責任をもって大切にすることばかりよ本当は
飛ぶように時間が過ぎていた。いやもう飛んでいたんだと思う。椅子に座ったまま。夕方から今まで、断片的な記憶の中で生活を送っていた自覚はあるのだけど、(お風呂は何時に入ったか、記憶にない、入ってはいるけど)今日は23時には寝ようと思っていたのに、どうだ、いま。
寝る時間なのに、布団を敷くこともできてなければ眠気も来ていない。集中していると本当に時間を忘れてしまう。明日は講習会なのに。早起きしなくてはいけないんだけどね。そもそも道わかるのか。辿り着けるのか。イチマツノフアン。
読書をしていて、掃除もして、何回も寒い寒いって言った。こたつが居間に導入されているので少し入っていたけれども、実はこたつが苦手で、長時間入る事ができない。最弱の熱さじゃないとだんだん痛くなってくる。結局出てしまう。
ふと居間にある棚の隅っこに佇んでいる未開封のタロットカードに目をやった。
あー、なんか数ヶ月前に母がやってたからまたやりたいとかっていって、結局そのままなんだっけ。なんか本も買ってたよね。やってないな〜結局…。どんなもんなんかねえタロットって〜。
そう思ってたらだんだん開封したい気持ちになって、そのまま開封した。いろんな意味があるんだろうなあ、どれがどの意味だ〜?と、教則本を持ってきて色々見てみた。それぞれのカードには大アルカナと小アルカナがあって…ワンドペンタクルソードカップ…なるほど一枚一枚にちゃんと意味があるのね。
ふむふむと見ていたら帰ってきた母に見つかった。母は言った。
「タロットカードはそのカードを開いた人のパワーを得るから、他の人が触ったら占えないんだよ。だからそのタロットカードは佑季のものだからね。」
そんなこと知らなかった私はびっくりしてしまった。なんてことをしてしまったんだ…すまない母、と謝ったけれども、いいよ、どうせ私もやろうやろうと思って結局なかなかさわれなかったから。と返ってきた。
じゃあもうこのタロットカードは私のものなのか…私だけのタロットカード。なんだか感慨深いな……。
そうとなれば私が占うしかあるまいということで、ちょっと学んでみることにした。最近そういう、なんか、宗教だの神道だの、神様や仏様だとかに興味が湧いているのに、今度は占い師か…どういう展開これは…と思いつつも、練習がてらに妹を占ったり友達を占ったりした。当たるも八卦当たらぬも八卦。
こういうのは良いことだけを受け取っておきたいよね。いや、本当に悪いこともあるだろうから、それらは踏まえて気をつけていかないとは思うけれども。目には見えないパワーに助けられることってあるから、都合のいい範囲で信じているのもいいと思った。私だけのタロット。なんか変な感じ。
本だってそうだなあと思った。買ったその日から私の本。私のために開かれる本。古本屋さんで売られた本は誰かのものだった本。時々、売った本が棚に刺さっていて、これは私の本だとわかる時がある。背表紙を見ている段階で、見覚えがあるというか、そういう予感めいたものがふっと湧く。実際手にとってみるとやはりそうなのだ。手に収まるしっくり感とか、読み込んだ頁がパカンと開く感じとか。めくり慣れた感覚だとか。色々とわかる。定価以下の値札をつけられたこの本は確か10円くらいで買い取られた、だけど今は300円以上している。この癖づいた本を誰かが手に取って、買って、家で読んでくれたときに、私もそこにいるのかもしれない。心に残ったシーンだけよく開かれていることに気づいてくれるかもしれない。その期待は本にもあるかもしれないんだなあ。私のための本だったからには。
本当は、責任を持って大事にしなければならないもので溢れているのに、いつの間にかそれができなくなっている事が多くって、まるで川を流れる水はいつか海に行くのだと確信しているように、当たり前に淘汰してしまうことばかりが増えてきた。消費されていくものばかりが増えた。
じゃあ、海はどうなるのだろう。辿り着いたらどうなるのか。還元される日が来るのか。それとも、どうにかなっちゃって、汚染されてしまうのか。それとも?
本も、人も、物も、言葉も、日々も、できるだけ大事にして、できるだけ自分のものとして、近くに置いておきたいなと思った。
そういや今日、午前中にカラマの3に入ったんだけど、いつの間にか止まってた。明日は読みたいけれど講習なので、休み時間があるならば、そこで読みたい。
学生時代に戻った気分で楽しめますように。おやすみ。
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