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残念だよという台詞(2024/06/11 22:29:07)

何かが変わると思っていた。
自分のやりたいことはこれだって伝えて,その為にどうするか考えていきたいんだと言えば,自分の中の何かが変わると信じて疑っていなかった。
けれど,それを伝えて返された言葉は,1番聞きたくなくて,いちばん辛い言葉だった。

今までやってきたことを捨てて,やりたいことをする。その方が,その選択を後悔しないように行動できると思ったから。その方が,否,そうじゃないと僕は生きられないから。
けれど,今まで抱えてきたものはあまりに大きくて,そのためにしてきた努力は甚大で,周りから見れば勿体ないらしい。

だから言われたのだ,残念だよ,と。

今まで頑張ってきたことが足枷なら,反対される理由になるのなら,頑張ってこなきゃ良かった。
つらくても,苦しくても,将来のために,好きだからとやってきたのは間違いだったのか,と思った。

今までの努力が全部無駄に思えてしまった。

それと同時に,やりたいことをする自分が,やりたいことが,全部否定されたような気がした。
そんなつもりがないのはしっている。だからといって,一度違えた認識をしてしまえば,もう修正できない。
受け取った時の形が,ずっと心に残っている。

あの時の冷たい瞳が忘れられない。あの時の拒絶するような声が忘れられない。残念だ,という言葉が忘れられない。

それと同時に,少しの怒りすらも覚えた。
どうして他人に,僕の人生に,僕の人生の選択に,残念という評価をつけられなくてはならないのか,と。
あなたが残念だと思うことを,僕はやめなくてはならないのか,と。
それが酷く苦しい,憤りを感じる。

誰かの求めた形になんてなりたくない,なれない。
自分が変わることを要求されるのが,一番のストレスだ。

変わらない,変わりたくなどない。
誰かの求められた形なんかになるのは嫌だ。
けれど,人を傷つけたくない。
僕のせいで誰かが悲しい顔をするのは,ネガティブになるのは嫌だ。

残念だよ,となぜ勝手に決められるのだ。
残念だよ,となぜあなたに言われなければならないのだ。
その台詞で,どうして僕はやりたいことを我慢しなくてはならないのだ。

言葉が足枷になる。頑張ってきたことが足枷になる。
それが酷く辛い。

だからもう,どうでもいい,いらない。
歩いてきた足跡も,誰かからの嫌な言葉も,もう全部無視してやる。
どうでもいいって笑い飛ばしてやる。

足枷になるものは,余計なものは,全部忘れ物として過去に置いてやる。
僕は僕として生きる。やりたいことをやりたいだけ。
誰かの求めた形になんてならない。

最後に,ここまで読んでくれたあなたへ。
あなたがあなたの思うがままに生きれることを願って。

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