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ひとと大いなるものと宇宙のつながりのはなし

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2020年6月の記事一覧

すごいめがねと目に映るもののはなし

15才のときに、コンタクト生活をはじめた。 それから25年、ソフトレンズ→ハードレンズと、 コンタクトレンズありきの、 あたりまえの生活をしてきた。 朝起きると、まずコンタクト入れ、 夜お風呂に入る前にコンタクトを外す。 その日々の繰り返し。 それが、あるときから、 光やその反射が眩しくて眩しくて、 どうにも困った状況になった。 目の疲労も、頭痛もひどかった。 それでも、めがねという選択肢は浮かばなかった。 でも40才を迎えたとき、 ふいに、 もっと自分のこと・からだ

Profile

たかはたあきこ 1979年1月18日生まれ。山羊座。 5才くらいの時、横断歩道を渡っていたら、車にはねられる。 頭を打って痛かったのだけれども、動揺激しい母と、 とんちんかんな質問をたくさんする看護師さんを前に、 頭が痛いと言ったら大変なことになると思って言えなかった。 そんな少し冷めた外からの視点を持つ子どもらしくない子ども時代を過ごす。 母方のおばあちゃんは第六感が敏感なひとだった。 手相や人相にも詳しくて、昔ながらの智慧を携えていた。 そんなおばあちゃんが大好きだ

わたしとアクセス・バーズとすべてはつながっていることと

ほんの3ヶ月ほど前、桜が咲き始め、 自粛生活に入る直前に、 絶妙のタイミングで受けることができた 「アクセス・バーズ・プラクティショナー認定講座」。 ご縁がご縁につながり、素晴らしいタイミングのバトンがつながれて、 我が愛する「ふしぎな娘」と一緒に講座を受けることができた。 だから、わたしだけでなく、 娘も一緒に認定プラクティショナーとなった。 それからの日々が、思い返してみたら、結構すごかった。 自粛生活だったけれども、 わたしの内側は、すごい勢いで動いていた。 毎日

9才が語る「こころのとびらを開くこと」

娘とふたり、散歩の道すがらに、娘が話したこと。 いつも「それ」は突然くる。 わたしが、話が通じない夫のことを、 「夫(パパ)の言いたいことがわからない、言いたいならば言葉にしないと伝わらない!」とグチをぽろんとこぼしたら、 「こころのとびら」の話がはじまった。 「こころのとびらを開いて聴かないと入ってこないしね」 「聴こうとしないと入ってこない」と。 「とびらを開けていないと、言葉も外に出ていかない」と。 へぇ~ 娘はそういうふうに会話やコミュニケーションを理解している

風がわたしに運ぶもの

ここ数日、風の強い日が続いている。 季節もよくて、日差しも暖かくて、寒くもなくて暑くもない。 この、どんなに強くても、 からだがぴたりと包まれてしまうような風に、 わたしは「好き」以上の、こころをわしづかみにされる何かをいつも感じる。 記憶のなかの、どこかにそのまま連れていかれそうになる。 初めて「風」をそんなふうに感じたのは、いまからずっとずっと前。 大切なともだちとニューヨークに滞在していたとき。 そのともだちとは、高校で出会った。 知っているひとが誰もいない、入学

フラがあったから生きてこられた

ずっと長いこと、フラダンスを習いたいと思っていた。 でも、以前の働き方だと、 毎週決まった曜日の決まった時間をレッスンのために空けておく、 というのが、わたしにはハードルが高くて、 そのために仕事を断ることはしたくないし、 かといって、レッスンを休むのも…となると、実現しなかった。 それが、どういうわけか、 娘がようちえんの年少さんのとき。 仕事よりも、育児に時間もエネルギーも注いでいたとき。 思い返せばわたしのこころと生活の暗黒時代(笑)。 フラのレッスンに通いはじめた。

信じることが目に映ること

久しぶりのともだちに会いに、久しぶりの場所を訪れた。 久しぶりの場所は、数年前まで毎週一回、 暑い日も、紅葉の季節も、極寒の日も通っていたところで、 小高いお山の上にあり、木が美しく茂り、緑豊かで、風がよく通り、 晴れた日は、穏やかできらきらした空気に包まれている。 もう、顔を見るだけで、心が緩むその仲間たちは、 笑ってしまうほどに、それぞれ、お互い、あるがままで、 芯があって、まっすぐで、愛に溢れて、 一生懸命に生きる姿は、ただただ美しい。 わたしは、ただ満ち足りてそ

