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ウケる仕組み

高校時代、友達に言われたことがある。
「あ、オモロいこと言おうと今何か考えてるでしょ」

たしかに、考えていた。
僕は、モロに顔に出るタイプだ。
せっかく面白いことが思いつきかけていたのに、とんだ失態である。

面白いことを言おうと勝負に出るとき、自分で先に笑ってたり、面白いことを今から言いますよという感じを出したりすると、あまりウケない。
だから、面白いことを考えているというのが顔に出てしまっている時点で、すでに勝負に負けているのである。

そういう意味では、先日の渡邊惺仁さん◯◯について思うことさん共催のnote-M1グランプリ、いや真顔1グランプリは、理に適っていた。

笑いを届けようとする側は、できるだけ大真面目な姿勢の方がいい。
実際には真面目じゃなくていいしふざけてていいのだけど、「当人はいたって真面目」という雰囲気を出せた方が、よりウケる。

日常生活でも、普通のやりとりに思えるものの中におかしい部分があったとき、人はつい笑ってしまう。
いわゆる「緊張と緩和」が大事で、自然な流れの中で発せられた相手の言葉が予想と違うとき、人は面白いと感じるのだろう。
例外も沢山あるとは思うが、基本は「いかに裏切りを生むか」ということなのだと思う。

そんな笑いにまつわるあれこれを、先日の「ウェディングハイ」の記事を書きながら思い耽っていた。

この映画では、新郎と新婦の上司がそれぞれスピーチで笑いを取ろうと躍起になっている一幕があり、それが面白かった。

ああ、こういう、オモロいことを言おう言おうとしている人、いるよな。
そういう人、なんかいいよな。

そう思い、10年ぐらい前の何気ない出来事を思い出した。

自分が新入社員の頃、直属の上司である課長と一緒に、他の部署の部長であるAさんのところに話を聞きに行くことがあった。ある仕事で、そのAさんの知見を借りる必要があったからだ。

Aさんは、離婚歴が3回もあり、それを自虐ネタとして使いこなしていた。
僕はAさんと初対面だったのだが、Aさんは僕に対する自己紹介で「バツ3」の話をさらっと披露した。
その自己紹介はすごく面白くて、僕は吹き出してしまった。あまりにも美しい掴みだった。

そのAさんとの社内の打ち合わせは、主題はあくまで仕事の話なのだけど、「バツ」というワードが出るたびにバツが何個あるかの話になり、そこからAさんの離婚話になり、まあ盛り上がった。

楽しい打ち合わせが終わってAさんと別れ、会議室から自分の席に向かって歩いて戻っているとき、隣で課長が「Aさんってホンマ、常にオモロいことを言おう言おうとしてるよな」と笑いながら言った。
課長は「本人はいたって真剣な顔してるのが、またオモロいよな」とも言っていた。
Aさんとの打ち合わせ、そして課長の一言。あの一連の流れが、やけに印象的だった。


あのAさんのように、僕も何か言葉を発するならできるだけウケをいただきたいと思っている。

でも、何も妙案が出てこなくて、普通に受け答えして、後から「あー、こういう言い回しをすればウケたかもしれないのに。もったいないことしたな」と思うこともよくある。
というか、常にそうやって後悔している気がする。

本当はもっと攻めた言い回しをしたいけど、
「ここから先は引かれるだろうな」
「今思いついたことを口に出してしまったらOJISANそのものだな」
「これを言ったらBPO(放送倫理委員会)的にアウトだな」
と思い、自分を抑えてしまうことも多い。

その点、ギリギリのラインを常に攻めて笑いをかっさらっているエキスパートたちは本当にすごいなと思う。
(ギリギリを攻められないこんな僕だが、B'zの「ギリギリchop」という曲が好きで、カラオケで入れては高音部分を歌えずにいつも喉を潰している。)

ギリギリのラインを攻め続けている人もすごいが、本来ならアウトの発言でも「この人が言うならOK」と、特権を認められ受け入れられている人もすごい。
(僕が大好きな芸人の1人、有吉弘行はその筆頭だと思う。)


そんなわけで、ウケる仕組みを理解はできても、実践できるかどうかはまた別の話である、ということを記しておく。


僕は、noteが好きだ。

なぜなら、noteの世界は、オモロいことを言おう言おうとしている人で溢れかえっているからである。



おわり

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