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ひとと大いなるものと宇宙のつながりのはなし

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#魂を語る

大きな転換期を迎えて☆

6月は 思いがけず絶不調だった。 毎年、わたしの星の巡りてきに、 5月は体調が低迷するときではあるのだけれども、 今年の5月は 元気なままで5月を過ごせていたから 心身のバランスがうまく取れている自分を 自画自賛していたくらいだった。 そしたら、6月に入ってしばらくして。 帯状疱疹初期なのかなぁというような症状が 突然やってきた。 自分でヒーリングしても治らない。 思えばずっと密に忙しく、 +ストレスがどかーんとくる衝撃的な出来事があった直後で、 疲れているのかなぁと。

今ここは、今未来という捉え方のはなし

ここ数日、友人の紹介で、立てつづけに本を3冊読んだ。 スキマ時間をずっと本にあてた。 いま手元にやってくる本は、 いま必要な本だと信じている。 そして3冊ともが本質的に共通して、 伝えてくれていたこと。 「今ここ、この瞬間」について、 時間の概念みたいなものについて。 妙に腑に落ちたこと。 わたしが理解したこと。 そして、 腑に落ちたきっかけは、 本の中だけのことではなくて、 それが現実とリンクしたから。 娘は今、小学4年生。 昨年3年生のときに、 シュタイナー教

大いなる生命の輪を歩く

「The Great Hoop of Life」(大いなる生命の輪)という、 ネイティブアメリカンの教えをもとにした学びがある。 ポーラ・アンダーウッドさんによる本が出されている。 わたし自身、ご縁があって、 その学びを歩く機会を 3歩進んで2歩くらい止まりつつ、 カメの歩みのように継続している。 その中で。 人生や日々の歩みを 北東南西の輪に置きかえてみると、 北から歩みを始めて 東を通り 南を過ぎ 西にやってきて また北に戻る 方角それぞれ、その中間にも 人生で起

わたしが宇宙人を受け入れることができたわけ

以前の投稿で 夫を宇宙人かもしれないと思ってみたはなしを綴った。 まわりのひとたちから 予想以上の大反響と祝福のことばをもらい 正直、苦節10年への苦笑いと、 ずっとずっと支えてきてくれたみんなへの愛と思い、 感動が溢れた。 さて。 どうして どうやって わたしが”宇宙人”を受け入れることができたのか。 それは、 宇宙人側には、なんの動きも変化もきっかけも、原因もない。 すべては、 わたしの中で起こったことだった。 本当に、本当に、本当に、 この10年苦しかった。

ミカエルの季節

夏、あんなに暑くて暑くて、 何も考えられないくらいあたまも空っぽになって、 全身で、太陽の熱を浴びて、 樹々の葉が緑濃くなるように、 わたしたちも外から流れ込むたくさんのエネルギーを取り入れた。 そして秋がきた。 秋は、空気中に含まれる鉄分が多くなるそうだ。 夏にたくさん取り込んだ熱は、 これから暗闇が深くなる季節、 わたしたちの内面を光となって照らし、 あたためる。 夏にぽかんとしてしまったあたまは、 涼しさとともにようやく目覚めを取り戻し、 しっかりとした意識で、

音と宇宙のつながり「おおいなるもの」

すごくわくわくする本を読んだ。 娘がお世話になっている小児科(内科)の先生が書かれた本。 内容は深く深く もりだくさんだから、 わたしは語れないのだけれど。 (まだ全くかみ砕いて消化できていない) 「クプとギプと上手にかぜをひく子①  〜痛くない未来の注射〜」  山本忍/神之木クリニック院長  コロナウィルスを含む27のウィルスへのインタビュー。 ウィズコロナの時代に贈る書。 その本の中で、 「大いなるもの」と表現されていたところに、 カッコ書きで、 「覆いなるもの」

神秘のはなし

美しいものを見た。 外での仕事を終えて帰宅した夕方。 もうすぐ娘の帰ってくる時間。 ごはんの支度やあれやこれや気持ちは焦るものの、 優先順位がつけられない。 そうだ、お蚕さん、葉っぱまだあるかな? と思い、そばに寄って見てみると、 食べ尽くして、残っているのは乾燥した葉脈ばかり。 みんな元気かな〜と、なんとなく全体を見てみる。 すると、見慣れない様子が目に飛び込んできた。 ひとりのコ。 普通ならば、葉っぱをいっぱい食べて体の外見こそ白いけれども、 うっすら感じる中身