9才のわたしが出逢った「いま」につながること

そして、9才のときのわたし。 1月生まれのわたしは、 4年生の大半を9才で過ごした。 2年生のときに、クラスに転入生がやってきて、 その子の影響で、 ガールスカウト活動を知った。 何度か体験に参加して、 3年生から実際に仲間に入りたかったのだけれども、 親が説明会のようなものに参加できずに、 もう一年先送りになった。 そして迎えた4年生。 家庭でもなく、学校でもない「組織」のひとりとして、 「わたし」という個人がそこにいる、ということが、 わたしを満たした。 とにか

ひとが9才のという節目に出逢うもの

ひとは必ず9才のときに、 この先に関わるひとと出会う。 ルドルフ・シュタイナーのことば。 そのはなしを聞いたのは、 去年の春。 娘のクラスの保護者会で。 それ以来、 ずっと、ずっと、この1年、 わたしは9才のときに誰に出会ったか、 今に至る何があったか、を 探し、考え、思い出しつづけてきた。 会うひと、会うひとに、 「9才のときに何があった??」 と尋ねてまわった(笑) 9才のときの印象に残るできごとや、 出会ったひととの関わりが、 いまのそのひとの道につながってい

娘の小児科と宇宙のはなし

昨年のこと。 11月末から激しい咳に悩まされていた当時小学3年の娘。 年末にやっと高熱を出せて、 咳もようやく治まりかけたと思っていた年明け。 またまた高熱を出し、激しい咳ふたたび。 咳が出ることや高熱が出ることに関しては、 「出る理由」があってのことだから、 全く心配はしていないのだけれども、 症状があまりに激しいと、さすがにどうにか和らげてあげたいと思い、 めったに行かない、でもかかりつけの病院へ行った。 娘の学校の校医もしてくださっている先生は、 おおらかであたた

美しい光景を見た

20才のときに、 16才~18才の高校生12人を引率して、3週間ほどメキシコへ行った。 国際的な組織の日本代表として参加する大規模なセッションだった。 引率者がいないために派遣が中止になると聞いて、 いてもたってもいられず志願した。 わたしも高校生のときに、同じ組織の派遣で、 イギリスに2週間ほど行かせてもらったことがあった。 だから、若者(わたしも十分に若かったけれど 笑)の希望を、 引率者がいないという大人の都合で、潰してしまうのは もったいないし、あってはならないと思

ひとのアンテナのはなし③

3ヶ月つづいた自粛・休校生活。 我が家にはテレビがない。 かれこれ9年。 311の震災のときは、リビングにテレビはまだ置いていたけれども、 「テレビつけて観る」ことがすでにほとんどなかったから、 ぐらぐら揺れる家の中で、 なんだかとんでもない規模の地震が起こった!という現実に、 テレビをつけることを忘れたほど。 こんなとき、どうしたらいいんだっけ???と、 まだ3ヶ月の我が子を抱いて、とりあえず授乳しよう!と自分を落ち着かせ、 はた、と気づいて、そうだ、テレビをつけて震源

ひとのアンテナのはなし②

ラオスから2年ぶりに帰国して、 行きたかった場所は、本屋さん。 書物や情報に飢えていた。 と、思い込んでいた。 焦っていたから。 2年間の空白に。 ラオスから帰国したら、 もうラオス人のような日本人ではなくて、 日本人としか見られないし、 日本人として生活していかなければならなかったから。 だから、なんでもある渋谷の大きな本屋さんに行った。 そしたら、道すがら、なんだかふらふら、ひととぶつかる。 おっと! おっと! そんなことばかり。 まっすぐ歩けてないのか、まっすぐし

ひとのアンテナのはなし

精神的にかなりまいってしまった20代前半。 逃げるように選んだ道は、 中学2年のときに決めていた道。 東南アジアのラオスという国の地方都市(美しい田舎町)で、 2年を過ごすことになった。 中学2年の夏、初めて訪れた外国が東南アジアのタイで、 大きなメコン川の向こうに見えた大地、 「あれはラオスという国だよ」 と一緒に行った誰かが教えてくれた。 その国で、暮らすことになるなんて、 もちろん当時は思ってもみなかった。 でも、つながっていたみたい。 わたしが暮らした町は、首