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僕のファンだと言ってくれた、今は亡き先輩へ捧げる手紙〜#もしも叶うなら〜


僕のファンだと言ってくれたあなたへ


あなたが癌で亡くなって一年。

あなたに直接お礼を言いたいけれど、それは二度と叶いません。

だからこうして、天国にいるあなたに向けて、手紙を書かせてもらうことにしました。


あなたに出会ったのは約10年前。

あなたは、僕が新卒で今の会社に入社したときに配属された営業課の先輩社員で、1990年代前半入社のあなたは自分より20個も年上でした。

僕は入社1年目の後半から、あなたの下で営業サポートの仕事をすることになりましたね。

貿易関係の仕事でしたが、仕事の基礎は、あなたから教えてもらいました。


あなたの第一印象は、“お堅いおじさん”でした。

基本動作に始まり、メールの書き方や電話対応、会議での所作等、ビジネスマンとしてあるべき姿をこれでもかというぐらい叩き込まれました。

当時は「指摘が細かいな」と鬱陶しく思ってしまうこともありましたが、今思えば「大切なことを沢山教わったな」と心から感謝しています。

10年近く経った今でも、仕事をするときには、あなたに言われたことを大事にしている自分がいます。


あなたは、普段はマナーや規律を重んじる真面目な人柄でしたが、飲み会となると、まるで別人でしたね。

人から注がれた酒は毎回イッキ飲みをし、それを人にも強要する、そんな困った人でした。

酒の席では、目の色を変えて「おれの注いだ酒が飲めねえのか」と言うパワハラオヤジに変身するあなたを見て、とんでもない人だと思いました。

最初こそ戸惑いましたが、少しでもあなたと打ち解けるため、僕はあなたのペースにできるだけ合わせて、飲んで飲んで飲みまくりました。

あなたの行きつけの焼き鳥屋に一緒に通う度、あなたと僕の距離が縮まっていったのは、僕にとっては素敵な体験でした。


昼は超がつくほど真面目、夜は大酒飲みというあなた。

僕はそんなあなたとペアで仕事をさせてもらっていましたが、あなたの周りからの評判は、決してよくありませんでした。

あなたのいないところで他の先輩社員たちからあなたの扱いにくさなるものを聞かされたのも、一度や二度ではありません。

あなたが、課長や部長に対して「自分にも肩書きをくれ」と交渉していたことも、僕は知っています。

あなたの主張は、「自分は中国駐在経験もあって、そのときはマネージャーとしてやっていたのに、帰任したら日本ではヒラ社員となってしまうと、取引先に対して格好がつかない。だから課長補佐でも何でもいいから肩書きを名刺に書かせてくれ」というものだったようですね。

この話は、明確にネガティブなニュアンスをもって聞かされたので、「ああ、先輩は社内で煙たがられているんだ」と僕は悲しい気持ちになりました。


あなたは過去に、別の部署で上司とそりが合わず、精神を病んでしまい、長期休養を取られていたこともあったようですね。

この話も、他の先輩社員から聞きました。


あなたはいつも真摯に仕事に取り組んでいるのに、どうして、上司と合わなかったり、腫れ物扱いされたりしてしまうんでしょう。

僕は日に日にあなたに魅力を感じるようになっていたので、あなたが社内で評価されていないことを悔しく思っていました。

あなたはきっと、不器用で不運な人なのでしょう。

そのことが、不憫で仕方ありませんでした。


ところで、あなたは僕が書いた週報のコラムのことを覚えていますか。

きっと、覚えていますよね。


入社一年目の僕は、毎週月曜に課長に週報を提出していました。

週報は、先週やれたこと、先週の学び・気付き、今週やるべきことなど、業務上のあれこれを記入していました。

が、週報における業務に関する記載内容は、僕自身、全くと言っていいほど覚えていません。

というのも、週報にはフォーマットの最下部に自由記入欄があり、僕はそこの書き物に全精力を注いでいたからです。

入社してすぐ、研修期間の頃、週報を読んだ課長に「一番下のコラムがすごい面白かった」と言ってもらえたのが嬉しくて、面白がってもらえるならコラム欄はこのテイストで書き続けようと思ったのでした。

