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目利き力は真物を見続けることで磨かれる
「良いリーダーシップは、良いリーダーからしか学べない。」
入社して1年が経とうとし、異動がちらつき始めたころ、飲み屋の席で上司に言われたこの一言はアルコールが入っていたにも関わらずはっきり覚えている。
私が当時入社した会社では特にリーダーシップを発揮することを強く求められた。
「リーダーシップはポジションパワーではない。」
至る所で聞いたこの言葉は、全社員にマインドとして根付いていたと思うくらい、会社が大切にしていることのひとつだった。
ただ、リーダーシップにも良い悪いがあるのか、良いリーダーからしか良いリーダーシップは学べないというのだ。
なんとなく「そうだよなー」くらいにしか思っておらず(今思えば失礼な反応だったんですが、めちゃめちゃ感謝してます、、、!)いいリーダーシップってなんだろと、どこか腹落ちしきれていない自分がいたのを覚えている。
ある日とある記事で読んだ「骨董屋の弟子の育て方」
ある日、いつものようにネットサーフィンをしていたら、骨董屋の弟子がどうやって目利きを鍛えるかという記事を見かけた。
読んでいると、
弟子に骨董品の良し悪しを教えるときは「こういうのは良い」とか「こういうのは良くない」と教えるのではないという。
習いたての頃はひたすら本物だけを見続ける。するとふとした時に「あ、これは何か違和感がある」となるという。
ーーこれやん。
その瞬間、めちゃくちゃ腹落ちしました笑
良いリーダーのもとにいると、日々接する中で良いリーダーシップが何か磨かれると。
まあ、良いリーダーシップがどういうものか肌感覚で身につけることと、次にそれを実践するというまた別の次のステップがあるんですけど、それはさておき。
真物を見続けた先に
当時在籍していた会社はアメリカにルーツがある会社で、そんなアメリカでも、骨董でも共通していることを鑑みると、やはり世界的に見ても普遍的な側面があるのではないか。
では、私は今ビジネスの世界に身を置いているわけだが、この教えをどのように解釈すればいいだろうか。
ふつう世間の人々は、贋物・真物を見分ける人を「目利き」と言う。それに違いは無いのだが、私に言わせればそれは鑑定家で、経験さえ積めば、真贋の判定はさして難しいことではない。駆け出しの学者でも、骨董屋の小僧さんでも、そのぐらいの眼は持ち合わせている。むつかしいのは、真物の中の真物を見出すことで、それを目利きと呼ぶと私は思っている。
白洲正子さんは著書の中でこのように鑑定家と目利きを定義している。
リーダーの中のリーダーを見出せと。
なんとハードルの高いことか、、、笑
陳腐な結論と言われたらそれまでだが、やはりたくさんのリーダーのもとで自分に合うリーダーシップを身につけていくことに尽きるかと。
一口にリーダーといっても十人十色だ。
高価なものが良い訳でもなく、自分のレベルで気に入ったものを買って、満ち足りた時を過ごすことが大切。
陶芸も高いものを集めることがすべてではないというように、リーダーシップだって巷で言われているものがすべてという訳ではあるまい。
それにリーダーシップの大切さはそうなのだろうが、それを何のために発揮していくかの方が数百倍大切だろう。
結局リーダーシップも手段にすぎないのだ。
その先にあるものを実現するためにリーダーシップを発揮し推進する。推進の仕方は人それぞれですよ、といった具合か。
「贋物を怖れるな。贋物を買えないような人間に、骨董品なんかわかるもんか」秦秀雄
おわり。
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