飲酒公募勢になるまで~乾杯への序章~

飲酒公募勢。――そう、酒を飲みながら原稿を書いて賞レースを勝とうとするクレイジーな人たちの総称である。

飲酒公募勢になるまでどうやって小説を書いてきたかって話なんだけど、正直記憶とかあんまりないんよ。

ただ思い返せば「ああ、長いことやってきたなー」とは思うので記録とか見ないで記憶だけで振り返っていきたいと思う。

なお、年月においては酒の飲み過ぎで記憶がないためざっくりと「この辺」という認識でいただければ。

これは《あお》の創作の歴史……何も有意義なことは書いていないので、最後まで読んでる暇があったら原稿をやった方がいいと思う。


○2003年頃:創作との出会い

小説執筆の定義なんぞは知らんけど、あるとしたらこのタイミング。
時は大インターネット時代。
この頃ヨーヨー少年だった俺は無事大学生になるわけで、そこで知り合った学友の影響でアニメを見るようになる。

その時にハマったのが『デジモンテイマーズ』だった。このシリーズを遅れて見始めた俺は、えらく主人公たちとデジモンのパートナーの絆に感動。

『テイマーズ』を見終わった時に感激して「なにか感謝をしたい」と絵を描き始めるもこれは違うとすぐ文字に移行。絵から文字に速攻で移行するセンスには我ながら才能を感じた。ちなみに今もデビューできていない。

大学の授業中に同作のキャラ《牧野留姫》と《レナモン》のツンデレ主従関係百合をルーズリーフに書きなぐっていたところ、四年生になっても毎日授業に出席して単位を集める羽目になり、就職活動をすることなく卒業。

今思えば小説じゃなくてITに興味を持っていれば今頃意識高い系YouTuberとして無双していたと思うので、人生の選択に関しては才能がないんだと思う。

とにかく持ち方も分からず筆を握りしめて、ごはんを散らかす幼児となったのはこの頃のことだった。

余談だが当時HPで『◯◯の部屋』みたいな痛い個人サイトを作って小説を投稿。誰も発見できないような裏URLを設定してそこにも載せ、
「ふふ……このページに到達できる者は誰もいないね」
と賢者を気取っていた。

そして久しぶりに更新しようとしたら《サーバー移転のメールに気づかず猶予期間もぶっちぎっていた》ため消滅していた。

○2005~2007年頃:第1回九州上陸と『マリア様がみてる』

イカサマと奇跡の御業によるコラボで大学を卒業した俺は就職のため、九州に上陸していた。

ちなみに卒業後は職業訓練を受けた三ヶ月後に、同校で教える側に立っていたというシュールな状況があったことも付け加えておく。

当時九州某県にいた俺は、職場に行っている日数よりホールにいる日数が多いスロカスだった。
そう、業績ではなく期待値を追っていたのだ。

当時のスロ環境も相まって収支はプラス。
年間で言えばサラリーマンのボーナス2回分は勝っていたのでスロット収支ブログで文章を書いていた。

そこそこアクセスも回って固定のファンが出てくるも、そこはファンが今日の収支報告をする場になり、一年もすればアフィカスが湧きあがりブログは放置。

いつしかスロットをやめてゲーセンで中学生からドラムマニアを教わる生活に切り替わっていた。

ホールの閉店チェックや朝の並びもなくなり、給料だけで生活する習慣を初めて手に入れると、俺は大好きな『マリア様がみてる』の二次創作を書くようになる。

この時点で完成することはなく、俺は
「そうだ、ITをやろう」
と本屋でプログラミングの本を大量に購入して自宅で勉強。
九州から地元秋田を経由して、東の都に向かう決意を固めたのだ。

なお、秋田に戻る前に茨城の友人宅を経由するのだがここが”公募において”大きな転機となる。

余談だがこの2005年頃、ニコ動はアカウントごとに動画を見れる時間が制限されており、俺の閲覧時間は午前2時から午前7時頃。
このスケジュールが俺の夜型に拍車をかけたんだろうと今は思っている。

