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「怪異喰い(イカモノグイ)」第2話


【回想的なもの】
 
 昏睡と覚醒の間を、行ったり来たりしているような感覚だった。
 両目に映る視界が揺れていた。何とも言えない、不思議な抱擁力に全身を包まれているような感じ。
 ――敢えて明確な言葉で表現するならば、それは”海”だった。穏やかな水の流れが頬をくすぐった。

(……どうして)

 私ではないわたしが、頭上はるか遠くの水面に手を伸ばす。
 しかしその手は届かない。言葉も、声も、決してその先に届くことはない。
 ああ、どうして。どうして。音もなくただそう問い続けて、この身は底へ底へと沈んでゆく。
 悲しみとも、諦めともつかない感情の動き。
 ゆっくりとまばたきした、その目尻から零れた泡沫だけが水面へと昇っていった。

***

「……」
 
 ぱち、としっかり両目を開けた。
 寝起きの良さだけは誰にも負けない自信がある、私呉羽水月である。意識はこの上なくはっきりしている。しかし記憶がいまいち曖昧だった。記憶の点と点が繋がっていない感覚に、(ん?)と内心首を傾げた。
 真っ先に目に入ってきたのは見慣れない白塗りの天井。そして視界のど真ん中で、煌々と光り輝いている電灯――。

「うわ目ぇ痛ぁッッッ!?」
「やかましいよ呉羽」
 
 光源を見続けた時に感じる痛み、その数倍の苦痛で私はベッドから飛び起きた。無理もない。光源を見つめたのが一秒に満たない時間であったとしても感じる頭痛目眩だ。それを私は少なくとも三秒は見続けた。意識全然はっきりしてなかった。馬鹿だった。私今かなり馬鹿だった! 
 痛い、痛いぞ、目と頭が痛い!!
 うおおおおお、と目を押さえながら悶絶すること数秒ほど。

「……ん?」

 今、私以外の声がしたような。幻聴?
 ぎぎぎ、という音が聞こえそうな、不自然な動きで首を回すと、

「え゛……何で八十神さんがいるんです……?」
「は? 何その濁点つきの一言。八十神さん心外なんだけど」
 
そこにはまったくもっていかにもな表情の――ベッドの近くに置かれた椅子に座り、同じくベッドの近くに置かれた丸机に片肘をつき、片眉を上げながらトントントントントントントントントント(以下エンドレス)と不機嫌そうに人差し指を上下させている――八十神さんが、いらっしゃった。
 ちなみに片眉を上げながらの笑顔である。私が何かやらかした時に周りの人がよく浮かべる表情である。つまり恐らく大層ご立腹。
 心境的には寝起き早々マジぴえんである。

(で、でもなぜご立腹……!?)
 
 聞きたくはなかったが、ここは仕方がない。素直に聞いてみることにした。
 冷や汗を浮かべつつ、悪戯がバレた小学生の如く、すっと手を上げた。

「不肖呉羽水月、さては何かやらかしましたか」
「馬鹿は馬鹿だけどこういう時の空気はそこそこ読めるんだね君」

 やっぱり新手のタイプだよ、呉羽は。
 そう言って八十神さんは体を反らし、深い溜め息と共にベッドの端に足を投げ出した。
 
「ま、実際のとこは”やらかした”どころの話じゃないのが難点だな」
「……え?」
「はぁ~……嫌だ鬱だ最悪だ。週末にあいつと顔合わせなきゃなんねぇとか世紀末でしょ。大層メンドーなのがまた一匹って? 洒落になんない」

 八十神さんはとんでもなく嫌そうな顔をして、椅子の前足を浮かせてガタガタさせ始めた。いや子供か。
 ……では、なく。
 彼の言っていることがいまいちよく分からない。体にかかったままのタオルケットを払い除け、私はベッドから身を乗り出した。

「あの、そもそもここどこですか? 私確か、八十神さんとカフェでコーヒー飲んでましたよね? あと”一匹”って」
「失礼。それはこの男ではなく、私から説明します」
「!」 
 
 首を傾げながら呟いたのをぶつりと切ったのは、八十神さんではなかった。
 よく通る、凜とした女性の声。
 はっとして八十神さんの背後の室内を見回したが、……彼以外の人は見当たらない。
 そして感じた、ベットに伸ばしたままの足にのしかかる、一定の質量。
 ん? この重ささっきまでなかったような――と、そのまま視線を正面にずらすと、

「こんばんは。お初にお目にかかります。オキツネという者です」
「あっこんばんは。こちらこそ初めまして、呉羽水月です」

「……」
「……」
「……」
「…………えっ、あの。……あの、え……?」

 ちょこんと、狐が、座っていた。
 ものすごく丁寧なお辞儀、それに加えてめちゃくちゃ自然な流れで当然のように挨拶されたから、思わず普通に返してしまった。返してから、この状況の現実味の無さに絶句した。
 え、あの、その、あの、と言葉にならない言葉をもごもごと口走りながら八十神さんを見やる。オキツネと名乗った小さな狐を指し示す。
 
