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拒絶と否定が怖い(2024/06/25 21:55:19)

過去に,残念だよという台詞が嫌だということを記したことがあったが,その言葉がなぜ嫌だったのかを考えていた時に拒絶と否定が恐ろしいからだという仮説が思い付いた。

残念だよ,という言葉はその選択に対する拒絶とその選択をした人への否定が含まれているのだと思う。
でなければ,僕があれだけ傷ついた説明がつかないのだ。あの冷たい瞳と声の説明がつかないのだ。

僕の人生全てが否定されたような気がした。あの一言には,そんな力があった。

しかし,それと同時にやはり疑問は消えないもので。

何故,家族とはいえ他人に僕の人生の選択を拒絶されなければ,僕の存在が否定されなければならないのだろうか。

己か無理だと思ったら捨てていいし,それを咎められる人なんて存在しない。本当の意味で,僕自身を否定できる人なんていない。

僕は本気でそう思っている。
それでも,それでも,だ。

否定も拒絶も,無視すればいい。本当の意味で他人を否定出来ないのだから,僕はそんなの気にしなくていいのだ。
わかっている,そう思っている,僕の価値観にそれは確かに存在する。

けれど,どうしても怖いのだ。

どうして否定されるのだろう,拒絶されるのだろう。

否定された先で,どうしたらいいのだろうか。

拒絶に対して,どう対応したらいいのだろう。

わからないことだらけで,余計にそれが僕を恐怖の海に突き落としてくる。
やはり,子どもは無力だ。
未成年のできることなんてたかが知れている。

未成年とは無力だ。
己の力だけで働いて自分のお金で働くことを許されない。(勿論,そうしなければならない人がいるのもわかるが,僕の家庭の話では許されない。)
自分で己の責任を持つことは許されない。何かをしてしまった時に謝るのは親だ。(無論,僕も謝るが。)
自立させて貰えない。

そんな環境で生きているのに,親に否定されたら……もう無理だ。

だから,そうされないように会話をやめようとする。
これからはどう対処するのか考えていこうと思う。

最後に,ここまで読んでくれたあなたへ。
あなたの選択を拒絶されたり否定されないことを願って。

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