○2007年後期:公募のきっかけ~紙の束と即行動する俺はえらい~

九州から秋田に戻る道中の話だ。
小中学校が一緒だった友達の家を経由してから、mixiで知り合った人たちと初のオフ会を経験しながら帰省することになる。

彼らは転勤族で茨城にいたため、ルート的にも寄ることが出来た。
当時は俺と弟、そして友達兄弟四人でよく遊んでいた。そんな関係性だ。

そこで久々に会った友人の弟が
「俺小説書いてるんよ」
と分厚い紙の束を見せてきた。

衝撃だった。

公募のきっかけは完全にこれだった。
だれかの小説に感動したわけでもなく、
「ああ、素人でも小説書いていいんだ。なるほど」

それからmixiのオフ会が終わり、ネカフェに集まった時にネカフェでいきなり小説を書き始めた。

それが今思えば全ての始まりだった。
ちなみにこの時点では「公募しよう」とかは一切考えていなかった。

それから俺は二年の社会人生活で貯めた100万円を握りしめて秋田へ帰省。
しかし就職活動と引っ越し資金にするその金の大半は『戦場の絆』というガンダムのゲームに溶けていった。

10分せずに500円が溶けるゲームに連コインしていた当時、友達とマジ顔で
「スロットより絆の方が金減るな」
と話していたが、今思うと1タップで3,000円が消滅するガチャの方がやばいと思う。

ソシャゲに関しては、自分が蛇口をひねるように課金していた時期の記事
ソシャゲ疲れ『天才たちの作った悪魔』に記載しているのでぜひこちらも。

○2008年頃:都落ちからハンターへ

東京では当時はLinuxっていうオープンソフトウェアをいじっていた。
詳細は忘れた。はろーわーるどはろーわーるど。hoge、hoge、foo!

メンタルクソ雑魚の俺は、乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎ出勤で、7時起き→21時帰宅に嫌気が差していた。

ここでも休日はスロットを打っていたが時代は前と違い五号機時代。
少しの知識で勝てる四号時代は終わりを迎え俺は新しい副業を見つけた。

そうパチンコである。
「仕事のあとは仕事だぜ」のフレーズに乗り《必殺仕事人》に意気揚々と座り諭吉を吸わせるも、戦場の絆よりも得るものがないことにしばらくして気づいた俺は、

「そうだ、まだ俺には資産があったな」

前項で書きかけていた小説に手を付けたのだ。

もちろん公募を前提にしていなかったのでフォーマット設定はしてなかったものの、見事に体調不良から都落ちを果たす頃には40枚ぐらいは書いていたと思う。

その後めでたく体調不良から実家に帰省。
俺はLinuxのソースコードを手放すと、ティガレックスを倒すためにPSPを両手でしっかり握りしめたのだ。

○2009年:――そして初公募へ。第1回GA文庫大賞と凍ったマフラー

たぶん都落ちは2008年10月だったので、そろそろ年号の信憑性が出てきたと思う。
一応ここからは西暦があっている前提で進めていく。

さて一年も東京にいなかった俺は帰省するなり引きこもり、モンハンをする日々がしばらく続き、その道中で第1回GA文庫大賞へ応募することになる。

知り合い十数人で数千円ずつ出し合って借りた部屋に集まりPSPをする日々。たしか3Gだったかな。

メールで『今日だれか事務所います?』を皮切りに集まるハンターのリアル集会に合流すると、ひたすらティガレックスにボコられる日々。
こいつを倒した時はまるでゲームをクリアした気分にすらなった。

