aob(アオバ)
日記。 2020年9月2日からはじめました。 フィクションかもしれないし、ノンフィクションかもしれない。
ただの呟き。読んでも読まなくても。 でもやっぱり読んでもらえたら嬉しい。
いろいろやってます。
保育士を続けて十数年。薄々気付いていたけれど、ADHD傾向の強い自分には保育士は向いてない。 だから保育士を辞めようととひっそりと決意しました。 その決意と過程の記録。(2020年3月退職します)
思い出し 忘れてはまた 思い出す 思い出すたび 逃げ出したくなる ぐるぐる ぐるぐる からまる思考 ふくらむ不安 変わらぬ風景 ため息を 吐いては 肩を落としても 涙は落ちない 笑えもしない こんな気持ちは 何度目だろう 数えはじめて なんになる 答えを知って なんになる 虚しいことは わかっているのに このままで いいやと 心のどっかで 願ってる 進めば次も しんどいことも 分かっているから ぐるぐる ぐるぐる 誰かが背中を 押してくれたら 進むべき道 教えてくれた
立ち位置と目線。 背中が見える立場と、 背中を見られる立場。 自分はどっちなのだろう。 多分どっちも。 でもどっちも同時に意識するのは難しい。 目の前のことに夢中になりすぎると、 自分の視点も相手の視点も忘れがち。 自分と相手。 それぞれの立ち位置と目線。 プラスそれを見ている第三者の 立ち位置と目線。 それぞれに見え方が違う。 見てる世界が違う。 それぞれの見方や見てる世界を 程良く行き来きできたらいいのにな。 それには、エンパシーってやつが大切なんだろうなあ。
今日の失敗を今は笑えない。 笑えない。 あの時、失敗した時もそう思ってた。 笑えない。 でも、今は笑える。ちょっとだけど。 笑える。 ずっと前、失敗した時もそう思ってた。 笑えない。 でも、今は笑える。他人にも言える。 笑える。 今日の失敗を笑いとばしたい。 そのためにも、明日も生きていこ。 そしたらいつかきっと。 笑える。
ふかえってみる。 昨日のこと、先週のこと、先月のこと。 ちょっと昔のこと、だいぶ昔こと。 小さかった頃こと。 思い出す場面、音、匂い、感触、味。 思い出す感情、相手の顔、かけられた言葉。 どうしてそれを思い出したんだろう。 思い出してどうしたかったんだろう。 ふりかえって何か変わっただろう。 何を変えられるだろう。 ふ 一生懸命振り返った今日を 振り返る日はくるのかな。
準備しても、予定通りにはいかない。 いつだってそう。 そんなのわかってる。 わかってるから、 準備をやめてしまいたくなる。 準備したものが意味がなくなって、 時間の無駄だったかなって。 落胆して、後悔して、消えたくなる。 どうせそんなんなら準備しなくていいや。 準備をしないで始めてみる。 もちろん上手くいかない。 上手くいくはずもない。 失敗する。 始めたことが無駄だったかなって、 落胆して、後悔して、消えたくなる。 どうせそんなんなら始めないや。 そんな繰り返し。 惰性
言葉を大切にしたい。 そんなことをよく思うようになった。 言葉を大切にするには、言葉を知らないとはじまらない。 そんなわけで、最近言葉の意味を意識して調べることが多くなった。 新しく知った言葉はもちろん、 当たり前に使っている言葉の意味も改めて調べるようになった。 同じような意味で使っている言葉も 微妙なニュアンスの違いを知るとすごく面白い。 例えば、 大切と大事。 意味は似てるけど違う言葉。 どちらもよく使う言葉で、 なんとなくで使い分けていたけれど、 改めて調べてみ
歩いていけば たどりつつけるかな 会えるかな 許してもらえるかな すり減った踵 泥だらけのつま先 まだ歩こうかな こっちかな あっちかな わからないけど ここじゃないな 歩くしかないな 立ち止まってちゃ はじまらないな キミに会いたいな 歩いていけば たどりつつけるかな 会えるかな 許してもらえるかな ※ちょっと前に書いて下書きになったままだったもの。消そうと思ったけれどアップ。後から読み返してもなんだかキライになれなかったから。
2月3日は節分。 豆まき。 オニのお面をかぶった人に豆を投げてもいい日。 オニのお面をかぶれば、その人はオニ。 お面ひとつで役割がはっきりして、いいなあ。 子ども達が泣く姿を見ながらそんなことを思っていた。 肩書きってお面に似てる気がする。 お面よりちょっと曖昧だけれど。 肩書きがあれば、役割が定まる。 そうすれば楽に立ち回れるのに。 役を演じるだけでいいのに。 気楽でいいのになあ。 肩書きが欲しいとちょっとだけ思うことがある。 でも肩書きって、きっと見えない重さがあっ
