだろう。彼の日常は毎日が新しいことで更新されているので、こんなことはその日々の中で埋もれるのだろうか。息子にとってはそうでも、私と夫にとっては貴重な時間になるのだろうな。息子が私たちを必要とし、付き合ってくれる時間もの残り僅かだろうから。

午後15時をすぎて合流した私も、六郷神社にたどり着く頃には着ていたTシャツが汗びっしょりである。こんなことなら自分も着替えを持ってくればよかったなぁ。川崎で付近の銭湯に入って帰ろうと思い二人には着替えをもたせていたけれど、私はタオル1枚だけ持って来てだけである。地図上で1時間ほどの距離だからそれほどでもないと思っていたら、2キロ歩いてもう後悔の汗の量。準備、予測が足りなかった…。
でも私の楽しみは多摩川を歩いて渡ること。六郷橋はもう目前である。

車でしか通ったことない六郷橋を歩いて渡ります。
ここに着くまでが長かったけど、
橋の上は風が吹いて気持ちが良かったね。
渡り切って神奈川県に。振り返ると東京都です。
家康が掛けた橋が洪水で流されてから
明治に入るまでは橋が掛からず船で渡りました。
最初は江戸が、途中から川崎宿が渡船を請け負い、
宿の財政を支えました。

橋を渡り終えると再び旧東海道に入り、石畳風の舗装が敷かれた道に入る。ゴールをすぐそこに控えて、さすがに夫も息子も足が痛いと言い出す。元気なのは私一人で、あちこちの案内板を読んで息子に教えようとするのだけれど、息子は「とにかく先にゴールしたい。」の一言。さすがサッカー選手(ゴールの意味違うけれど)だね。うんちくは後追いです。

16時過ぎに川崎宿交流館に到着。
歩いた距離は19キロ弱、かかった時間は8時間。休憩を多めに取ったから時間はかかったけれど、歩ききった達成感で息子も満足している様子である。
交流館にはジオラマがあったり、江戸当時の庶民の衣装が借りられるようになっていて、タイムスリップしたような気持ちを味わったようだ。ね、君があるいてきた道は昔は土や石だらけだったし、靴もなかったからこんな下駄を履いて歩いてきたんだよ。
「それは………無理っ!」
というのが息子の感想でした。

ジオラマが好きすぎて、いつも時間を忘れて見てしまう。

帰り際、銭湯の熱めのお湯に浸かって汗を流してから、夕涼みながら岐路に着きました。(帰りは電車です)
この夏休みは日に焼けることしかしていないけれど、こんな時期を過ごすのもあとわずかと思ったら小学生の夏休みを追体験するのもまた楽しいと感じました。
翌日から二日かけて模造紙に自由研究を仕上げた息子。忙しくて、にぎやかで、暑くて楽しい夏をありがとう。


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