事務所を後にして帰宅し、親が起きる頃になると寝て夕方に起床。そこからリアル集会場行く日々。

そんな時スカイプに一件の通知が届いた。
さっきも登場した、小説を書いている友人だ。

「書いてる?」
「ぼちぼち進んでる」
「だったらこれに出してみたら」

そう、それこそが俺の初公募

【第一回GA文庫大賞 後期】だった。

そいつのアドバイスを受けながらなんとか80枚ちょっとの原稿が完成する。
三点リーダーの使い方も知らなかったし、一人称と三人称も同じ場面に混在していた。

それすら知らない状況だけどアドバイスを貰いながらやっと完成。
当時は印刷して郵送だったのでレターパックに詰め込んで送り届ける。

試験願書を出すときのような緊張感を郵便局の夜間窓口で感じたことを覚えている。

年が明けて「03」地域から電話があった。

受賞だ! そう思ったが東京に住んでいたアパートの管理会社から
「あおさん、備品を紛失していたので2万円払ってください」
という電話だった。

ため息をついて外に出ると、昨日の夜落としたであろうマフラーが玄関前で凍っていた。
多分2月の冬だった。この出来事はセットで一生忘れないと思う。

その後GAは第三回までたまに出したり、MF、スーパーダッシュ文庫にも出したが2011年まで全て一次落ち……というのはまた別のお話。

評価シートでは
・自分よがり
・よくわからん
・読者のことを考えろ

というありがたいお言葉でメンタルが削られる。
幸い「文章は読みやすい」とは最初から書かれており、三年間で多少は評価シートの内容も成長していた模様。

その後「このまま書き続けるならメンタル強度をチェックしないと」と思い、2ちゃんねるの創作晒し板に自作を投稿。

・つまらん
・完結されてるだけマシ

という第三者の意見と共に「あ、俺わりとメンタルつよい」と思う。
今の自信の根拠はここにあったのかもしれない。

ちなみに次に公募に復帰するのは2019年。初の公募突破は2022年の第29回電撃小説大賞四次落ちまでかなりの時間を要することになる。

それまでもちゃんと書いてる。安心してくれ。
さあ、ここからはあおの二次創作編に突入だ。

○2011年:二次創作編『ハートキャッチプリキュア』から

地元秋田に戻ってからはしばらくMTG(マジック・ザ・ギャザリング)というカードゲームに勤しむ。

ちなみにプロツアーフィラデルフィア(時系列はこれより前でペンシルベニア州での大会)まであと1勝足りなかったり、日本選手権予選ベスト8……という成績を持っていたりする。

PTフィラデルフィア予選(国内)では相手のライフを1点削って90分の時間切れという体力勝負をしたり、日本選手権予選ベスト8では前日酔い過ぎてカバンからデッキと間違えてサンドイッチを取り出すということがあった。

耐久力と飲酒アタックの才能はこの頃に開花したのかもしれない。

閑話休題。

この頃はハートキャッチプリキュアにハマっていた。
実はプリキュアシリーズは放送当初から大好きだったが、引っ越しだったりVHSの録画が下手すぎて失敗を繰り返し、見ることを挫折していた。

で、ハートキャッチプリキュアを皮切りに、某所で二次創作投稿をスタート。
プリキュア、ラブライブ、艦これ、ワールドウィッチーズシリーズ、ガルパンを経て今もたまに更新をしている。

そっから12年。
牛歩ではあるが96万PVまで来ているので継続は力なり。

ちなみにTwitter以外のページはチェックが億劫。
ランキング入りとか興味がなくて、それ系の通知は赤いバッチを消すためにクリックするも、たまにコメントがあってレスが数カ月後になるのは本当にすまないと思っている。

日々変動する数字が気にならないのがWeb勢に向いてない理由だと思う。

一応なろうにもちょっと書いてたけど完結したときの「おめでとう・楽しかった」コメントラッシュには感動しました。
一作目エタってごめん。

○2012年~2015年:『スマイルプリキュア』で初の同人活動と企画立案・編集経験

この時は二度目の体調不良で仕事からいっとき離脱をしていた。

友人の誘いでアイドルマスター765プロのライブに初参加したり、田村ゆかりさん、水樹奈々さんが秋田で公演した年。そして自分がまさか同人活動をするとは思ってもいなかったのでかなり印象深い年でもある。

ちょっと長くなるがまあ聞いてくれ。

2012年は『スマイルプリキュア』にハマっていてTwitterでそれ関係のフォロワーさんと一日中リプっていた。

一日のツイート数は400を超え、月間6,000。発言のし過ぎでアカウントが規制されてサブ垢でリプに参戦するツイ廃ぶりだった。
しかもそれが複数人だ。

ちなみに今のTwitterアカウントは後述する『アイドルマスター・シンデレラガールズ』の配信実況をするために作ったアカウントで、当時は別垢でTwitterをしていたことを記載しておく。

さて、Twitterで毎日数百のツイートをしていた我々はすぐに仲良くなりスカイプでアニメの感想を語り合ったり、各自再生で録画を同時視聴するようになった。

スマイルプリキュアがきっかけで結婚したフォロワーさんも、俺が知る限りでは三組いる。結婚式にも呼ばれたことがあった。

2012年。俺は当時、漫画を描いているプリキュアファンに声をかけられる。

「あおさん、同人誌の編集しませんか? 合同誌で漫画と小説をつくるので小説側で」

そっから初めて同人誌制作に関わることになる。

最初はその人が企画をやってくれたが、二つ目、三つ目は俺が同カップリングで企画してツイプラで参加者を募集。オンリーや夏コミにも参加した。

特に三回目は「毎回応援しています」と差し入れももらった。
もちろん合同誌なので俺なんて金を出して製本して、みんなより上手くない小説を載せる程度だったので恐縮極まりなかったが、めっちゃ嬉しかった。

