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「雪だ」って言いながらストーブをつけるまだこちらでは降ってない


 低迷している体調とメンタルを落ち着かせるつもりで寝転がってはいたけれども、どうにも落ち着かなくて結局薬を飲んだ朝。いつになったらこの心は軽くなるのだろうか。来週の心理相談で何か解決策が見つかればいいと思う。

 あっという間に一日が過ぎ去った。少しだけ本を読んだがどうにも文字が頭に入ってこなくてやめた。読めない日もある。あるさ。仕方ない。読めない自分が一番しんどいとわかっているけれど、読みたい気持ちがなくても読めば元気になる、ということばかりではなく、読む気にもなれないので、「そこ」と「ここ」とは別問題らしい。

 午後からは一日遅れの父の誕生日のために作る料理の下拵えをした。小学生の頃の給食で出ていた、『いかのかりん揚げ』というものがあり、それが父の大好物で、父の誕生日に私が作っている。というのも、味やフォルムを覚えているのは私と父しかいなくて、妹も母も、同じ小学校、もしくは小学校は違えど町内だというのに食べた記憶がないという。味付けは簡単なので母でも作れるけれども、私の担当にしてもらっている。自分の舌しか信用できるものがないから。

 子どもの頃食べていたそれは、「いかのかりんあげ」という表記だったと記憶しているのだけれど、現在同じ名前の料理は、私が食べていた時の料理とは異なった仕上がりになっている。私や父が覚えているのは、イカのゲソの部分と、胴体の部分の輪っか、それらが唐揚げのようにカラッと揚げられ、それを醤油と味醂と砂糖で作られた照り焼きソースで、絡められているものだった。だから見た目はテリッとしていて、油っぽい感じ。甘じょっぱい味付けが癖になるものだった。しかし今はかりんあげはシーフードミックスで使われている、レゴブロックのような長方形の一口サイズの白いイカが、ちょっとだけ味がつけられて唐揚げになっているもので、照り焼きソースなんて存在していないのだった。名前が変わったのか、それとも私と父が間違えて覚えてしまっていたのか定かではないけれど。

 そうして私は私と父の記憶にある方の「いかのかりん揚げ」を作ったのだけれど、下拵えの調味料へ漬け込むまではいいとして、その後、片栗粉をまぶしたいかを揚げる工程が大変だった。主に油の跳ね返り。はたかれても油へ飛び込んでしまったおこぼれの薄力粉はポン菓子のように丸くなって跳ね飛ぶ。それがまた勢いが良くって、手の甲にも腕にも容赦なく、防御のために左手で盾にしていたフライパンの蓋でも太刀打ちしきれず、しまいには顔面にも跳ねてきたのだった。幸い顔には跡が残るほどではなかったけれど、右手の甲には一つ丸い火傷の跡がついてしまった。お風呂に入るときにビリビリと痛かった。

 いかを揚げるのは大変です。みなさんもいかを揚げるときは十分気をつけてもらいたい。盾は必要です。

 そうして揚げ終わったあと、醤油、酒、味醂、砂糖を煮立たせ、照りをつけたところに揚げたてのいかの唐揚げを入れて全体にまんべんなくソースを絡めたら出来上がり。大量に作った。多分1キロ分くらい。

 仕事から帰ってきた父は私が作ったことを知らせると、手洗いやら身支度を俊敏に済ませ食卓につき、いつもなら配膳は私や母の仕事だけれど、珍しく自分で台所に向かい、ほしい分だけ取り皿に盛ってきた。どれだけ食べたかったんや。二日位かけて食べるらしい病気にならんでくれよ。(父は本当に好きなものしか食べないのにとても健康で逆に怖い。血液検査はいつだってオールクリアなのだ)

 記憶通りの味だったらしくとても喜んでいたので安堵した。味にうるさい父なので作ったものを食べてもらうのは毎回ドキドキする。手料理を誰に作るのにも美味しいかどうかが心配でならないのは、ここからきていると思う。美味しくないと言われたり、味が薄いとか、美味しいと言いつつも本当は無理して食べてくれているとかわかると、とてもショックを受ける。ショックというか、反省する。食事は大事なので、不味いものを出してはいけないという恐怖心がある体。評価を受けるということ。まだ完璧主義なところが抜け切らない。

 でも今回は美味しいという言葉が聞けて安心したので気が抜けた。

 

 そうしてあっという間に夜は更けてもう真夜中です。明日は日曜日。何をして過ごそうか。最近どこにも出掛けていないなあ。寒いからずっと布団に篭もりがち。

 鈴木晴香さんの歌集『心がめあて』を読みながら寝よう。最近の私の良薬。

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