教える方も地獄、また余計なことを思い出した次の日の僕。

「たとえ明日世界が滅びても、今日僕はリンゴの木を植える」と言う言葉を遺して亡くなったのは、ドイツの神学者であるマルティン・ルターだそう。
明日世界が滅びるとわかっているし、世界が滅びるとわかっているのにリンゴの木を植えても実はならないとわかっているのだけれど、それでも今日という日にできることはりんごの木を植えることだからリンゴの木を植えてやろうということなのだとか。つまり、りんごを収穫するという結果に意味を置くのではなく、結果はどうであれ今できることを一生懸命にやるんだという意味が込められている。

僕は指導というのはそういうものだと思っている。もちろん、やる以上は結果を出させてあげたいし、勝つことや成長させることが最大目標だが、当然ながら結果は確定的なものではなく、事実として試合では50人のうち1人しか勝てない。そんな中でもできることはやるしやらせるということが指導なんだろうと。少なからず、80分の1にたどり着いた自分だからこそ確率の低いものを極力高めていくための過程は理解しているつもりだ。

6月8日土曜日は自分の練習時間を中学生の選手に充てて、マンツーマンで指導をした。指導と言っても、珍しい何かを教えるわけじゃなければ、特別な何かを教えるわけでもなく、淡々と練習をさせるのみ。教えていいのは基本だけで、僕の指導というのは練習をさせることだから。  
本人が「技の練習をしたい」と言ったので「なら目標自分でを決めろ。それができるようになるまで今日は終わらないからね。」といって練習を始め、柔道の練習で言うところの「打ち込み(繰り返し技の確認をする練習)」をやらせたがなかなか感覚をつかめずにいたので、途中で投げ込み(一本一本相手を投げて技を確認する練習)に切り替えた。僕は僕でひたすら投げられ役を続けたのだが、次第に技が形になってきたのが明らかだった。
結局二時間半くらい投げ続け、ダメなところを修正しながら僕はただひたすらに投げられ続けたのだが、彼の目には涙が浮かんでいた。もちろん、そんな姿は見たことがなかったし、どんな感情が彼をそうさせたのかもわからなかったが、それを見た僕にもこみ上げてくる感情があった。
泣かせることは全く持って本望ではないが、練習の中で涙を流すことは、きっと無意味でも無駄でもなく、本人の糧となろう。選手の辛さは指導する側にとっても辛いもので、代われるものなら代わってやりたい。

二時間以上投げられれば、当然ながら僕も無傷で終了とはなるはずもなく、右腕と両足はアザだらけになっていたし、元々痛めていた膝も痛む。今日だって朝起きたときには体が重くて大変だったが、それは彼が頑張ったその証拠に痛みを分けてもらったのだと思った。
そういえば、かく言う自分は柔道選手としてどうだったのか。朝からそんなことを考えさせられたが、結局僕は柔道から逃げた身である。高校最後の試合の時点で膝は痛かったがそんな人はいくらでもいるし、実は大学柔道部からのスカウトももらっていたので、環境的には柔道を続けることができた。
柔道選手を辞めることをどのタイミングで決めていたのか、全く覚えていないが、高校最後の試合、準決勝で30秒も経たずに畳の上を下ろされたその時、闘争心を畳の上に遺してきたことは確かだった。可能性があったのにもかかわらず、その場に気持ちを遺したということは逃げたに等しいだろう。

20年間生きてきて何かから逃げた経験があったとするならば、柔道のみ。辞めた先で後悔はしていないが、自分を捧げてきたものを簡単に手放してしまったことへの情けなさは残っている。




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