見出し画像

医者と谷崎潤一郎について話し込む



 大雨の中病院へ行ってきた。フロントガラスのコーティングが取れて、雨がワイパーで塗り広げられてしまい、見づらかった。事故らないように安全運転で向かった。


 絵に描いたようなどんよりした空で、院内は薄暗かった。普段、晴れている日はあらゆる窓から光が差し込み、白くて清潔な雰囲気が漂っているのだが、今日のようにどんよりした日は光がないので、院内の照明があってもとても薄暗い。というかこんな頼りない暖色の、ダウンライトみたいな照明だったのかと今更気づいた。そんななか、今日から新しい本を読む。トートバッグの中には『ペンギンの憂鬱』と『エドウィン・マルハウス』を入れていた。(鞄にはいつも最低2冊は本を入れている)その時の気分は『エドウィン・マルハウス』だったので読んでいたが完全にチョイスをミスってしまったと思った。面白くって声出まくってしまった。こりゃいかん、と悶えるうちに診察の番が回ってきた。

 ストレスで突発性難聴になってから徐々に回復したものの、完全回復するまでに至らず、私の聴力はもうここから戻らないのかな、と半ば諦めているのだけど、毎月聴力検査に行くようにはしている。今日の検査もいつも通り。検査結果も変化なし。診察で形式通りの視診をしながら、他愛もない話をする。その話は日によって違う。

 あるときは神社の話。またある時は家庭菜園とサツマイモの話。

 今日は本の話だった。純文学読んでますって言うと川端康成の話と谷崎潤一郎の話になった。それと三島由紀夫。おすすめされた。どっちも読んだことがあるよ〜あれとこれと〜って話をしたらあっという間に検査が終わった。「また来月適当な日においで〜」と言われたが、お付きの看護師さんがすかさず予定表を出してくれた。また来月。

 本当にとてもお世話になっている先生で、私は病院の先生の縁に恵まれているな、と思う。ありがたい。


 過去、

 2年前の夏の日、仕事にも人間関係にも人生にも疲弊しきっていた私は、耳鳴りと眩暈でどうしようもなくなり、這うような運転で、紹介してもらった病院へ向かった。聴力検査のピーピーとかプープーとかの音はほとんど聞こえなかった。(無だったな)

 検査結果を元に、生活習慣や睡眠時間等に対するいくつかの質問に答えた後、医者が『今すぐ入院してください。仕事を休みましょう。』と、言った。その結果、今、こうして病と向き合い、療養することができている。

 厳密には、医者にそう言われた時、私は咄嗟に「できないと思います」と答えたのだった。それでも休まなくちゃいけないからまずは家族に今日来れるか相談しなさい、と言われ、戸惑いながら母に電話で相談したが、『入院なんてできませんと言いなさい、点滴だけ打ってもらってきなさい』と言われ、やっぱりそうだよね、と思い、そのまま医者に告げると、『家族がダメって言っても医者が入院しなさいと言っているのだから入院してください。職場には代わりはいくらでもいるし、回せます。今のあなたには休む時間が必要です。聴力はストレスからくるものです。見ただけでわかるほどあなたは疲弊しています。たくさん寝る必要があります。(当時、睡眠時間は2時間〜4時間ない程度だった)家族がダメと言っても私が言うから入院しなくてはいけません。でも、あなた自身がどうしたいかで決めるんです。どうしたい?』と聞かれ、フリーズした頭でのろのろと、

(体力はもう限界だとわかっている。だけど仕事に行かないと周りの人にどんな目で見られ何を言われるかわからない。ただでさえあんなに嫌われているし、迷惑をかけているのに、どうしたらいいかわからない。でも、苦しい。追い込まれてばかりが辛い。母にも休むなと言われたのに、休んでいいの、休むって、悪いことなのではないの…?)

 と頭の中でぐるぐると悩み、涙が勝手に流れるのを看護婦さんがティッシュで優しく拭き取ってくれながら、医者は私の返事を待ってくれていた。

 泣きじゃくりながら絞り出すように『休んでもいいんですか…』と聞いた。医者は『いいです。もちろん。』と即答した。私の全身にのしかかっていた何かがふっと降りた気がした。

 『じゃあ今日から入院ね。親御さんにもそう連絡して。荷物持ってきてもらわないといけないから。できないなら看護婦さんに説明してもらって。職場にも伝えてください。何か言われたら私が説明するので大丈夫です』と言ってくれたのだった。泣きながら母に電話すると半ば諦めたような口調で、職場の人に迷惑かけて、謝りなさいよと言われた。荷物はすぐに持ってきてくれた。職場にはすぐ連絡を入れたら、まるで最初からわかっていたかのような口ぶりだった。

 『こちらのことは心配いらないから休んでください、あなたの代わりの先生をクラスに入れます、あなたのためにみんなが動いてくれるので、あなたは休んでいてください。』と、言われた。罪悪感だけが募った。やっぱり入院やめようかと思った。だけど、初めて自分で休みたいと、自分の意思が伝えられたのだから、それを通す必要もあった。

 罪悪感に苛まれながらも一週間ほど入院した。数日眠れなかったが、薬のおかげで徐々に眠れるようになっていた。退院したのちも復職許可は出せないと言われたので、休職し、その後、専門的な検査や治療をするために県内の大きな病院の紹介をしてくださったので、現在は二つの病院に通っている。紹介先もまた気の合う医者と心理学士に出会えたので、少しずつだが治療と回復は進んでいる。

 壊れそうになった時に助けてくれるのは家族ではなく医者だったというなんとも情けない話だが、家族に助けられるのが当然でもなくて、他者に助けられることだってあるし、それを拒絶せずに受け入れることも必要なのだと学んだ。

 そして孤独の中、人だけに限らず本も私を助けてくれている。本に慰められたことはたくさんある。これからもきっとそうだ。私を作り直してくれている。短歌だって。助けてもらっている。そして、助けてもらった分は誰かと繋がっていきたい。孤独と仲良くはしようと思う。だけど、だからってずっとずっと、寂しいわけじゃない。心さえ開くことができれば。進もうとさえできれば。大事にしたいものがあれば。大丈夫なのだと思う。全て過ぎゆく中で一つに集約されていく。

 

 いろんなことを思い返した日。今日は、穏やかな雨の日だった。


 それにしても短歌は生まれてこない。どこか一人で過ごせる場所にこもって作りたい。


画像1


 猫の温もりとその重さに毎日癒される。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?