コラムの内容は、最初は日常のあれこれでしたが、数週間目からは、僕の恋愛遍歴について、シリーズものとして、ずっと書いていました。

大体、7割事実に基づいて、3割脚色して、僕の色恋沙汰を書き上げたものです。

入社一年目の僕は、これを一年間続けました。

今思えば、よくそんな恥ずかしくて手間のかかることをやったなと思います。


この週報は課長にしか提出していませんでしたが、一年目が終わる頃、課長が「このコラム、面白いからみんなにも見せよう」と言い出し、課の内外に僕の週報一年分をバラまいたことがありましたね。

それであなたは週報一年分を一番乗りで読み上げ、「終始笑いながら読ませてもらいました。すっごく面白かった」と僕に言ってくれました。

僕はあなたにそう言ってもらえて、飛び上がって今すぐ駆け出したいほど嬉しかったのです。


それから一年後。

今から5年以上も前のことになりますが、僕は海外赴任することになります。

僕が海外に出る直前、あなたとどんな言葉を交わしたのか、よく覚えていません。

だって、僕がいつか帰国したら、また一緒に仕事ができると思っていたから。

これがオフィスで交わす最後の言葉になるなんて、思っていなかったから。


海外の支店に異動してから、東京本社にいるあなたとは仕事の件でメールや電話でやりとりすることが半年間ぐらい続きました。

その当時、メールであなたが言ってくれたこと、あなたは覚えていますか。

「そういえば、最近は何か書いてる?また何か書いたら見せてよ。僕は青砥のファンだから」


僕は、胸が熱くなりました。

会社の先輩に、僕のファンだと言ってもらえるようなことがあるなんて、想像もしていませんでした。

それ以降僕は、いつか何か書いたら、あなたに見せよう、と思っていました。

だって、あなたは僕のファンで、僕の書くものを楽しみにしてくれているから。

あなたが僕のファンであるということが、僕の心の支えになっていたのです。


でも、結局僕は、それから5年以上もの間、仕事に追われ、何も書きませんでした。

そうして、ようやく筆をとったのは、今年の10月でした。

もう僕のファンであるあなたはこの世に存在しないのに。


ところで、僕は4年前に一時帰国して結婚式をやりましたが、そのときの披露宴で乾杯の音頭を取ってくれたのが、あなたでしたね。

あのとき、あなたは二度目の中国駐在中でしたが、僕のためにわざわざ一時帰国して披露宴にかけつけてくれました。

あのときのあなたの乾杯のスピーチは、僕にとって宝物です。

披露宴の直後、お礼金とお酒を渡したら、「お酒は有り難くいただくけど、お金は受け取ることができない」とお礼金は突き返されてしまいましたが、そんなやりとりも、いかにもあなたらしいなと思いました。


昨年、あなたが亡くなった知らせを聞いたときは、本当に驚きました。

直近2、3年はあなたが病気療養中だったと聞きましたが、そのことすら、恥ずかしながら全く知りませんでした。


あなたが死んでしまったという事実を、僕はまだ整理できずにいます。

この世にあなたがもういないということに、今でも実感が湧かないのです。

行きつけの焼き鳥屋に行けば、カウンターにあなたが座っていて、「とりあえず飲もうや」と言って、そのままエンドレスにビールを注いでくるような気がしてならないのです。


あなたの奥さんと2人の息子さんの心境を思うと、僕は胸が張り裂けそうになります。

あなたは、いつも家族を大事にする人でしたから。

あなたのLINEのプロフィール画像。
そこに飛びきりの笑顔で映っていた息子さん2人は、いつも僕をほっこりさせてくれました。


僕は今、この手紙を泣きながら書いています。

初めて、あなたの死に真正面から向き合っているような気がします。


あなたの人生は、どんなものでしたか。

僕のコラムを読んだときのように、「すっごく面白かった」と言えるようなものでしたか。

仕事においては、正当に評価されないまま、会社や上司に振り回され続ける半生だったかもしれません。

それでも、あなたが同じ会社の同じ部署にいてくれて、僕の先輩でいてくれたことで、僕自身がたくさん救われました。

あなたが、僕の書いたものを面白がってくれて、僕のファンだと言ってくれて、僕がどれだけ嬉しかったか。

だから、あなたに、ありがとうと言いたい。


あなたは、ずっと僕の中に生きています。

あなたは、僕のファン1号だから。

この先、何年何十年経っても、ファン1号は、いつもあなただから。


先輩、ありがとう。


#もしも叶うなら

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