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久々に帰省した話

いつだって”今現在”が歴代最高で、大変なことがあっても「これを乗り切ればまた最高になる」という漠然とした自信がある。
だからなのか「あの頃は楽しかったな。戻りたいな。」なんて考えることは無い。

けれども後悔していることは多々あり「あれをした自分は最低だった。あの頃に戻ってやり直したい。」と思うことは物事の大小問わず数知れず。
しかしそれを考えたところで戻れないのが過去というものなので、できるだけ”たられば”は考えないようにしている。

しかし先日、数年ぶりに帰省した際には本気で思ってしまった。

「今の家庭環境で育ちたかった。」

実家の敷地に入ると、まずは祖母に挨拶をした。今までは「年の割にめちゃくちゃ元気」だった祖母はしばらく会わないうちに「年の割にまぁ元気」くらいになっていた。覇気が弱まり、私の「実家の方に行くね」という欲求をすんなり受け止めた(二世帯住宅で、祖母の家と実家はちょっと区切られたようになっている。)

実家へ入ると母の機嫌が良く、父もリラックスした表情でいる。夫婦の会話がそこにあり、笑い合っている。お酒が好きなその夫婦は茶色いお酒を共に飲んでいた。
母から父と2人で行った旅行や、友達の話を聞く。
父は私の方を見て話しをする。互いの近況報告をする。
数時間の滞在だったが、なんてことのない平和なお正月だった。

楽しかった反面、複雑な気持ちが生まれる。
子どもの頃に見た家族の形が、今は無かったからだ。

父とまともに話した記憶は無い。平日は仕事で遅く、休日は自分の趣味のために朝から晩まで家に居ない。私の習い事の迎えに来てくれることもあったが、車の中で話すことも無い。思い出せる父の姿形は薄ぼんやりしたものでしかない。

それに引き換え、母の姿や声・表情などは色濃く私の脳内に刻まれている。
愛情を持って接してくれた母だったが、私に甘えて寄りかかっている面も強かった。祖母や父や父方の親族の悪口、田舎社会の不満を延々とこぼしていて、それに付き合うと日を跨ぐことも少なくなかった。
10歳手前くらいだろうか、婚姻制度について理解してからは「離婚すればいいよ。私はママについていくよ。」と言っていたが「仕事のブランクがあるから離婚したらお金に困ってしまう。だから無理。」と言い、愚痴をまた再開していた。

父と母はそんな感じなので仲が良いわけがなく、顔を合わせると喧嘩が絶えなかった。自室に篭ると内容が聞き取れなくなるが、それでも聞こえてくる喧嘩特有の周波数というか響きは未だに耳にこびりついてる。

そもそもこんなにも険悪な理由は父の実家で暮らしている(母は父方の親族が近くにいることや田舎の息苦しさが辛かった)から、ということが大部分を占めているので引っ越せば良いのに、そういった話題が出ると祖母がしつこく引き止める。「長男が家を継ぐ」というような考えが根強く、父も父で板挟みで辛かったのではと今となっては思う。

私が中学に上がってからは通学を理由に少し離れたところにマンションを借りてなんとか引っ越せたが、父は他県に転勤になったり、戻ってきてもマンションではなく実家に住んだりと、ほとんどの時間が別居状態だった。
その状態でも母が話すことの大半は父達の愚痴。もう仲良くなれることは無いだろうなと思っていた。愚痴を聞き続ける生活も辛く、私も一人暮らしを始めた。

ある日世界がひっくり返るようなことが起きて、2人はまた実家で一緒に暮らすことになった。これは両親が亡くなった後でないと書けないなと思っている。

それからは今までのは何だったのか?という仲の良さを発揮している。両親だけではなく、祖母も。
母からは「パパと○ちゃん(犬)とここに遊びにいったよ」というLINEがマメに送られてくる。「おばあちゃんと一緒に作ったカボチャです。甘くて美味しいよ!」と食べ物等がちょくちょく送られてくる。
正直どういう気持ちでその言葉やら写真やら荷物やらを受け止めれば良いのかがわからない。というか、不快だった。
今まで母が苦しんでいたのは知っている。でもそれを聞かされる私も苦しかった。その事実が無かったかのように振る舞っている母に不信感を覚えていたのだ。だからあまりLINEの返事も返さなかったし、実家に帰ることもほぼしなかった。

しかし絶縁したわけでもないし、嫌な気持ちを確かめようと思って帰省を決めた。そうしたら予想外にほっこりした雰囲気で自分もそれに溶け込めてしまったので拍子抜けしたのだ。そして「今の家庭環境で育ちたかった。」と思ってしまった。みんな仲良くなって本当に良かったね。そこに幼かった頃の私はいないけれど。

過去は変えられないし、文化・習慣・状況などを考えたら誰も責められないことだったのかもしれない家庭環境。
どうか今のまま幸せに暮らしてほしい。
私は私で、まだ残る複雑な気持ちに向き合うからさ。

帰りに、実家近くの河原で散歩をした。
その河原には様々な色形大きさをした石がゴロゴロとあり、歩いていると服にブタクサの種がたくさん付く。夕日が綺麗で、川の音が心地良かった。
今も昔も変わっていないことと言えば、それだけだった。

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