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小説を書く奇跡─死にそうな作家は『感想』で蘇る

僕はweb小説を6年書いている。

創作をすることの楽しさは色々あるけれど、中でも印象深い出来事を今回は紹介する。

死にそうな作家は『感想』で蘇る

小説を書いていても楽しいことばかりじゃない。特に下記のような『虚無感』に襲われたときだ↓

「自分なんかが書かなくてもいい」
「どうせ読まれないしもうやめよう」
「自分1人のためなら書かなくてもいいや」

そんな作家は何で蘇るだろう。何でもう一度、書く力を得るだろう。

1upする毒キノコ?
くらげのベホイミ?

────そう、読者の感想だ。

僕がいただいた感想で印象深いものはいくつかあるが、実際に蘇った感想の1つがこちら↓

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これはとある短編BL小説に送られた感想(今度noteでも公開する予定)。

この人がとても謙虚ということもあるけれど「これ程感動したものはありません」とか、作者冥利に尽きる。

実際僕だって「いやいや『君の名は。』の方が感動するよ」とか思うんだ。

いや、わかるよ? きっとこの人が言っているのは「(web小説の中の短編BLで)これ程感動したものはありません」ってことくらい。

それでもさ、嬉しいじゃないか。こんなこと小説を書いていなきゃ一生言われないんだぜ?

小説を書いてなきゃ言われないことを言ってもらえる

ぶっちゃけ僕は小説は『何かを得るために書く物じゃない』と、思っている。

だけど、感想をもらうとやはり人間だから嬉しいんだ。褒められると嬉しいんだ。

でもこの今の社会。大人なればなるほど、褒められることはないだろう?

「できて当たり前」
「やって当たり前」

そんな社会じゃん。だからからな、歳をとるほど感想をもらうと嬉しい。

別に「小説を書いたら〝それ〟が貰えるから書け」とは言わない。

でも、小説を書くと一生縁がなかったはずの言葉に出会える。言ってもらえることがある。

それってちょっと奇跡的だと思うんだ。

小説を書くことで起きるちょっとした奇跡

君が書かなければ生まれない小説がいて、

その小説が生まれなければその小説に出会える人がいなくて、

その人とその小説が出会わなければ、君という作家と読者が出会うこともない。

ちょっと「あまーーーーーーい」って感じなんだけど、僕はわりと真面目にそう思う。

だってこれだけの人がいて、腐るほどの娯楽があって、小説と言う中でもプロとアマがいて、その中からさらに選ばれて僕の小説のところにきて、例のような感想をもらう。

これっていったいどんな確率なんだろうね。

もうさ、感想もらえるのって宝くじ当たるくらいなんじゃないかな。なんて。今もこうして君は僕のこれを読んでいる。

ありふれたことだけど、冷静に考えてみると不思議な感覚になる。

「それって奇跡じゃない!?」って、どこかの主人公がいいそうだろう?

小説を書く奇跡

実を言うと先ほどの感想をもらった短編BL小説は、超気がむいたから書いたものだった。

なんとなく、気がむいたから書く。

小説ってそういう物でいいんだと思う。その気まぐれが奇跡を生むっていうのは、フィクションだとよくあることだ。

なんとなく気になった洞窟の先で
なんとなく気になった動く城に入って

とかね?

誰かがなんとなく書いた小説が、誰かにとっては運命的な出会いをしているかもしれない。

誰かがなんとなく生み出した創作物が後に、多くの人に感動を与えるかもしれない。

創作家っていうのはそういう奇跡を創っているんじゃないかって・・・

とまあ書き手というのはこう、酔ってしまうんだね。そろそろ糖分過多になって、みんな目が糖尿病になるだろう。

というわけで以上です。読んでくれてありがとう。これを書いて良かった。

その他の僕の小説系のnoteはこちら↓


hitono kane de 焼肉 ga kuitai