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夏休み日記

遅れてきた夏休みが終わった。
ほとんど毎日雨が降っていたが、心穏やかに過ごせた一週間だった。
特別大きな予定をあまり立てず、ゆるゆると過ぎていく時間。
一日中眠ったり、映画を観たり、新しい散歩の方法を模索したりしていた。

私が住んでいる街は静かで人通りも少ない。家にいると無音。時々鳥の声。
窓を開けて畳に寝転ぶ。乾いた風がカーテンを揺らし、足をくすぐる。くすぐったくて体勢を変える。
また眠ってしまいそうな意識の中、お祭りの気配を感じた。

はしゃぐ子どもの笑い声。笛の音も聞こえる。
「お祭りやってるのか。この街では初めてだなぁ。」と眠りかけの頭で考えていたが、ふと気付く。太鼓の音が聞こえない。
なんとなく目を覚まし、よく聞いてみる。子どもの声がするのは、狭い路地の方。お祭りで盛り上がるようなスペースは無い。子どもの声もせいぜい2人だ。母親の笑い声も聞こえる。

そして気が付いた。お祭りではなく、このマンションには数少ない、お子がいるご家庭の音だった。
心地良い風の日だったので、あちらも窓を開けているのだろう。

じんわりと暖かい気持ちに包まれる。
生活の営みもお祭りにしているご家庭に心でエールを送った。
あなた達、最高だよ。もっと楽しく、騒がしくして大丈夫だよ。私達だってゲタゲタ笑って騒がしくしてるだろうしさ。

ずっとこんなふうに緩く穏やかな気持ちで生きていたいと思う。
仕事をしている日常では、私は野心家だ。
製品に対して誰よりも詳しくなり、数多く素早くこなし、クオリティの高いものをと躍起になっている。そしていつかはこの会社を牛耳ってやると企てている。
勝ち負けなんて、一番と言っていいほど嫌いな基準であるのに、仕事中はそれにこだわってしまう。

何故そんなふうに考えてしまうのか。そうでもしないと、ゆるゆるの自分が出てきてしまい、仕事にならないだろうと思うからだ。
ただの建前で、ただの不器用である。

本当は野心なんて燃やしたくない。
私の中では、まだ子どもの自分がお祭り騒ぎをしたがっているのだ。

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