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「怪異喰い(イカモノグイ)」第3話


 片手片足を欠損――そんな人間を抱えている八十神さんが、血まみれになっていないはずもなく。

『~~~! ~~~!!』

 動画から音声は聞こえなかったが、破いた服で右腕と左足の傷口を縛りながら私の名を呼んでいるらしい八十神さんの姿は、かなり凄惨なものだった。

(なん……これ、死んどーんやなかと……?)
 
 何か言うでもなく、おろつくでもなく。
 ただただ私は固まったまま、スクリーンから目を離せないでいた。
 動画の中の私はまったく動かない。冗談抜きに、それは死体のようだった。
 
「映像が無音だったことがせめてもの救いでしたかね。貴女にとっても、――この男にとっても」

 と言って、オキツネさんは再び鈴を鳴らす。リン、という涼やかな音が部屋に響く。それと同時に、空中で青白く光っていたスクリーンも折り畳まるように消滅した。

「以上が貴女の身に起こったことです。ご理解いただけましたか」
「い、いや……あの、ご理解いただけましたか、って」
「はい」
「え、その、映像の私、腕と足片っぽずつなかったですよね?」
「えぇ」
「多分すっっっごい叫んでた八十神さんにも返事してなかったし、ぜ、全然動かなかったですよね。血、すごかったですよね? あの、そもそも八十神さんが持ってた腕と足、私の、ですよね?」
「貴女以外のものでしたら別ベクトルでホラーですね」

 あくまでオキツネさんは冷静さを崩さない。ふわり、と白銀色の尻尾が揺れる。

「いやでも、あの、……私今、両腕両足健在なんですけど」
「良かったじゃないですか」
「こうして普通に話してるし、腕も手も動くし、足も動くし普通に繋がってるし息もしてるんですけど」
「そうですね」

 ふわり、ふわり。相槌の度に揺れる尻尾。
 私はそれを目で追いながら過去一大きく息を吸い、
 
「………………私、何で生きとーんか………………??」

 その一言で、吸った息全てを吐き出した。息を吐いたまま、ゆっくり下を向く。真っ白なベットの白が、光に反射して目に痛い。右手に力を込め、そのままぎゅっ、ぱっ、と拳を作り、手を開き、を数回繰り返す。
 
(信じられない)

 だってこの腕には血が通っている。映像では千切れていた。しかし今は繋がっていて、血が通っていて、温度があって感覚がある。左足も同じだ。つま先にまで感覚があるし、指も自分の意思で動かせる。確かに、繋がっている。
 映像の中で起こったことだ、何より今と当時の状況がかけ離れ過ぎている。にわかには信じがたかった。しかしオキツネさんがフェイク動画的なものを私に見せるメリットなど、私が考える限りはどこにもない。

(信じ、られない)

 つぅ、と一筋、額を汗が伝う感覚がした。

(だって、だってこれじゃあ、まるで私が)

 私がまるで、化け物だったと――。
 
「混ぜ血、または混血」

 口ずさむように、オキツネさんが言った。

「……え?」
「ハーフ。ハイブリッド。それから覚醒者。神の子。忌み子。一部では鬼子とも呼ばれているようです」
「お、オキツネさん……?」
「政府の管理下に置かれていない一般層から見つかることは極稀ですが、まぁ、見つけてしまったからには仕方がありません。――顔を上げなさい、呉羽水月さん」
「っ!」
 
 狐の顔が、目の前にあった。
 く、と私の顎を上げたのは狐の前足。力が入らず、抵抗する意味も分からず、為されるがまま顔を上げる。
 澄んだ黒曜石のような双眸が、こちらを捉えた。
 
「貴女はそういう類いの存在なんです。ですのでどうか一言、”分かりました”と言ってください」
「……なん、で」

 ふっ、と強張った力が抜ける気がした。
 オキツネさんの言葉を聞くうちに、力が抜けて、思考が緩んで、黒曜石の黒に飲み込まれるような錯覚を覚える。

「それで貴女を救えます。私が、貴女を救えます」
「――……」
 
 化け物かもしれない私を、救ってくれる。
 その一言が、その時の私には酷く甘美な響きを伴っているように感じられた。どうせ化け物ならばここで頷いたって別に構わない。言う通りにしたって、構わない。
 頼まれたことはやってあげた方が良い。例え自分が損することでも、傷つくようなことでも、自分を、見失ってしまうようなことでも。

「さぁ、早く」

 オキツネさんの声が、少し遠くに感じた。
 
(……あれ)

 ぼーっとする思考の中に、小さな疑問が一つ浮かんだ。

(何でだろう)
 
 何で私。……わたし。
 
「……呉羽さん?」

 オキツネさんの声。
 ――それと同時に。
 
『あなたは何故、ほんのひとかけらでも躊躇したの?』
「ッ!!」

 脳裏にフラッシュバックしたのは、揺れる水面に差し込む陽の光。
 バッ、とベッドから身を起こし立ち上がる。私は咄嗟にオキツネさんから距離を取った。心臓が早鐘を打っている。何もしていなかったはずなのにこの数秒で息が切れた。部屋の出入り口がある方ではなく、空間の狭い窓際側に立ってしまったのは判断ミス、だったかもしれない。
 
