雨の廃村と空想
雨降りの森は霞の中へ、どこまでも深く迷っていけるような気がするから好き。むせ返る土の匂いのに包まれて森の中で徘徊する。
森を彷徨い歩く中人の、残滓を目にする。
寡黙に残り続ける彼らに、どこかで「ともだち」を重ねた。
いつも近くにいた大切なともだち。
誰にも言えないような秘密を隠し持って、
無責任で都合の良い解釈で、記憶と待ち合わせ。
足取りも覚束ないまま、
半ば夢心地で記憶の中にいる人と一緒に歩いてみる。
崩れた廃屋も、残され埋められた井戸も、
或いは僅かに残る石垣も全てが全てここが終わった場所であることを示していた。
変わらないものに憧れながら、変わり続けていく廃墟に夢を預ける。
仄暗い、森の中で家屋の跡が、光を阻む樹木の不在にかこつけて、少しだけ明るくなっていた。
考えてみると光にも速度が存在するのなら、網膜が受け止める映像は常に一瞬過去の映像。
空にある星が実際にはもう存在していないように、私たちは常に過去しか見ることができない。
肉眼で眺める過去と、空想の傍らにいる記憶という過去、その境界は本当は曖昧なものなのかもしれない。
私たちは過去しか見れないようにできている。
過去に実在して、そして失われた廃集落。
今では住所も存在しない場所。
それは「確かにどこかに存在して、けれどどこにも存在しない場所」
その在り様は、空想上の世界と良く似ている、そんな気がした。
森の中で失われた友達について、探す。
「どこでもない場所」でなら、もう一度会える気がした。
ここでなら、もう失わないで済むかもしれない。
心のどこかで諦めている再会について夢を見る。
探せば探すほど、「人」がいたことを示しているのに、
ここは誰もいない森。
呼ぶ声も足音も静かに降り注ぐ雨音も、全てが虚しく響くだけ。
されど確かにそこに在った、記憶の置き場。
楽しい思い出も悲しい思い出も
確かに存在して、そして滅んだいつか誰かの「帰る場所」
霞の中生きている道路に戻れば、夢もおしまい。
ともだち
最初から実在しない空想だけの人。
ずっと実在する気がしていて、
けれど経験が事実が記録が
不在を残酷に証明している私の大切な空想。
痛みを都合よく押し付けて、
いつの間にか、すっと消えていた、
そういう「イマジナリーフレンド」
私たちは過去しか見れない。
過去も空想も脳が見せる儚い夢のようなもの。
ならばいてもいなくても大切であったことは同じこと。
きっと、その空想にはもう二度と会えない。
記憶と出会って そうして失う。
実在しない大切なともだちについて空想した、そんな雨の廃村。
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