今までWebで二次創作を書いていたけど、改めて人前に出るようになって「人が見るんだから意識しないと」って思ったのかも知れない。

その後はプリキュア合同誌の編集側で何度か参加して編集後記を書いたりしていた。

合同誌の編集をしていた時は
・数十人の進捗チェック
・印刷所とのやりとり
・納品スケジュール
と執筆以外で社会勉強になることが多かったので、一度体験することをおすすめする。

ひとつだけギャンブルだったのが
夏コミに合同で参加しようと思った時には締切なんぞはとっくに過ぎていたので、フォロワーさん数名に「夏コミ受かったら場所提供お願いします」とお願いしたこと。

そしてコミケの当落が出てからでは遅いので「どなたかが夏コミに受かる前提」で企画を進めて印刷したこと。
無事仲のいいフォロワーさんがコミケに参加したので事なきを得る。

まぁ最悪オンリーに回せたのですが、これもまたいい思い出。

ちなみに企画して合同誌やるのが好きだったので、毎回捌ける冊数をカップリングの規模で計算して費用は全部俺持ちでやってました。……お金は揉めるのでね。

全部捌けてもトントンって感じで、利益ない感じにしていました。
本当にみなさんの作品を知ってもらいたかったので。

毎回9割ぐらいは捌けていたので「このジャンルはいいぞ!」ってなりました。

○2015年外伝:実はここで一度、一次通過をしていた話

さっき「2022年の電撃まで通過実績はない」と書いた。
すまん、あれは嘘だ。

というのもどのプラットフォームかは覚えてないけど、数千文字書いたら未完成でもハッシュタグをつけて応募可能という賞で一次通過したことがある。

たしか5,000文字ちょい書いて通過だったかな。
二次選考はダメでそれっきり。

その後、別作品をなろうにアップ。
確か2017年に読み切りを書いたらちょっとだけ反響があったので、長編化して10万文字で完結することになる。

○2017年~:アイドルタイム!

ここであおの執筆が一時的に中断される事件が起こる。

『アイドルマスター・シンデレラガールズ(以下:シンデレラ)』の世界に旅立ってしまうのだ。

そう、二度目のアイマスである。

ストライクウィッチーズのOVA先行映画を見に仙台に行った時に、仲良くしてくださるフォロワーさんから「あおさん、アイマスのライブビューイング見ない?」
と誘われたのがすべての始まりだった。

金曜日までシンデレラはゲームでちょっと知っていた程度の俺が、月曜日には声優さんの配信を聞くため、小学校の時間割並に毎日スケジュールするようになったのだ。

ライブ後の感想やステージ上での気持ちを後日語ってくれる声優さんの話は、魅力的で演者としての努力も見ることが出来た。

そんな魅力的なコンテンツの声優さんたちの番組が毎日何個も配信されている。

急転直下でシンデレラにハマった俺は仕事が終わってから、時間割をこなし始めたのだ。

そんな状況の中で小説を書く時間はあるだろうか? いや、ない。

この時はプリキュアの二次創作からガルパンにスライドしていて、たまに小説は書いていた。
だが2019年の5月頃までは「たまに二次創作を書く」という程度になっていく。たぶん二ヶ月に一回ぐらいかな。

それぐらいにシンデレラガールズの魅力は凄まじかったのだ。
今はシンデレラからは離脱気味だが、ガラスの靴は今も脱げないままである。

ちなみにこの項のアイドルタイムとは
自作『ナナカマド』(第30回電撃三次落ち)に登場する愛依風(あいか)というキャラの技名である……ということをお伝えして、最大の転機へとバトンを繋ごうと思う。