物事を難しく考えることと深く考えることは違うのかもしれない。 簡単に考えることとシンプルに考えることもちょっと違う気がする。 そんなことをふと考えてた。 頭の中でぼんやり考えていたことだから、全然まとまった考えじゃない。 頭の中で考えていると次々、余計なことを考えてしまう。 だから、こうしてペンを走らせるようにnoteに書き綴ってみてる。 深く考えるのは正直、苦手。 でもそのくせ難しく考えて物事をこんがらせるのは得意。 得意というか、いつもそうなりがち。 身近な人によく言
いろんなことがありますから。 生きていれば。 ため息と共にそんなことを思う。 思い出したいこと。 思い出したくないこと。 ぼんやりとしか思い出せないこと。 忘れられないこと。 忘れたいこと。 忘れちゃいけないこと。 たいした人生じゃないのにと、思いつつ、 それなりにいろいろあった。 きっとこれかもいろいろあるんだと思う。 キレイなことばかりじゃない。 汚いものも見てきたし、してきたし。 誰かを汚してきたと思う。 自分自身、潔白だなんてとても言えない。 きっとこれからも、
自分のためにちゃんと生きていきたい。 そう思うことが多くなった。気がする。 ちゃんと生きるの『ちゃんと』ってのが、 なんだろうというのはあまり深く考えられていないけれど。 自分のことをもっと考えなきゃと思うようになった。 人のために何かできることをしなきゃ。 こう書くととても立派に見えるけれど、 全然そんなことはなくて、そう思わないと自分が存在する意味や価値が見出せない感じがして、とても怖かった。 今ももちろん怖いと感じることはたくさんあるけれど、以前よりは感じることが
2022年。 新しい年のはじまりの日。 年々、新年をむかえることに対してへの新鮮味というか特別感が薄くなってきているような気がする。 年末の大掃除もほとんどしなかった。 大晦日の夜も12時を待たずに布団に入っていつの間にか寝てた。 おかげさまで気持ちのいい朝を迎えられた。 朝起きて、カーテンを開けたら外が真っ白だった。 すごく寒かった。 二度とこない今日という日。 今日も明日も大切にかみしめて生きていきたい。 白い息を吐きながらそう思った。 一月一日。元旦。 ほんとは特
近頃、小学生の娘の反抗期がすごい。 周囲の大人への反抗はもちろんなのだけれど、 最近では周囲の物にすら文句を言いはじめた。 この前は、自分で誤ってこぼしたコップの水に対して、 「私はちゃんとテーブルに置いた!なんでこぼれるの!!」 と、コップと水に激怒していた。 そんな娘の姿を見てて、 起きてしまったことに怒っても仕方がないじゃん と、当然のように思う自分がいた。 まして、自分の行動によって起きたことに、 腹を立てるのは理不尽にも程があると思った。 そう思ったところで、
真夜中にひらめいたステキなアイデア。 次の日の朝に思い返してみるたいしたことなく感じる。 そういうのってよくある。 夜の思考と朝の思考。 同じ自分の思考でも全然違う。 全然違うけれど、その時にはなかなか気付けない。 目の悪い人が自分の視界のぼやけ具合に気付けないように、 その時はそれが当たり前になってる。 思考の視力。 そんな言葉があるのか分からないけれど、 もしあったら、自分は朝と夜では全然違うだろうな。 朝は割とクリア。 寝不足じゃなければだけれど。 昼は近視。 目の
すくい取った砂の中に 綺麗な宝石があるかもしれない 宝石じゃなくても 誰かのお気に入りになるような 素敵な色や形の石があるかもしれない 十把一絡げにまとめたりしないで 自分の中にあるあれもこれも たまにはひとつずつ手に取って じっくり眺めてみるのもいいのかも 時には誰かに見せてみるのもいいのかも
「上手く」話すことと、「ほんとうのこと」を話ことは違う。 その言葉がずっと心に引っかかってる。 自分は話すのが上手じゃない。 話してるうちに自分でも何を話してたのか分からなくなることがよくある。 同じ話もよくしてしまう。 正直、話すのが苦手。 でも、仕事がら人と話す機会は多いし、 伝えなきゃいけないこともたくさんある。 だから、よく悩む。 伝わらなくて凹む。落ち込む。 もっと、上手く話がしたい。 上手く話ができたら、こんなに悩まないのに。 もっと幸せなはずなのに。 そ