「呉羽さん、どうしましたか」

 オキツネさんが、先程と何ら変わらない声音で尻尾を揺らす。

「何か――えと、その、何となくちょっと! 危険な感じがしました!」

 私は負けじと声を張り上げる。根拠などどこにもない、本能の警鐘。
 悪い感じではない。悪意は感じられなかったけど、ただちょっとだけ、危険な感じがした。頷いたら駄目だ。”分かりました”と言ったら駄目だと思った。
 思考が一気に冴える感覚。今一度、自分が自分の足で立っていることを確認するように床を踏み締めた。
 数秒の間、たしん、たしんとベッドに尻尾を打ちつけながらこちらをじっと見つめていたオキツネさん。彼女はふぅ、と小さく溜め息を吐いてから、再び顔を上げた。
 
「成る程。やはり貴女は」
「オキツネ」
「「……!!」」

 ぐわんと響いたその声その一言に、部屋の温度が数度下がった気がした。
 その気配に息を飲み、そして気づいた時には八十神さんがそこにいた。抜身の刃を、振り返ろうとはしなかったオキツネさんの首に沿わせて。
 
「何回言ったら分かんの? お前」
「……何度言ったら分かるのですか? ”狐はそういうものなのだ”と」

 オキツネさんは首だけ八十神さんの方に向け、ぼそっと吐き捨てた。
 しばらく睨み合っていた一人と一匹。十秒ほど経過したのち、八十神さんは盛大な舌打ちをかまして刀を仕舞った。

「だから言ったろ呉羽、狐の言うこと簡単に鵜呑みにしちゃ駄目だって。こいつらは人間誑かすのが仕事みたいなもんなんだ、素直に信用したら良いように玩具にされて終わるだけだよ」
「人聞きの悪いこと言わないでくれますか。冗談一つも通用しないような男は生涯モテませんよ。ねぇ呉羽さん」

 いきなり話を振られたのでびっくりした。
 え? と浮かんだ表情は、きっとかなり硬いものだったに違いない。
 
「え……と、今の感じ、オキツネさん、冗談だったんです……?」
「おや」

 オキツネさん、心底驚いたように尻尾と両耳をピッと立ててから、不思議そうに首を傾げた。
 
「おかしいですね、私はいたいけな少女を騙すような悪辣な趣味は持ち合わせていない善良な狐なのですが」
「ほら見ろ、アンタの冗談分かりにくいんだよ馬鹿。つーかたかが狐如きに人間様の生涯どうこう言われたかないね。これやるからそろそろ黙って」

 ぽいっ、と八十神さんがオキツネさんに投げたのは、茶色くて四角い――

(あっ、油揚げだ)
「仕方ありませんね。少しだけですからね」
(あっもしかしなくても買収の瞬間……)
 
 凄まじく綺麗な跳躍を見せて、見事空中で油揚げをキャッチするオキツネさんであった。
 
「で、君はクソギツネからどこまで話聞いたの?」
 
 八十神さんは外で買ってきたらしいカップアイスの封を開けながら、私にそう聞いた。
 
「あ……。その、私の右腕と左足が吹っ飛んでたのになぜか綺麗に治ってる、っていう状況は教えてもらいました。あと――まぜ血? 鬼子、みたいな話も少しだけ」
「そ」
 
 じゃあまぁ、はいこれ、と手渡されたのは手頃な大きさのサンドイッチだ。お礼を言って受け取ってから、自分が空腹な事に気付く。ぱく、と口に含んで一頻り噛んで飲み込んで、それから私は少しだけ肩の力を抜いて言った。

「でもそっか、冗談だったんですね……。あはは、さすがにびっくりしちゃいましたよ! 映像めちゃくちゃリアルだったし、オキツネさんめちゃくちゃ真面目に話すし! でも、そりゃそうですよね! 人の手足吹っ飛んだあとに傷一つ残らずにょきにょき復活するはずないですもんね!」
「それは事実だよ」
「だったらそろそろ私もお暇しよ――」

 …………。
 安堵の吐息がそのまま凍り付いた。ついでに、再び思考も。
 全力で怪訝な顔をしてしまった。

「は?」
「それは事実だよ呉羽。俺が君の千切れた右腕と左足を拾ったし、俺が出血多量で瀕死の君をオキツネの指示でここまで運んだ。あ、参考までに伝えておくけど、ここ政府が直接管理してる類いの病院。オキツネから聞いてる?」
「き、聞いてません」
「あー。じゃあついでにもっと伝えておくと、ここ”対怪異特別捜査本部”専門棟。んで、こいつ色々説明省いたっぽいからまぁオレも省いた上で簡潔に伝えるんだけど」
「え、何で省くんです? あの、ちょっと八十神さん、私状況がまったく理解出来な――」

 アイスをすくった木のスプーンをこちらに向け、八十神さんは堂々と言い放った。
 
「呉羽水月。君は俺と組んで、”イストワール”を半壊させた挙げ句君自身を瀕死にさせた怪異の討伐担当をすることになった。これもう上で決定されちゃったから君に拒否権ないよ」
「は……」
 
 ちなみにとても悲しいことに俺にも拒否権は無い、悪いね、と。
 特に思ってもいなさそうなことを言いながら、ひらひら、と右手を振った八十神さんに、私は棒立ちのまま「はぁッ!!?」と叫んだのだった。

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