またこの年はシンデレラの他にも手品にハマり、その練習時間が増大してさらに書く時間は減っていくがそれもまた別のお話だ。

○2019年:ラノベ作家『蒼山サグ先生』のオンラインサロン入会

リア友からLINEが届いた。
「昨日サグ先生と麻雀打ったw」

なんのこっちゃ分からないが、どうやら『ロウきゅーぶ!』で有名な蒼山サグ先生が《ファンと遊んで交流するサロン》を開設したらしいのだ。

見れば創作プランもあって
「秋田出身のすごい先生と喋ったり、創作を教えてもらえるなんて凄いことだ!」
と入会。

メインはゲームで結構麻雀の回数が多かった。
麻雀はルールぐらいしかしらないが、ネットではポンとかチーが表示されるのでゲームしながら、月イチの創作サロンでサグ先生や創作メンバーと会話をするようになった。

サグ先生のイメージは本当に優しいおにーさん、という感じだ。

紆余曲折あったが創作サロンではメンバーが持ち寄った単語を3つ組み合わせて5,000文字の《三題噺》を月イチで提出し読み合うというものになった。

直近のトレーニングだと間違いなくここがレベルアップの起点になっていると思う。

○2019年:令和小説大賞への応募で8年ぶりの公募復活

サグ先生のサロンに同年5月に合流した俺は「久々に書いてみるか」と【令和小説大賞】長編のプロットに取り掛かる。

書いたのは『エロマンガ先生』のような、作家が主人公の物語。
タイトルは『あさの玲二の復活』というものだ。

上限20万文字という中、たしか15万文字ぐらいを書いて応募した記憶がある。……なお原稿は翌年の電撃にコンバートする際に消滅してしまった模様。

で、この賞では落選するも、母体のLINEノベルも一年経たずに消滅してしまう。今あなたは元気ですか?

○2020年:第27回電撃小説大賞へ……一度目の敗北

なぜ復帰後にいきなり電撃なのか? それは今思えばもうよくわからない。

とにかく俺は令和小説大賞の原稿を削り続ける。遥かに電撃上限を超えたそれを削るのは至難の業だった。

どうにか収めて提出するも一次で落選。

今思えばこの時もまだ、読み手のことを考えていなかったり、キャラが設定に動かされていたのかもしれない。

特にここからは大きな進展もなく、2022年まではサグ先生のサロン課題と年一の電撃原稿を生産する日々に突入していく。

しかし、このサロンで公募を目指す人と知り合った俺は確実に刺激を受けて成長した気がする。

○2021年:第28回電撃小説大賞~欠落からトップギアへ~

創作に対する記憶が欠落しているのだ。
この年は短編で電撃に応募。

『ボタンを一つ外すだけでも大変なんだ』という作品で女子校の話。

真面目な委員長が、転校生の不良女子(成績は超優秀)の素直な生き方に衝撃を受けて、徐々に自分の本心をさらけ出していくという話。

真面目に生きてきた主人公に対して、補導されたり休学を繰り返す転校生が「普通ってなに?」と突きつけるのがテーマ。

今思えば、俺の社会系のコンセプトはここから始まったのかもしれない。

あとこの年は、
仕事が体力的にキツくなったと感じ滅入っていたこともあり、この年は友達とひたすらに「今後の人生の話」や「つみたてNISA」の話をしていた。

額面は少ないものの、つみたてNISAは現状+70%で推移している。

結局今は半分自営、半分季節雇用みたいな働き方をしているので、積み立てるものもなくただただ数字を眺めているだけ。

こっちもWeb小説と似ていて、数字の変動に興味がなさすぎるのでチェックするのが月イチとか二ヶ月に一回ぐらい。

ちなみに楽天証券で『eMAXIS Slim 先進国株式インデックス』がメイン。
実験でeMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)を500円で動きを見てたけどこっちは+50%以上動いている。

投資も執筆も長丁場だと思った。がんばれアメリカ。
でも投資より寿司とか焼肉奢ってくれる人の方が大事です(笑)

誰か俺にPixel 7aを恵んでください!!!