「こっこの狐、今、喋っ、え……?」
「へーえ。オキツネのこと初見で叫ばなかった人間初めてだよ俺」
「八十神。貴方はしばらく黙っていなさい」
「あっはは、いちいちいちいち本当に口うるさいねアンタ。要らんことに介入してくるクソギツネに邪魔者扱いされるのは御免だ、言われなくてもそうするよ」
「やっ、八十神さん!?」
 
 こちらの呼び掛けに返事をすることなく、「あんまソイツの言うこと鵜呑みにしない方がいーよ」とだけ言い置いて、八十神さんはさっさと部屋から出て行ってしまった。
 目を細めて笑いながら殺気みたいなの出す人初めて見た、と私はごくりと唾を飲んだ。
 狐はフンと鼻を鳴らした。
 
「どうせまた甘味でも買いに行ったんでしょう。あの減らず口、いつになったら塞がるんですかね」
 
 白銀色の艶やかな毛並み。目と口元に引かれた細い紅が、毛色と対照的で美しい。首には紅白のしめ縄が巻かれ、黄金色に光る大きな鈴が付けられている。黒々と光る双眸には、理性的な光が灯っていた。
 ”オキツネ”と名乗った狐は、「さて」と尻尾を揺らした。

「混乱しているところ申し訳ないのですが、あまり時間がありません。呉羽水月さん。今貴女が置かれている状況を、簡潔に説明させて頂きます」
「あ……えと、はぁ……」
「ただの狐が人語を話しているだけですので、どうぞお気になさらず」
「は、はい」
「では、まずはこちらをご覧下さい」
 
 そう言ってオキツネさんは、細い前足で首から提げている鈴をリンと鳴らした。
 ブゥン……と想像の斜め上を行く機械音の後、青白い光と共に何もないところにスクリーンが映し出される。スクリーンには様々な種類のデータやアイコンが見えたが、メインタブにはどうやら動画再生欄が表示されているようだった。
 
「わぁ……。その鈴、プロジェクターになってるんですか?」
「企業秘密です。その質問にはお答えできかねます」
「あっすみません……」

 表示されたスクリーンに前足をかざし、スマホの画面をスクロールするような動きで動画を飛ばしてく。
 慣れた手つきで操作を続け、オキツネさんがピ、ピ、ピピ、という電子音を部屋に響かせること数秒ほど。
 見覚えのある場所が映ったので、私は「あ」と声を上げた。
 
「ここ、さっきの」
「はい。貴女と八十神が滞在していたカフェ、”イストワール”です。この映像は先程のお二人の様子を撮影したものになります」
「!」
 
 少し進めます、という言葉と共に動画が再生され、そのまま早送りモードに変わる。カメラはどうやら天井の隅に付けられているらしく、店の奥から店内全体を見渡す画角となっていた。
 カウンターの中を忙しなく動いていたマスターがふと手を止め、入り口の方に視線を向けると、店内に入ってそのまま席についたのは私と八十神さんだった。
 しばらく早送りされて、そして動画の中の私が立ち上がり、ぺこりとお辞儀をして扉へ向かって数秒後。
 八十神さんが勢いよく立ち上がり、目にも止まらぬ速さで得物の刀を抜いて駆け出したあと。

「え!?」
 
 カフェの扉が、瓦礫と共にふっ飛ばされた。そこで一度映像が途切れた。
 
「怪異の襲撃に遭ったイストワールは半壊状態となり、この直後に怪異と相対した八十神は結果として討伐対象を取り逃がしました。普段の彼ならばまず有り得ないことです。たまたま調子が悪かったのか、討伐対象の力が通常よりもかなり強力なものだったのか――。対象の行方を含め、現在すべて調査中です」
「はぁ……」

 曖昧な返事と共に、ゆるゆると首肯する。
 なぜオキツネさんは、怪異討伐などという私にはまったくもって縁遠い話をするのか。カフェが半壊した、とはどういうことだろう。マスターは無事なのだろうか。八十神さんが敵を取り逃がした……のであれば、どこか怪我をしているのではないか。そもそも今オキツネさんが話していることと私の今の状況に何の繋がりがあるのか。あまりにも分からない事が多すぎて、上手く思考がまとまらない。
 曖昧な相槌をするしか、出来ることがない。

「そして何より問題は貴女です。呉羽さん」
「わ、私ですか?」
「ご覧になった方が早いでしょう」

 す、と前足で示された、恐らく先程途切れた動画の続き。
 数秒ほど砂嵐が流れたあと、そこに映し出されたのは、

「……は」

 出入り口がある方向から、ゆっくりとカメラアングルに入ってきた八十神さんに抱えられた状態の、私だった。
 それだけなら、何の問題もなかった。いや、これはこれで問題はあったのかもしれないけど、今に関しては些細なことだ。
 あまりのことに絶句した。言葉を失うとはまさにこのことだ。

「お分かりいただけますか?」 

 見えやすいようにと、オキツネさんは動画を一度止め、問題の箇所をすいっとズームした。

「――何、これ」
 
 ぐったりと、血の気を失い力なく垂れ下がる私の身体。
 八十神さんは歯を食いしばりながら、両腕で私を抱えていた。そして自分の脇に、”片手と片足を挟んでいた”。
 
 誰の? は愚問だった。
 そんなことは一目瞭然だった。

 八十神さんに抱えられている私には、右腕と左足がついていなかった。

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