根拠のないことのもつ強みのはなし

根拠のない自信 根拠のない安心感 それは、 なんだかわからないけれども、 わたしは大丈夫と思えること。 なにがあっても大丈夫と思えること。 「証拠」や「証明」「データ」や「数値」がないと納得してもらえない、 受け入れてもらえない、いまこの社会。 でも、 この「根拠のない」なんたるかが、 どれだけ自身を満たすものなのか、 これは感じているひとにしかわからない。 自分の外側に、 判断や評価を求めることなく、 わたしはわたしである、ということを わたしがなんの疑問もためらい

9才が語る②「こころのとびら」と信頼のはなし

「パパは、ぽーんって開くと思う。  今はたくさん寝て、夢の国で学んでいるの。  今はまだ、こころのとびらは閉じているけれど、  ぽーんって開くよ。  ママはじんわり。  今これくらい。  あともう少しで、いっぱいに開く。」 9才娘の言葉。 確かに、夫はとてもよく寝ている。 大天使さんから言葉をもらってからの彼女は、 ここ最近ずっと「こころのとびら」が大きなテーマのようで、 常々よく話してくれる。 「ママにいいこと教えてあげる。  こころのとびらを開いていないと何もはじ

すごいめがねと目に映るもののはなし

15才のときに、コンタクト生活をはじめた。 それから25年、ソフトレンズ→ハードレンズと、 コンタクトレンズありきの、 あたりまえの生活をしてきた。 朝起きると、まずコンタクト入れ、 夜お風呂に入る前にコンタクトを外す。 その日々の繰り返し。 それが、あるときから、 光やその反射が眩しくて眩しくて、 どうにも困った状況になった。 目の疲労も、頭痛もひどかった。 それでも、めがねという選択肢は浮かばなかった。 でも40才を迎えたとき、 ふいに、 もっと自分のこと・からだ

Profile

たかはたあきこ 1979年1月18日生まれ。山羊座。 5才くらいの時、横断歩道を渡っていたら、車にはねられる。 頭を打って痛かったのだけれども、動揺激しい母と、 とんちんかんな質問をたくさんする看護師さんを前に、 頭が痛いと言ったら大変なことになると思って言えなかった。 そんな少し冷めた外からの視点を持つ子どもらしくない子ども時代を過ごす。 母方のおばあちゃんは第六感が敏感なひとだった。 手相や人相にも詳しくて、昔ながらの智慧を携えていた。 そんなおばあちゃんが大好きだ

9才が語る「こころのとびらを開くこと」

娘とふたり、散歩の道すがらに、娘が話したこと。 いつも「それ」は突然くる。 わたしが、話が通じない夫のことを、 「夫(パパ)の言いたいことがわからない、言いたいならば言葉にしないと伝わらない!」とグチをぽろんとこぼしたら、 「こころのとびら」の話がはじまった。 「こころのとびらを開いて聴かないと入ってこないしね」 「聴こうとしないと入ってこない」と。 「とびらを開けていないと、言葉も外に出ていかない」と。 へぇ~ 娘はそういうふうに会話やコミュニケーションを理解している

風がわたしに運ぶもの

ここ数日、風の強い日が続いている。 季節もよくて、日差しも暖かくて、寒くもなくて暑くもない。 この、どんなに強くても、 からだがぴたりと包まれてしまうような風に、 わたしは「好き」以上の、こころをわしづかみにされる何かをいつも感じる。 記憶のなかの、どこかにそのまま連れていかれそうになる。 初めて「風」をそんなふうに感じたのは、いまからずっとずっと前。 大切なともだちとニューヨークに滞在していたとき。 そのともだちとは、高校で出会った。 知っているひとが誰もいない、入学

信じることが目に映ること

久しぶりのともだちに会いに、久しぶりの場所を訪れた。 久しぶりの場所は、数年前まで毎週一回、 暑い日も、紅葉の季節も、極寒の日も通っていたところで、 小高いお山の上にあり、木が美しく茂り、緑豊かで、風がよく通り、 晴れた日は、穏やかできらきらした空気に包まれている。 もう、顔を見るだけで、心が緩むその仲間たちは、 笑ってしまうほどに、それぞれ、お互い、あるがままで、 芯があって、まっすぐで、愛に溢れて、 一生懸命に生きる姿は、ただただ美しい。 わたしは、ただ満ち足りてそ