○2022年:第29回電撃小説大賞での四次選考~19年間の粘り……否、諦める才能がない~

おめでとう。
ライトノベル公募で初の一次以上の通過である。
しかも四次落ちだ。いきなり三次選考を抜けたのである。

作品名は『各務原日翔麻の歩き方』(かがみはらひとまのあるきかた)
この時のペンネームは《碧真目夏冬》(あおまめなっとう)

昨年書いた短編の思想をコンバートし「普通・ちゃんとってなに?」を高卒女の子視点で描いたモラトリアム系である。

ずっと公募をしてきたわけじゃないが実に19年。
2003年から2022年である。

2021年の後半は本当に仕事が大変で、社会に対してなにかカウンターしたいという気持ちもあったから書けた部分もある。

今読んでいる百田尚樹先生の『夢を売る男』の中に出てくる編集者が
「小説を書こうなんてやつは頭がおかしいんだ」
というようなことを言っている。

多分それは間違いない。

ラノベの一次選考をようやく抜けた俺は「信じられない!」という気持ちで一ヶ月を過ごした。
その一ヶ月後に三次通過を知ると、推し声優のラジオにその旨をふつおたで報告。
さらにそれが読まれるという喜びに完全に調子に乗る。

ただ昨年は会社を辞め、新しいことを始めていたこともあり、次に取り掛かったのは同年のGA文庫大賞・後期であった。

ここで今、俺が主力としている戦法。
社会風刺+ローファンタジーという公式が出来上がり、その先陣を切ったのが『ナナカマド』という作品だ。

なおこれについては執筆戦術を別記事にしているのでリンクを張っておく。
・プロットマシーンをここ半年ぐらい使っている。

結局こいつはGAで一次落ちをしてしまうが、2023年の第30回電撃では二次選考を通過することになる。

19年越しのカウンターが始まったのだ。

○2023年:飲酒公募勢の爆誕と電撃、IP、OVLでの一次以上の通過

<2023年>
・第30回電撃:三次落ち
・第12回IP:二次落ち
・第16回GA前期:一次落ち
・第11回OVL第1ターン:現在二次選考中(2023年9月13日現在)

別に超すごくない。受賞してるわけじゃないのですごくない。
だがGA以外通過しているのだ。

俺は去年思った。
「電撃四次落ちが偶然だったらどうしよう」
と。

その後、15回GA後期で『ナナカマド』が一次で敗北すると「まずい」と思った。

実は30回電撃は
・既存の『ナナカマド』
・新規で『ソード・デュエル』という二作を出している。

新規に書いた『ソード・デュエル』が落ちているということは、書き下ろしに関してはGA→電撃と新作が二連続で一次通過しなかったことになる。

しかしGAでダメだった『ナナカマド』が30回電撃を三次落ちまで持っていくと、同じく社会風刺+ローファンタジーの公式で書いた『デザイアバスター』がOVLで一次を通過。

同様に現在ガガガ文庫に出す用に書いている『RETTEL GIRL』もIP(20枚)で一次通過。

なによりも去年の電撃四次落ちが偶然じゃないと思える根拠が揃ったので、今の俺はさらに調子に乗っている。うん、これぐらいでいいのだ。

そしてここまで来たのは創作のフォロワーさんとのやりとりが大きかったと思う。

Twitterで見かける《飲酒公募勢》

執筆しながら酒を飲んでいる連中が集ってアノニマス的な雰囲気で今日も飲酒報告に勤しむ集団である。
メンバー構成なんてない。
心の中で思った時が飲酒公募勢だと思う。

29回の電撃から創作フォロワーさんが増えて、今では互いに支え合っていると勝手に信じてやっている。

公募した、ダメだった、通った、受賞した!
そしてくたばらないハングリーな精神をもった人たちが周りにいると、自然と引っ張られるのだ。

無理やり創作論的な話をするなら「環境とポジティブは大事」って話。

幸いにもフォロワーさんはいい人ばかりで、ネガティブな人もいない。
――ああ、俺がネガティブだったね!

ってことで、継続するには同じことに取り組んでいる仲間はすごく大事だなって思った次第。

○2023年12月:第2回九州上陸

そんなわけで、俺は12月に飲酒公募勢のフォロワーさんである
・りつりんさん
・夜方にーさん
と九州で合流する予定である。

俺の親戚がそっちにいるからその用事で行くんだけど、飲酒公募勢の方が九州にいたのもビックリである。

そんなわけで約一万文字に及ぶこの記事は、
「俺、飲酒公募勢と飲むんだ。いいでしょー」
という自慢のエントリーでもあったわけだ。

第1回九州上陸という冒頭のタイトルをここで回収して、そろそろ終わろうと思う。

ご清聴ありがとうございました。締め切り落とすなよ?


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