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お腹が鳴る。牧野伊三夫さんのエッセイ

昨晩は牧野伊三夫さんの本を読んでいた。
暮らしの手帳の今号に、牧野さんが飛騨高山を訪れた際の紀行文が載っていた。牧野さんのスケッチと文章を読んでいると、とたんにお腹がへってくる。赤提灯に惹かれて飛び込んだ酒場で、女将が出してくれた小皿に舌鼓をうってお酒を一杯。想像しただけで、もう口の中がじわっとなる。
そのじわっが心地よくて、積読の中から「画家のむだ歩き」という一冊を手に取った。

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牧野さんはとはどういう方なのか。勝手に思い描くしかないのだけれど、その人となりが著書と描かれた絵に全面に出ているというか。

「〇〇したい」という欲求に率直に従うことで、思いがけない出会いや感動を味わう機会が増える。その体験が、そのまま絵や文章そして手書きの文字に表れていて、それが読んでいてなんだかとても心地よい。

牧野さんはある夕刻、ちょっとした息抜き散歩のつもりで、車窓の景色がみたくなったとふいと電車に乗りこむ。足元はサンダル履きのまんま。途中で折り返すつもりが、気持ちよくなってそのまま松本まで行ってしまう。
そこから数泊。よく知らなかった松本の街を、直観のままに歩いて、飛び込んで、飲んで、食べて、出会って、ご自分の体にすっかり馴染ませてしまうのだ。なんて素直で素敵な反応力だろう。


また、牧野さんは銭湯の愛好家でもある。
料理研究家の方の誘いで通うようになったらしいけれど、行く先々での銭湯上がりの一杯とお酒の肴の話は、夜中に読んでいるとなんとも危険。
普段呑まないウィスキーなんかを飲みたくなる誘惑をぐっと堪える。
他にも、焼き鳥、おでんにカレー、ラーメン、厚切りのハムカツ…!
たまらず「ぐぅっっ~」と鳴る私のお腹。


臆病な自分には到底無理だけれど、こんな人と友達だったらどんなにか楽しいだろうかと思う。
まぁ、まず無理なので(当然)、牧野さんという知り合いに教えてもらっているかのようにこの本を読んでいる。


コロナが落ち着ついて、自身の状態もよくなったら、夫と息子を誘って下町の銭湯に行ってみたい。湯上り散歩しながら、その場で惹かれた暖簾を思い切ってくぐってみようかと考えている。

ちなみに牧野さんにも、haruka nakamura を経由して辿り着いた。
食べる、綴る、描く。そして、聴くからも。
「好き」はこうして繋がっている。


最後まで読んでいただき有難うございました。


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