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先に眠って明日へとスキップする君をみつめる


 傷まない胸はないざわめきのなか、ひとりぽつんとしてしまう夜。家族が寝静まったのを合図に私は1人になり、1人になったことでこころが苦しくなる。あぁ。泣きべそをかいてしまいたいくらいだ。

 日中は家族と、昨日に引き続き妹のために細々した台所用品や洗濯用品などを買ってきた。11月とは思えないほどあたたかな気候に、グレーのニットカーディガンに色味やあたたかさの場違いさを醸し出させてしまった。意地でも脱がなかったせいで、頬がずっと赤らんでいた。暑かった。

 家族といっても 母と二人きりでの外出だった。道中、わたしが思いつきでうどんか食べたい、どこかうどん屋さんにいこうよ、と誘った。○○が食べたいとは言えても○○を食べに行こうと言うことはなかなかない事だったので自分で自分に驚いた。そして珍しく母も乗り気になってくれたので、とりあえず行ってみようよということで、超人気セルフうどん店に行くと、想像以上の大行列ができており、(そらそうか、超人気店だから)それをうらめしそうに見ながら通り過ぎて、結局チェーンのセルフうどん屋さんに行くことにした。セルフうどんでも充分に美味しかった。(うどん県最高だね、どこにでもうどん屋があるから)

 外食を二人きりでするのはいつぶりだろうか。懐かしさを感じたくも互いに確かな記憶を呼び起こすことができなかった。曖昧だけれどとにかく久しぶりすぎるね、という話をした。何年も埋まらなかった溝は少しでも埋まっているのだろうか。そもそも私は埋めようとしているのだろうか。わからない。

 2人共釜揚げうどんの小を頼んだが、明らかに1玉以上にあったと思う。サービス精神がすごかった。完食する手前で既に満腹だったけれどなんとか山場を乗り越えて食べきった。 ネギは多めに入れること、七味はかけすぎてしまうこと、私はそれに加えて生姜をいれることなど、似ているところとそうでないところがある私たち親子が、こうして2人で外食するなんて数年前まで想像できなかったことだった。(もちろんご時世的な意味も含まれるけれど)

 うどんを啜りながらも、むわむわと立つ湯気が目に沁みて目の縁があたたかくなった。気を抜けば泣いてしまいそうだった。泣き喚きたい欲すら過ぎった。それらはすべて美味しいと言って飲み込んで誤魔化す他なかった。

 食べすぎたから少しでも消化したいしどこか歩こうよ、ということで、近くにしまむらやら雑貨屋さんやらがならんでいるところに行き、歩く目的で店内をうろついた。 その間の母との会話はちゃんと会話になっていただろうか。楽しかっただろうか。余計な心配ばかりが心にあった。だけど変わらない母の声といつも通りの態度をみていると、その裏を考えすぎてしまうのであまり顔は見れなかった。それでも楽しかったのは事実だった。母もそうであって欲しいと思う。


 川上未映子さんがツイートしていたんだけど、この時期って、本当に体調とか年齢とかそんなん関係なく辛くないですか、みたいなこと呟いていて、ほっとした。同じように辛いなーしんどいなーって悩んでいる人がいることに妙な安心感を抱いた。みんな今頑張っている時期なのだと思った。だからほんとうは、泣いたって良かったのかもしれないと今頃思う。そして誰でも、泣いていいように思う。


 今の時期、いろんなことを感じ取りすぎてしまうのかもしれない。敏感にもほどがあり、例えば心にグサグサきてしまう諸々の刺激の強弱をフラットにするための意識変更も難しい。あと物語ひとつ読み終えるとその影響力はすごい。疲れも出やすい。文字の色はやたらと映える。不安定なのは誰のせいか。月のせいか。誰のせいでもないのならばいっそ月のせいにしてしまいたい。

 どんな風に生きてきてどんな風に育てられてこようと、やはり傷つけることは恐ろしく、失うことも怖いのだ。手なんて繋いでしまったらわたしはきっと爆発してしまうだろう。月に誓う。

 でもきょうは良い日だったことにかわりはない。1人になる前に寝た方がいいという学びも含めて。


支離滅裂な言葉が連なった日記となってしまった。眠っている人はすでに明日を生きている。私も早く明日へスキップしたい。

 

 

 

 

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