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面白くないものに気づくことはいいことなのか

 人と映画を見ると相手はおもしろい、最高といっているのに自分は面白くないなぁ。となることがよくあります。

 この理由としては僕は映画が好きで名作映画や古典的な映画を何本も見ていますし、メイキングから脚本意図、また映像表現における映画理論を色々な書籍や動画を見て知っていることも一因だと思います。つまり映画を見るときに評価対象がおおいことや評論的な視点で見てしまうことが理由であると思います。

 ただ映画のような2時間以上の時間をつかうコンテンツを見たときにつまらないと感じることはいいことかと問われると個人的にはそう思わないに越したことはないと思います。なんでもおもしろいと思う人の方が映画を見たときに充足度は高いですし、なにより幸せだからです。

 ではつまらないと気づくような色々な映画知識や理論は知らないほうが良かったのか...。これも意見が分かれるところだと思います。なぜならこのような知識は良い映画を見たときの感動を倍にも10倍にもしてくれます。こんな斬新な手法をとっているんだ、とかあの映画の良い部分を抽出することで作品をブラッシュアップしているんだというような普通の人が気づけないような視点に気づくからです。これはその映画の満足度や充足度を何倍にもしてくれます。一方で満足のハードルを上げてしまうことになるので、ありきたりな映画が楽しめなくなってしまいます。

 ここでそもそも映画を見る意味は何でしょうか。映画を見るということは僕の個人的な意見ですが、自分の境遇や立場に関係のない人が映画の中で自分にできないことをすることで、勇気をもらったり、元気をもらったり、はたまたいい意味でも悪い意味でも教訓をもらったりすることだと考えています。そのため一本筋の通っていない、作り手に理念がないような映画をみることはあまり意味のないことだと思います。この理念がない映画(商業主義に走った続編など)こそ僕にとって面白くないと感じやすい映画です。そのような映画をみることはポルノを見るのと同じで一時的な満足にすぎない、時間の無駄になってしまうというふうに自分では思ってしまいます。

 なので理念がないものを面白くないと感じることは自分にとってプラスです。教訓や勇気を取捨選択できているということですから。

 じゃあ面白くないと感じることはいいことかと言われると、できれば面白いと感じたいと思うのも確かで、、、。と最近堂々巡りを繰り返しています。何が言いたかったんでしょうか。

長い文章を読んでくれてありがとうございます。 

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